ミスタービッグツリー
ミスタービッグツリー
私が絶望の淵にいたとき、突然、一人の日本人ビジネスマンが天使となって現れました。
私は日本で最初に働いた会社を辞めた後、建設機械レンタル会社の輸出マネージャーを、短期間ですが務めたことがありました。
その仕事が私の生涯で最後の「雇われた仕事」でした。
私は日本語がまだ不自由だった上に、混乱して神経質になっていた、まだ若かった当時の妻(結婚生活は23年間)を前にして、深い孤独感に襲われました。
その時、「私はこの国で、本当に一人なんだな。」と思いました。
妻もまた自身の境遇を悲しんで「私は惨めだ。」と言いました。その発言で私の孤独感はさらに強まりました。
そんな私に、幸いな出来事が訪れます。それはたった一つだけ残っていた個人の英会話レッスンによってもたらされました。
その生徒の父親である大木さんに悩みを相談すると、とても親切に人生の方向を導いてくれました。
彼は地方の小さなの街の駅の近くにビルを持っていて、その魅力的な古いビルの2階が空いていました。
彼は「パンフレットを作ってあげましょう。そしてこの街に配って、自分の英会話塾を始めませんか?」と言いました。
彼は売り上げの何%かを要求しただけで、とても良心的でした。
半年ほどでスクールが軌道に乗った後も、大木氏には、月々の収入を大幅に下回るレンタル料で継続してもらい、非常に助かりました。
そして当時の日本では、レンタルビジネスが流行っていました。
英会話教室で使わせてもらっていたビルの2階は、特別な魅力がありました。私は自分の父がカナダで経営していたギャラリーから、限定アートを輸入し、そこにギャラリーを設けることにしました。
そのギャラリーから、数々の素晴らしい限定品を、歯科医院や医師会、ブティック、レストランなどの企業に貸し出しました。
しかしそれから数年で、この古い建物は老朽化のためにとり壊されることになったのです。
その時は私自身の会社の仕事や、輸出入ビジネスで忙しくなってきていたので、私にとっては丁度いいタイミングだったと思います。
今、大木さんに伝えたい 今日、あなたがどこにいようとも とても感謝しています あなたの優しさと寛大さは
放浪していた見知らぬ異邦人を助けてくれた それは生涯の旅となり 親愛なる日本の人々と この特別な社会で