アナログとデジタルの比較
アナログとデジタルの比較
“ヘイ、ヘイ、そこの彼女、その身体の動き 熱くなって、ウズウズしてるんだろ”
この不朽の名曲の歌詞を初めて聞いたのは1977年、13歳の時でした。
ブリティッシュ・コロンビア州の小さな田舎町を通りかかった、私の風変わりな年上の従兄弟が、私をレコード店に連れて行ってくれました。そしてLed Zeppelin IVを買うように勧めてくれたことが、後に私にとって、何にも代えがたいものになったのです。
レコードを買い、いそいそと家に帰ると、ワクワクしながらジャケットのビニールを剥がし、ピカピカの新鮮なレコードを保護ケースから取り出し、33 1/3回転のターンテーブルに慎重に乗せました。私はその時、今や不朽の名作となった『ブラック・ドッグ』の歌詞の冒頭部分(上図参照)を聴き、レコード盤の針の温もりとスピーカーのブーンという音を聞きいたことが、私の人生を大きく変えたのです。
ジョン・ポール・ジョーンズのブラック・ドッグのベースラインと彼の名人芸に触れられるなら、正直言って歌詞はどうでもいいのです。
ここで、かつての私のような音楽との出会いの体験と、現代のデジタル世代が初めてレッド・ツェッペリンに出会う体験との違いを考えてみましょう。
現代は、好きな音楽を発見し、購入することは、かつてないほど便利になりました。しかし有意義な体験と、それに伴う楽しい思い出は作れないでしょう。
悲しいかな、今はボタンをクリックするだけで、ダウンロードした音楽がすぐに聴けるようになり、数回聴いただけで興味は他に心移りしてしまうのです。
しかも、ダウンロードするだけでは、新譜の手触りや匂いを耳から以外の五感で体験することはできません。
さて、また電話の普及は、両刃の剣ではあるにしろ、多くの人々の生活に大きな影響を与えました。
ここ “Land Of The Rising Son “では、自分の愛する妻の80代の母親が、ついに昨年、90年代後半モデルのガラ携から、とうとうスマートフォンに移切り替えました。義母はポケットの中の新しい電話コンピュータで、友達と話したり、メールやチャットをするために使うようになったのです。
そして今、アナログとデジタルの対決が始まっています。
現金かデジタルマネーか。
かつてのレコード盤のように、紙幣の未来は現時点では曖昧です。
もしかしたら、これまで誰もが理解していた、意思のある者どうしの交換媒体が、電話によるデジタルキャッシュに取って代わられるかもしれません。
こんな事を考えたことはありませんか。
電気が使えなくなったらどうなるでしょうか?
地球上の多くの国々と違ってデジタルエーテルの神々に魂を売らずに、日本人は未だかつて現金を、使い続けているという現実を不思議に思うでしょう。
しかし今でも、私の住んでいる地域では、現金以外は受け付けないスーパーや個人商店がまだ数多く残っています。
太平洋の真ん中に浮かぶ島国に住む日本人は、何か不思議な秘密を持っているのではないでしょうか。
日本には「タンス貯金」という言葉があり、潔癖な日本人は家のタンスや金庫に1万円札を山ほど隠し持っているのです。
おそらく、純度99.999%の金の延べ棒のような貴金属もタンスに隠し持っているでしょう。
日本人は「日出ずる国」を「災いの国」と呼びますが、その一方で、人生の本質を見極める現実主義的な言葉もあります。
災い転じて福となす
飢餓の苦しみや、戦争から立ち直るための記憶が、年配の日本人の人々の心には焼き付いていることでしょう。
ですからタンス貯金は、決してスイッチ一つで蒸発するようなビットやバイトにはならないことは確かです。
そうです、日本人は、この貴重な現金をしっかりと握りしめながら、こう宣言するでしょう。
私たちの現金を奪うことができるのは、私たちの冷たい死の手からだけなのだ。