侘び寂び
侘び寂び
1987年に来日した私は、何十年も前から私を取り囲んでいる奇妙で新しいもの,そして習慣に、時に驚き、時に呆然とします。
私は「侘び寂び」をあえて認識したことはありませんでしたが、日本でよくある暗黙の謎のように、「侘び寂び」という概念は、日本人の精神の中に生まれながらにして備わっている特質です。
日本の伝統美学において「侘び寂び」とは、儚さや不完全さを受け入れることを主とした世界観です。
その美学とは「不完全、無常、未完成」の様に表現されることがあります。
侘び寂び」は三法印という仏教の教えに由来します。
三法印
無常
苦しみ
そして空虚または自己の欠如
「侘び寂び」の美学の特徴は次の通りです。
非対称
粗野
素朴
節約
厳格
謙虚
親密
そして、一度「侘び寂び」を認識しすると、自然の物やそれらが持つ独創的な完全性を、深く意味のあるものとして理解できるようになります。
しかし「侘び寂び」を英語に訳すのは容易くありません。
「侘び」とは素朴で質素、新鮮、静けさを表しており、自然界にある物と人工的な物の区別はせず、その対象物が作られる過程で生じる奇抜さや歪み、独特さと優美などを意味することもあります。
「寂び」とは、年月の経過と共に徐々に古びてきた物ではあるけれども、丁寧に手入れをすることによって、歳月によってもたらされた味わいが残る美しさ、そして静寂を意味します。
中国からの仏教の影響にルーツを持つ「侘び寂び」ですが、現在でははっきりと日本の理想に進化しています。
700年ほど前から、空虚さや不完全さを理解することは、「悟り」への第一歩として尊重されてきました。
現代の日本では、「侘び寂び」の意味には「自然な素朴さの中にある知恵」という意味が含まれています。また、特に芸術の分野では「欠点のある美しさ」という意味合いを持つこともあります。
「侘び寂び」は、日本の陶器で見ることができます。
日本の茶道で使用される陶器は、一見すると素朴で質素な風合いになっています。
萩焼はその一例で、形が左右対称ではないものや、地味で質素なを様式をあえて強調しているような色や質感が見受けられます。
本当に優れたデザインかどうかを見分けることができるかどうかは、観察者の知識と経験と観察力にかかっています。人は、目と心を開けば、多くの物の中に「侘び寂び」を見つけることができるのです。
「侘び寂び」は、どちらも荒涼と孤独の感情を暗示しています。大乗仏教の宇宙観では、それらは物質世界からの解放と、より質素な生活への超越を表す肯定的な特性と見なされるでしょう。または仏教では「悟り」とも表現されます。
親愛なる読者の皆様が「侘び寂び」の真の理解をしようと思ったら、それは言葉だけでは言い表せないという事を心に留めておいてください。
したがって「侘び寂び」を非言語的に受け入れなければならず、「侘び寂び」の意味を理解するためには、これが最も適切な方法かもしれません。
「侘び寂び」は、不必要な考えにとらわれるのではなく、五感を通して人生を生きることを学び、人生をありのままに生きるための術なのです。
「侘び寂び」は禅宗の物質的な表現です。自然で変化に富んだ独特なものに囲まれていると、現実の世界でのストレスや、騒々しい「猿の脳」から逃れることができるという概念です。
私たちは「侘び寂び」を知る事で、最も基本的な自然のものを興味深く、魅力的で美しいと感じることを学びます。
周りの世界をより深く見つめることで、人は私たちの共有する地球上のどこにいても、「侘び寂び」の旅を始める事ができるでしょう。






