因果応報
因果応報
四字熟語の魅力は尽きることがありません。
多くの四字熟語には、深い知恵や教訓、戒めなどが含まれています。
仏教にルーツがあるものが多いのですが、その他は、より古い精神的な信条、習慣、儀礼に由来しているものになります。
今回のテーマは、仏教の思想に根ざし、カルマに関連するものです。
因果応報
応報、正当な報い、詩的な正義
カルマとは、神の報いという概念です。過去世から現代に至るまで、自身の不愉快な行いを、照らし出されるのです。
さらに言えば、ある種の神の報いは、呪われた者が、まだわずかな肉欲を感じることができる時、より自身に辛く突き刺さることを、意味しているのかもしれません。
特に、金銭的なショックや、予期せぬ死によって、残りの人生を悔やみながら送ることもあるでしょう。
何十年も長きに渡り日本で暮らしていると、あらゆる人物に出会うことになります。そしてそのうちの何人かは、私にとって極めて理解し難い人物でした。
ある種の寄生虫の様な人間は、あらゆる手を使い、可能な限り他者からの蜜を吸い尽くすのです。
ある評判の悪い男がいました。私は、良くも悪くも、見知らぬ人は疑ってかかれという教訓を得ました。
この評判が悪い初老の男は、ベンチャー事業を始めると同時に、自分の二人の息子を部下にしました。
そしてベンチャーのプロジェクトが始まると、大勢の人を口車に乗せ、勧誘したのです。しかし、いざという時に何の補償もない事業だということが明るみに出ると、人々は驚き、怒りを露わにしました。
6カ月の間、自分が費やした時間と労力はゼロに等しかったのです。
もちろん、私の時間を盗む様な人間とは縁を切り、初老の男とは無縁となりました。
そしてその後、初老の男の不誠実な行いが仇となり、一家には不幸な顛末が待っていました。
妄想癖のある父親のプロジェクトに引き込まれた、二人の息子のその後とは。
息子の内の一人は、日本人とインド人の混血の、とても美しく、知的な女性と結婚したばかりでした。
しかし、この若い二人の長男は障害を持って生まれてきました。
カルマは、生徒が弟子の足元に置かれた悟りの書を手に取り、開き、読み始めるのを許しながら、はっきりと大きな声で物事を言う様な残酷性もあるのです。
冗長な文章に込められた厳しい現実ほど、自分の魂に真実を焼き付けるものはありません。
学ぶことがどんなに苦しく辛くても、それは贈り物なのです。
知的障害児が生まれることは一家には辛い現実だったでしょう。
一家で初孫が生まれてくるのを楽しみにしていたことでしょう。
障害を持って生まれた子は、祖父がしてしまったことを、代わりに懺悔をするという運命に生まれました。カルマの報いの痛烈な例としか言いようがありません。
このお話はカルマの本質に迫るものであり、まさに因果応報と言えるでしょう。
そして初老の男のもう一人の息子、長男は、重い肝臓の病気にかかり、悲しいことに、その恐ろしい診断の直後に、若くして亡くなってしまったのです。
カルマがもたらす虚しさは、どの国の通貨を払おうと、宝の山を見つけたとしても、埋められるものではありません。
自分の息子に対してとった不快なこと、そしてそれが息子の死を早めたと気がついた時、その時はもう手遅れだったのです。大切な愛すべき息子は、もう帰ってくることはありません。
カルマというものは本当にあるのです。人の苦しみや喜びを理解し、因果応報を知りましょう。
カルマは中立であり、自分が出したものが返ってくるのです。
カルマは、願望によって意識的に変化させることができ、自分の運命をコントロールすることができます。今日からでも、今すぐからでも。
小さな善意の積み重ねと、日々の感謝の気持ちを忘れずに、静寂に耳を傾けながら、意識的にポジティブなエネルギーを生み出していくことが、毎日の始まりにふさわしいでしょう。
神のカルマは無限です。一度理解すれば、インスピレーションと喜びの源となり、すべての人類のものでもある、永遠の生命の泉が、すぐそこにある、ということを感じることができるでしょう。