初々しい
初々しい
先日、友人夫婦の生まれて7ヶ月の息子に、初めて会うことができました。
乳幼児の無邪気さは格別です。たとえ、どんなに感受性が乏しく、他人への思いやりに欠ける人間でも、赤ん坊に出会った時、心に優しさや、弱い者を守りたいという気持ちが呼び起こされるのではないでしょうか。
しかし、西洋の世界では、一般的に6〜7歳になると、幼い子どもの無邪気さは失われてしまいます。
西洋の大人達は、無邪気さを成熟への遠回りと見なし、子供が周囲の大人たちの行動を模倣する、所謂「猿まね」という概念に大きく起因しています。
西洋人たちは、無邪気さや純真さを、子供の頃のみに許される特性だと考えています。
一方、日本では伝統的に、無邪気さや素朴さは、様々な年齢層の人々にとっても賞賛される場合があります。
この記事の著者は、無邪気さ、素朴さは、純粋な心、利己的でない心、優しく寛容な性格の反映と考えています。
他の国と同様、日本の伝統文化における無垢にも見える儀礼にも、やはり裏表があります。
日本の若い女性は、無邪気で純真であることが好ましいとされています。
現代の日本でも、若い女性が男性と接する時、意識的・無意識的に無邪気で素朴な表情をとることが、ままあります。
この儀礼には2つの明確な目的があります。身を守るためと、男性が無邪気さや弱さに脆いことを利用するためでしょう。
このような「純真さ」の儀礼は、日本女性に限ったことではありません。
しかし、ほとんどの日本女性が生まれながらにして持っているものなのです。
これは、日本社会で普通に生活している中で、特に外国人に対して見せる人格やマナーの基本でしょう。
日本人は伝統的に、素直なことは立派なことだと教えられてきました。そして、その逆の行動を嫌悪するように教育されてきたのです。
「日出ずる国」の日本社会では、どんなに知識があっても、どんなに才能があっても、知ったかぶりをすることは許されません。
そのような人に対する嫌悪感は極端で、その結果、人を陥れ、日本の社会慣習に従わない人を見せしめにしたりと、暗い側面も否めません。
素朴さを利用するほか、日本社会で円滑に行動するために無邪気な振る舞いをします。
また、日本人は「素朴さ」という儀礼が外部の人間、特に西洋人に対しても有効であることを知っています。
日本人は、典型的な西洋人が無邪気で素朴な人に出会うと、自動的に反射すると知っています。
西洋人は潜在意識で、相手を子供っぽいと思い、警戒を解き、批判的な能力をほとんど停止させ、哀れな無垢な人を助けようと、全身全霊を傾ける傾向があるのです。
日本人は、高度に様式化された厳しい礼儀作法の達人である。
純真な礼儀を意識している日本人は、西洋人の相手を安心させ、並外れた協力を引き出すために、無邪気さを装うことに長けているのです。
日本の年配の男性は、成功すればするほど、仏のような、やわらかく、優しい、無邪気な態度をとるようになります。
仏のような人物のどこまでが作り物で、どこまでが本物なのかは重要ではありません。
初々しいという言葉は、仏様のような人間を聖人のように、悪いことができない、全ての人のために良い行うことができる、信頼できる人として見ることから生まれのでしょう。仏のような人間の力を、大きくするため、人々はそのような人を聖人のような、悪事を働かない人物、つまり、皆にとって最善の言動ができる、信頼できる人物と見なすのです。
素朴という儀礼を理解するだけでなく、自分の人生に導入することで、日本人の中において、自分自身の旅を円滑にすることができるのです。