マスク
マスク
ある年の冬、日本で初めてインフルエンザにかかった時、白い医療用マスクをしている多くの人達に驚かされました。日本ではそこら中に医者や看護師がいるのだなと思っていました。
日本人の友人に、なぜ医師でもない一般の人達がマスクをしているのか聞いてみると、「この季節、少しでも体調が悪い時にはマスクをして他の人に迷惑をかけないようにするんだよ。」とのことでした。
このように周りの人間を気遣うところが、日本人はとても素敵で礼儀正しいと思いませんか?
とはいえその説明を受けた後も、正直なところ、このマスクの習慣はちょっと変だなと思っていました。
しかしまあこれは理にかなっているかもしれないなと思い直しました。
体調が悪いときは、人混みの中にあえて出かけるべきではないでしょう。日本の大都市では誰もが一度は体験していると思いますが、朝のラッシュアワーの満員電車の中は、いくつかの大きな人混みが波打っている様な混雑です。
とにかく世界的に健康の問題に直面している今、日本人のほとんどが、いいえ世界中のほとんどの人々が季節はずれのマスクをしている訳ですが、ここ日本では明らかにマスクを着けることが大した問題にはなりません。
まず第一に第二次世界大戦後、アメリカの占領軍が強いた憲法のため、今日でもフェイスマスクの着用を日本政府が国民に強制することはできません。しかしウィルスから身を守る、又は他人にウィルスを染さないため「全ての日本人は外出時にマスクを着用するように。」という政府からの「お願い」がありました。
ですから、ほとんどの日本人は特に疑問も持たずにマスクをしています。
しかし、どの社会においてもある意味で目立ちたがりの人がいます。ただし日本では「出る杭は打たれる」ということわざがあります。
ここで日本人の考え方と西洋人の重要な文化的概念の違いが明確になります。
日本:「出る杭は打たれる」
西洋:「軋む車輪は油を差される」
ある反抗的な小さな杭の一人が、日本の国内線の機内でのマスク着用を拒否し、自分の愚かな小さな頭を出っぱらせたのです。飛行機は目的地ではない別の空港に臨時着陸し、機内で不必要な騒ぎを起こした男は逮捕されました。
しかしこの時まだ、この鈍感な日本人は気付いていませんでした。巨額の罰金を受け、そして目的地に付けなかったという非常に残念な結果の他に、日本社会で最も恐ろしいことの一つに直面しているということに。
村八分(むらはちぶ)追放者になるということです。
やっちまった!
歴史的に見ても、これは日本で起こりうる最悪の事態の一つです。恥かしい行いをしたり、法律を破ったりする者は軽蔑され、抑圧されます。
このような事態になれば、仕事上の人間関係だけでなく、家族にも悪影響を及ぼしてしまうでしょう。
不適切で反社会的な行動が、自身の身内や雇用主に恥をかかせることほど、最悪なことはありません。
どんな社会でも、よほどのサイコパスでない限り、人は排斥されたくないものだと思います。
安定と社会通念を重んじるストイックな日本社会では、村八分にされることは過酷なことだと思います。
打ちのめされたこの厄介な「杭」が意味のある半生を取り戻し、再び仲間に引き入れてもらうための贖罪の余地はあるのでしょうか。
もちろんあるでしょう。
しかし、この様なニュース性のある社会的な違反は、たとえ一旦許されたとしても、完全に忘れ去られたものではないということを忘れないで下さい。それは一生の恥として、ずっと先の未来にも自身の負の財産としてまとわりついて離れないのです。
多くの日本人がフェイスマスクを着けることが自由を奪われたとは考えず、私達の大切な日本列島の社会的結束を維持するための、社会的礼儀として受け入れているという事実を、私は本当に誇らしく思います。
更新令和3年1月22日
ブログの記事書いたるように、日本ではこのな反社会的な行動の恥から逃げられない。
ここで読んでみてください。