奇妙さと魅力
奇妙さと魅力
八雲の親友の一人が彼に言いました。
「日本に住み、これから4、5年経っても日本人をまったく理解できないと悟った時、その時から何かを知り始めるだろう。」
明治時代の日本人が、西洋人の八雲に言ったこの鋭い言葉は、今も当時と同じように、私の心にも残っています。
八雲は1904年9月26日に亡くなるまでの14年間を日本で過ごしました。
彼はその間に「解釈の試み」を見事に成功させ、明治維新の日本社会を垣間見ることができたのです。
「日本を初めて知った時、それは異質で、言葉では言い表せない奇妙な興奮に似た感覚が湧き起こる。全く見知らぬものを認識した時にのみ訪れる、奇妙な感覚である。」
確かに、この奇妙な感覚は、初めて日本に入国して異次元に足を踏み入れ、その後もずっと私達を包み込み続けます。
「奇妙な形の着物や草履を身に付けた、奇妙な小人のいる、奇妙な小路を進んで行くと、男女の区別がほとんどつかなくなる。」
「想像を絶する食材、謎めいた形の調理器具、神や悪魔の伝説由来の奇妙な仮面や玩具。」
現代は、デジタル革命のおかげで、世界のどこにいても、自分のお気に入りの椅子に座って日本の姿を見ることができるようになりました。
日本文化の魅力を視覚的、聴覚的に楽しむことが可能です。
しかし、どれだけ視覚的、聴覚的に楽しめたとしても、日本の本質を真に理解するには、実際に日本に来て、日本の「空気」を吸い、自分自身の精神と魂で日本を感じることが必要です。
「看板や掛け軸、行き交う人々の背中の文字にまで、至る所に美しい漢字が見られ、それらの文字の妙技が、この光景の主役となっている。」
確かに、この国に浸透している中国由来の表意文字の複雑さが、ここ日本で体験する異世界の魅力をさらに高めているのです。
実際に、日本語を読めなかった私が、この複雑で壮大な表意文字を理解し、吸収するために一生を捧げることは、最も困難な人生の課題の一つでした。
八雲は、非日常的、超現実性な日本に思いを馳せながら、次のように述べています。
「技巧の繊細な完成度、物の軽やかな強さと優美さ、最小限の素材で最良の結果を得ようとする顕在的な力、可能な限り単純な手段で機械的な目的を達成すること、不規則性を美的価値として理解すること、すべての物の形と完璧な味わい、色合いや色の調和に示された感覚。」
「これらのことから、私たち西欧人は、芸術や味覚だけでなく、経済や実用性の面でも、この遠い文明から学ぶべきことがたくさんあると、すぐに納得できるはずです。」
日本人は、この文化から発展して、礼節と調和の望ましい模範となる現代社会を作り上げたのです。
八雲は英語、ギリシャ語、日本語を話し、英語と日本語の違いについて次のように述べています。
「彼らの普段の会話を西洋の言葉に翻訳したとしても、どれも絶望的なほど無意味である。」
「日本語の辞書に載っているすべての言葉を覚えても、まるで自分が日本人であるかの様に考えることを身につけなければ、会話を成り立たせる事は難しい。」
意味のある言語を文化的に理解する秘訣は、日本語で考え、概念化できるかどうかにかかっています。
それができた時初めて、暗黙の社会的慣習とプロトコルが存在する「空気」を読むことができるようになります。
日本人は、調和を義務付ける厳格な法律と社会的礼儀作法の下で進化してきました。
明治維新の改革前の徳川幕府の時代、何世紀にもわたって世界から孤立していた日本人の生活は、特に厳しかったでしょう。
日本人の根深い社会的礼儀は、今日でも日本人同士が相互に交流し、行動する方法を特徴づけ続けています。
「誰もが幸せそうな表情と心地よい言葉で周りの人に挨拶し、いつも笑顔で、日常生活の最も一般的な出来事は、教えられなくても心から直接湧き出るように見えるほど、芸術的で完璧な礼儀によって一度に変貌する。」
日本の犯罪率は先進国で最も低く(こちらを参照)、法律に違反した場合、それに伴う刑罰は厳しくなります。
日本には死刑制度という最高刑が未だに残っており、そしてこの制度に反対の人間ばかりではない事を覚えておいて下さい。
歴史的に、日本人は死を西洋人とは異なった概念を持っています。人が調和を乱し、社会的慣習に違反し、それが著しく社会の規律を破る行為だった時、究極の刑罰が待っているのです。
「私は何百年もの間、窃盗事件が起きていない国に住んでいる。」
「明治に建てられたばかりの刑務所が 、空っぽで役に立たない。」
「どこの家庭でも、昼夜問わず玄関の鍵を開けたままの国。」
「日本において、見知らぬ外国人への親切は、まるで政府からの命令に等しい。」
「しかし、これらの人々の善意をどう説明するのか?“」
「他人への厳しさ、無礼、不誠実が無く、そして法律を犯す者もいない社会。この状況が何世紀も続いていたと知った時、私は紛れもなく道徳的に優れた人類の領域に入ったのだと信じたくなる。」
「このような状況に遅れをとったり、異教徒として糾弾されるのを聞いて憤りを感じずにはいられない。」
なぜ八雲は、日本の重層的な社会を感じ、命の概念をはかないものと認識し、日本を深く体験することができたでしょうか。
八雲はまた、祖先が神になることで幽霊の存在を深く感じ、すべてのものに命が宿っていると考えていました。
あらゆる物に宿る命。それを日本では「万物」と呼んでます。
「日本に来た私がなぜ幸運なのか。それは、おとぎの国に入り込み、永遠にその観客でいられるからだ。」
「私は自分の世紀から、滅びた時代の巨大な空間を越えて、忘れられた時代、消し去られた時代に連れてこられた。」
「古い日本の、はるかに古びた文明は、美的・道徳的な文化として、我々の驚きと賞賛に値する。」
「浅はかな心だけが、非常に浅はかな心を持った人間だけが、その最高の文化を劣ったものとみなす。」
「しかし、日本の文明は、おそらく西洋にはない独特のものである。それは、単純な土着の基盤の上に、異質な文化が何層にも連続して重なり、まさに複雑で困惑した光景を呈しているからである。」
日本という国は、今もなお、新しい現実の層を重ね続けています。
太古の時代の古代文明を、何層にも重ね、現代の今も重それは続いているのです。
日本 その解釈の試み
1904初版
パトリック・ラフカディオ・ハーン