マインド・オーバー・マター
マインド・オーバー・マター
数十年前の1987年1月11日に来日して、1月中旬にある小学校を訪問する機会がありました。
驚いたことに、暖房器具は使い古された灯油ストーブが教室の後ろに置いてあるだけでした。
1月、2月の寒い時期には、建物の中も外も同じように寒かったです。
中には半ズボンをはいた男子生徒もいました。
また、ここで初めて、イエズス会とキリスト教の追放から始まる鎖国時代に至るまでの歴史の講義を受けることができました。
残念ながら、その歴史講義は、凍てつく教室の奥で、興奮した日本人の先生が、飛行機から落ちてきたばかりの、日本語がまったく意味をなさない白人の顔に向かって行ったのです。
この即席の日本史の授業で、日本人のキリスト教徒が迫害されていることが明らかになったのは、数年後のことでした。日本の歴史を説明しながら、大名への忠誠心を証明するためにキリストの写真を踏みつけるという動作をしたことが思い出されるからです。
しかし、この教室での体験は、冬の寒さに耐えることが、武術やその他の技術を習得するために必要な並外れた精神制御や知的・精神的認識を身につけるための最速かつ最も効率的な方法の一つであるという古代神道の概念を劇的に紹介するものでした。
日本では、武士や芸者などが冬の間、薄着で外で体操をする習慣がありました。
特に1月20日から2月20日頃までの大寒の時期には、この恐ろしい習慣が一般的になります。
特に1月20日から2月20日頃までの大寒の時期には、武術を学ぶ人たちが氷水を浴びながら稽古をするのです。
神主や信者は、真冬に滝の下に立って、魂を清め、人格を形成する習慣があります。
冬の滝の氷の下に立って、心、精神、魂を清めることほど、人格を形成するものはありません。
日本の学校では1960年代まで暖房の試みはなく、幼稚園児から体育の授業で厳しい冬の寒さに耐えることが求められていたました。
1980年代には、日本のある小学校が、男子も女子も短パン、薄手の上着で授業を受けていたことが、国際的に話題になったこともありました。
テレビに映し出された子どもたちは、勉強も遊びも、楽しそうに、たくましく、顔色もよく、輝いていました。
また、風邪などの病気も、現代の防寒着を着た子どもたちよりも少なかったでしょう。
日本人の寒さに対する伝統的な考え方は、日本人のあらゆる事業に対する献身的で勤勉な性格を説明するのに大いに役立っています。
日本には、「心」を鍛えれば「物」に勝てるという考え方があり、その鍛錬が、芸術や工芸、そしてビジネスにおいて、日本人の卓越した技術を支えています。
日本の冬の氷のような寒さの中で体を洗うというコンセプトは日本で生きており、今日に至るまで多くの日本人の態度や行動に影響を与えています。