ラフカディオ・ハーン – 小泉八雲
ラフカディオ・ハーン – 小泉八雲
ラフカディオ・ハーンと聞くと日本人にとって、「耳なし芳一」を物語にした小泉八雲という名で有名ですが、彼の歴史について知っている人は、日本人でも数少ないでしょう。
しかしながら八雲は、彼が終生暮らした日本の明治時代の最も重要な歴史上の人物の一人と言えるでしょう。
八雲は日本に深く興味を持ち、彼の作品全体にその影響を与えました。その為、いち早く日本文化を西洋に紹介した開拓者と見なされています。
ラフカディオ・ハーンは1890年に日本に到着後、バジル・ホール・チェンバレンという人物に出会ったおかげで、島根県松江市の教師になりました。チェンバレンもまた、明治時代の重要人物の一人です。
そしてラフカディオ・ハーンはこの土地で日本文化に没頭することになるのです。
日本は250年の鎖国の後、開国を余儀なくされたばかりでした。そして1868年に終わった、異次元とも言える徳川幕府の厳しい統治の社会が、二世紀にも渡り、どの様なものだったのかが、ラフカディオ・ハーンの手により世界に明らかになりました。
1896年、日本のそのような状況下で、ラフカディオ・ハーンは地元の武家の娘である小泉せつ子と結婚し、日本国籍を取得して小泉八雲と名乗ります。
1800年代に世界を旅することは、かなり難しい時代だったので、八雲のように日本文化に深く夢中になっている外国人は珍しかった事でしょう。
実際に、100年以上前の日本に生きていた八雲のおかげで、私たちは当時の日本の異常なまでの社会を、より深く理解することができるのです。
八雲は1894年に彼の最初の日本に関する本である「知られぬ日本の面影」を出版しました。
日本文化に関するトピックについて書かれた彼の他の本の中には、1896年に出版されたKokoro: Hints and Echoes of Japanese Inner Life、1899年にリリースされた “Japanese Fairy Tales”、そして 1903年に出版され、その後映画化された魅力的で面白い “Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things”があります。
そして八雲の最も重要な作品の一つは、彼の深い洞察に満ちた本でした。「神国日本」です。
1904年に出版された、この素晴らしいストーリーテラーの目を通した昔の日本を見る事は、本当に驚くべきことです。
この本では、明治維新の過程で日本社会を生き生きと感じ、日本人のあり方に対する意識と感受性を深めています。
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新宿に行く機会がありましたら、小泉八雲記念公園をぜひ訪れて下さい。八雲の胸像と彼の才能と業績を記念する素晴らしい庭園があります。
小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)は1904年9月26日に亡くなり、東京都豊島区にある雑司ヶ谷霊園に、今でも眠っています。