型 – パート4 – カタフィケーション(型化)
型 – パート4 – カタフィケーション(型化)
日本で見られる社会の調和は、日常の行動において正しい型のエチケットを守ることに基づいており、日本人の人間関係の中での指針となっていることを心に留めておいてください。
このことをさらに理解するためには、神道として知られる日本人の土着の信仰体系を振り返る必要があります。
神道は、神、精霊、肉体世界の人々、自然との宇宙的な一体感に基づく精霊崇拝的な信仰体系であり、間接的ではあるのですが、文化的にも浸透しています。
文化的に浸透している神道は、日本人を他のすべての人々と区別する態度や習慣の起源となっているのです。
日本人が「和の民」と呼ばれるようになったのは神道の影響であり、日本社会の基礎となる「和」の原則を日本人が早くから守ってきたことを証明してます。
日本の歴史の初期には、宗教的指導者と世俗的指導者の機能が結合されており、これらの結合体は、儒教から採用された天地の調和、支配する者と支配される者の間の調和という基本的な原則をもって、型と本質の両方に等しく関心を持っていました。
このことから、崇拝に関連した、様式化された儀式が日本人の生活の日常業務に浸透し、上位の存在への従属と敬意を規定する高度に統制された行動システムが発展しました。
日本の歴史の黎明期から、様式化された儀式は毎年何十回も行われ、日本の日常生活の複雑な部分を構成し、今もなお今日に至るまで続いています。
日本を何気なく見ているだけでも、日本人は手続きやプロセスを形式化し、制度化することに深い親和性を持っていることがわかります。
このような様式化された行動が神道に由来するとは言えないかもしれませんが、確かにこのような日本人の特徴的な行動は、神道の進化に関連して、日本人の生活の早い時期から広まっていた儀式的な慣習に吹き込まれているのです。
日本社会と和の基礎をより深く理解するために、和は日本文化の中心的な柱であり、日本の本質、精神、そして日本の道の継続的な進化に影響を与えていると考えることができます。
型を検討する際に注意すべき重要な点は、紀元前1000年から300年の間に、中国から水田稲作が日本に伝わった事でしょう。これが国の社会システムや、その後の日本人の性格や行動に大きな影響を与えました。
稲作のプロセスは細部に至るまで規定されており、水田稲作に伴う生活様式は、日本人に並々ならぬ忍耐力、勤勉さ、協調性、集団依存性を植え付けました。
経済全体が米の道を基礎として、集団行動、協調性、自己犠牲、調和が義務化されたのです。
水田稲作の導入とともに、日本人の進化に大きな影響を与えたのは、公地公民制でした。
これは、土地と国民が天皇に帰属し、私有権や独立の権利がないことを意味しています。
これが、国家による国民の実質的な絶対的な支配と、日本社会を構成する多くの文化的特徴の進化のきっかけとなりました。
和が日本の社会システムの本質として確立されたことで、日本の支配層は、和の文化的な目標に貢献するために、社会的なルールや制度、言語などをすべて作り上げることになりました。
型の謎と日本人への影響力を解き明かしながら、型の謎を解き明かしていきます。