下町人情
下町人情
あなたがもし8歳の子供で、朝起きたら知らない人が自宅の居間で寝ていたらどう思いますか?
そんな事は滅多に無い事でしょう。しかし私は子供時代にそんな経験をしたのです。
私はカナダのブリティッシュコロンビア州中央部の、小さな田舎町で育ちました。カナダを横断する道路1号線は、この小さな町を通り、7000キロ以上離れた大西洋まで続いています。
カナダがいかに広いかご存知ですか?カナダの国土面積(9,984,670km2)は日本(377,975km2)の26倍、そして反対に日本の人口(12.6万人)はカナダ(3,800万人)の約3倍です。
私がまだ8歳頃の夏のある日、夕暮れが迫るさびれた高速道路で、ある孤独な男性が必死に、たった一人で東へ向かう車をヒッチハイクしようとしていました。
夕暮れまでに誰かに乗せてもらえなければ絶望的です!
しかしなかなか停まってくれる車は見つからず、彼は迷子になりながら、私の父の経営するディーラー店の前をうろついていました。
父は、彼を見ると話しかけ、私達の家に招き入れ、食べ物を与え、居間のソファに寝かせました。
そして私が朝起きると居間のソファに知らない男性が眠っていた。幼かった私には、この様な記憶でした。
最近私は母とこの物語について話したのですが、実はこの見知らぬ男性は、高速道路でバスを降りた後、混乱した様子で父のディーラーに迷い込んだらしいと知りました。
そして親愛なる私の父は、下町人情とも言える優しい心で、彼に必要な休息と食べ物を与えるために、この見知らぬ人を家に連れて帰ったのです。
その男性の様子がおかしかったので、翌日私の母は、保健福祉サービスに電話をしたそうです。
実はこの男性はバンクーバーの精神病院から抜け出し、バスで私達の住む小さな街に来たのでした。
幸いな事に、彼は私の少年時代の家で一夜を過ごした後、すぐに精神病院に送り返されたのです。私の両親は子供達が不安に思わない様に、当時は私達に男性の身元を伏せていたのでした。
私が一番お話ししたかった事は、その様な状況にも関わらず、父が他人に親切な行いをしたという事です。言い換えれば「下町人情」と言えるでしょう。
今振り返ると人情深い、確かにいい時代だったなと思います。さて、私が初めて日本に来た時に気付いたのは、外国人である私が、ゲストとして日本人のほとんどの人達に、どれほど親切にしてもらったかという事でした。
また時間が経つにつれ、日本人は常に仲間と、和気あいあいとした雰囲気を作ろうとしている事にも気がつきました。
日本の社会は「下町人情」という様な親切心を基本的に持っているのではないでしょうか。
まさしく私はそう思うのです。
先日、バドミントンのサークルに参加していた時のことです。
メンバーの一人が二人の幼い娘を連れてきました。
小学3年生の上の子は、私に声をかけてきて、突然小さな折り鶴をプレゼントしてくれました。
これは日本の社会の優しさの規範の一例ではないでしょうか。
私はそう信じたい。
私は父の他人への優しさを見てきたので、全世界の人々への善意を、父から受け継ぐことを選んだのです。
日本で暮らし始めて20年経った、ある雨の降る寒い夜、ガソリンスタンドで18リットルの灯油を購入している外国人を見かけました。
ほぼ同時にガソリンを入れ終えた私は、冬の冷たい雨の中、その外国人が重い灯油の容器を2本も持って歩き始めたのが見えました。
私は自分の車に乗せてあげようと、彼に手招きをしてしたところ、彼は喜んで私の親切を受け入れました。
彼はスリランカ出身で、日本の工場で働いていると話しました。
そしてガソリンスタンドから1.5キロほど離れたところに、スリランカ人の奥さんと小学生の子供と一緒に住んでいました。
彼の家に着き、灯油の容器を降ろし終えると、私は1万円札をポケットから引っ張り出し、彼にとって思いがけないプレゼントとして渡しました。
この様な混乱した世界情勢の中、私たちは今まで以上に、もっと親切という心を深め、地球の豊かな多様性を積極的に祝う必要があるのではないでしょうか。
人間は根本的に親切な生き物なのです。ですから自分の心を開くことで、幸せの可能性が広がるのだと思いませんか。