バスケットボール:カナダ人によって発明され、日本で磨かれたスポーツ
バスケットボール:カナダ人によって発明され、日本で磨かれたスポーツ
日本人の母親麻紀子さんと、ベナン人の父親によって日本で育てられた八村塁にとって、そして日本という国にとっても、この快挙は非常に重要な節目でしょう。日本は98%同人種であり、比較的最近まで、一般的な移民に対して様々な意味で閉鎖的だったことを心に留めて下さい。
この若者は、東京から約300km離れた宮城県仙台市の高校を卒業しました。
一般的に日本では二つの別の人種の親から生まれた子供を「ハーフ」と呼びますが、私は「混合複合ハイブリッド」と呼んでいます。この混合複合ハイブリッドの若者が直面した課題のいくつかを想像することができます。「半分」と呼ぶことは、人種差別主義者が混血の人々を「半分の品種」と呼ぶと連想させます。しかしながら、多くの日本人はそのような言葉の意味を理解せずに使用しています。
私の息子も混合複合ハイブリッドです。彼が幼稚園に通っていた時には、たくさんの友達がいたのをよく覚えています。子供というものは、生まれつき偏見を持って生まれてくる訳ではないという事は皆さんご存知でしょう。その当時、私の息子は全ての友人とうまくやっていましたし、彼の友達の誰もがこの普通の子供について特段気にしていなかたのです。しかしその後、小学校3年生で私達家族の引っ越しのため転校し、日本のこの厄介な側面にぶち当たったのでした。
私は妻に、息子が最初の小学校にとどまることを提案しました。なぜなら、この転校が彼の今までの全ての古い友人を奪い、日本の田舎の古い考えそのままに、新しい環境の人達は彼を「ハーフ」として扱い、そして偏見のトラブルが起きる事を予見したからです。
毎日運転して送り迎えの必要はありましたが、元の小学校はそれほど遠くなかったので、とにかく息子は友人のいる場所にとどまるべきだったのです。
妻は、彼女だけが考えるいくつかの理由で、トラブルの予測には見向きもせず、転校させたのでした。
言うまでもなく、いじめはすぐに始まりました。普通の楽しい9歳の子供のはずだった彼は、そうではない特殊な人間と見なされることに悩み、混乱しました。残念ながら、これらの偏見は田舎に深く根付いており、今日に至っています。
幸い、私の息子は極真空手に紫の帯を持っています。彼は数ヶ月間我慢しましたが、いじめを完全にやめさせるために最終的にこれらのスキルを使用しました。
もちろん極真空手を暴力に使った訳ではありません。強さを見せるためでした。
私達は、その非常に厳しい一年間の後、結局彼が元の学校に戻る事を決めました。
しかし中学校に入るとまた問題は起き、いじめの問題は更にエスカレートしました。日本人の父親とその息子、そして中学校の教頭と担任の教師が私の家に来たのです。
彼らは私の息子に謝罪をするために来たのでした。私の息子の腕に、たばこの火を押し付けたことを。私はその時謝罪を受け入れましたが、しかしこの種の最悪な行動を容認する事は、今回限りであるということを彼らに伝えました。
息子には、カナダの高校に行く選択肢を与えました。もちろん息子がこの選択肢を選んだのは、言うまでもありません。
辛い経験でしたが、彼はこの経験を彼の人格を定式化させたものとして理解して、現在、世界中にファンを持つ国際的に有名な音楽プロデューサーとDJになりました。私は私の息子に敬意を表します。
八村塁さんとご家族に、この記念すべき輝かしい成果と、ここまでの長い道のりをお祈り申し上げます。