封建的統合
封建的統合
日本の文明がその発展の限界に達したのは、近代政権(明治時代)の直前、徳川将軍の時代であった。
これ以上の進化は、社会の再構築以外にありえない。
これまで以上に、旧来の強制的な協力体制が強化された。
そして、これまで以上に礼儀作法の細部に至るまで、容赦ないほどの厳格さが求められた。
徳川幕府の父性的な強制は、日本人の国民性の中で最も魅力的なものの多くを発展させ、強調するのに役立にたった。
200年に及ぶ平和と繁栄、そして鎖国の間に、この人間性の優美で勝利に満ちた側面が開花する機会を得た。
それは、庭師のたゆまぬ芸術の技が、菊の花を幻想的な美しさを持つ百もの形に進化させるように、法律や習慣の様々な制約がその開花を速め、不思議な形になったのである。
一般的な社会の傾向は、圧力によって硬直化しているが、制約は、特別な方向性において、道徳的および美的教養のための余地を残している。
日本の階層的な規則は、最高位から最低位までのすべての階級に重くのしかかっていたが、法的負担は負担者のそれぞれの強さに比例しており、法律の適用は社会的規模が下がるにつれ、ますます厳しくなくなっていった。
古くから、貧しい者や不幸な者には同情の余地があると考えられており、現存する日本最古の道徳規範では、可能な限りの慈悲を与える義務が主張されている。
しかし、このような差別が最も顕著に現れているのは、家康の遺言だろう。この遺言は、社会がより発展し、制度がより強固に固定され、あらゆる絆が強まった時代の正義観を表している。
この厳格で賢明な支配者は、次のように宣言した。
「民衆は帝国の基礎である」
謙虚な人には寛大な態度で接するように命じていた。
この立法者の人道的な精神は、おそらく犯罪に関する制定法に最も強く示されている。
例えば、祖先崇拝の社会では、必ず第一級の罪となる姦通の問題を扱っている。
家康は、犯罪者を裁判にかける場合、庶民の場合は特に熟慮することを勧めていた。
また、人間の性質の弱さを指摘し、生来の堕落者でなくても、若くて単純な心の持ち主の間では、一瞬の情熱が愚行につながる可能性があることも示唆していた。
しかし、次の条文では、上流階級の男女が同じ罪を犯しても、いかなる慈悲も与えてはならないと命じている。
彼は宣言した。
「このような者は、既存の規則に違反して騒ぎを起こすことをよく知っているはずであり、淫らなつまらないことや不正な交際によって法律を破った者は、熟慮や相談なしに直ちに*罰せられるものとする」
*すなわち、直ちに死刑にしなければならない。
徳川幕府の法律のもう一つの人道的な側面は、男女の関係についての指示にある
武士の間では家風の存続のために妾を置くことが許されていたが、家康は単なる利己的な理由で妾を置くことを非難している。
「愚かで無知な者は、愛する妾のために本妻を顧みず、最も重要な関係を乱している」
「このように落ちぶれた男は、いつまでたっても忠誠心や誠実さのない侍として知られることになるだろう」
僧侶の場合を除いて世論から非難されていた禁欲も、掟では同様に非難されていた。
「人は16歳を過ぎたら一人で生活してはならず、全ての人間は結婚を自然の第一法則として認めている」
人間性を植え付け、道徳的な怠惰を抑圧し、独身を禁止し、家族崇拝を厳格に維持する、この規範を考慮して、イエズス会の宣教の消滅の時に作成された。
「高貴な人も身分が低い人も、偽りの堕落した学校(ローマ・カトリック)を除いて、今日まで続いてきた宗教上の教義に関しては、自分の好みに従うことができる」
「宗教上の争いは、この帝国の悩みの種であり、不幸なことである」
家康の真の立場を理解するためには、この『遺訓』全体を注意深く読まなければならない。
祖先の信仰に加えて、国が許容する宗教を自由に取り入れることができる。
家康は自らも浄土宗の信者であり、一般的な仏教の信者であった。
しかし、家康はまず神道家であり、家康の規範の第三条では、神への献身を第一の義務としている。
「心を清らかにし、身のある限り、神々に敬意と崇拝を捧げることに努めよ」
家康が仏教よりも先祖崇拝を重視していたことは、遺訓の第52条の文面からも明らかだ。
そこで家康は「何人も、他の宗教を信じるがために、国民の信仰を怠ってはならない」と宣言している。
「わが身も他の人も、神々の帝国に生まれ、儒教、仏教、道教などの他国の教えを無条件に受け入れ、それに全精力を傾けることは、自分の主人を捨てて、忠誠を他に移すことである。」
「これは自分の存在の原点を忘れることではないか」
徳川政権の一般的な性格は、前述の事実から、ある程度推測することができる。
それは、250年間にわたって平和を強制し、産業を奨励した恐怖の支配ではなかった。
国民の文明は、様々な方法で抑制され、切り取られ、奪われたが、同時に、育てられ、洗練され、強化された。
長い平和は、それまで存在しなかった普遍的な安心感を帝国全体にもたらした。
個人はこれまで以上に法律や慣習に縛られていたが、同時に保護されていたのである。
仲間に強要されても、仲間はその強要に明るく耐えられるように助けてくれた。
それぞれ皆が共同生活の義務を果たし、重荷を支えるために他の皆を助けた。
したがって、この状況は、一般的な幸福と一般的な繁栄の方向に向かっていた。
その時代には、少なくとも現代的な意味での生存競争は存在しなかった。
すべての人には自分を養ってくれる、あるいは守ってくれる主人がいて、競争は抑圧され、抑制されていた。
さらに、それ以上に改善すべきことはほとんど何も無かった。
大多数の人々にとって改善は必要なかったのだ。
階級や収入は固定されており、職業は世襲制で、富を蓄積しようとする欲求は、金持ちが自分の好きなようにお金を使う権利を制限するような規制によって抑制され、麻痺していたに違いない。
このようにして個人的な野心は抑えられ、生活費は西洋の考えに比べて必要最小限に抑えられていたのだ。
倹約令にもかかわらず、ある種の文化に非常に有利な条件が確立されていた。
国民の心は、単調な生活の慰めを、娯楽や学問に求めざるを得なかった。
徳川の政策により、文学や芸術の分野では想像力が部分的に自由になり、抑圧されていた個性がこの2つの方向性の中で自分を表現する手段を見つけ、創造的になっていった。
民の関心事は日常生活に集中していった。
窓から眺めたり、庭で観察できるような風景。
四季折々の身近な自然の姿。
樹木、花、鳥、魚、爬虫類、昆虫、そしてそれら万物の生き様。
些細なこと、繊細なこと、面白いこと。
そして、この美意識が生活のあらゆるものに反映されるようになったのは、特に徳川の時代であった。
また、文学も芸術と同様に上流階級だけの楽しみではなくなり、様々な大衆的な形態が生まれてきた。
大衆小説、廉価本、大衆演劇、老若男女を問わない物語の時代である。
徳川時代は、日本の長い歴史の中で最も幸福な時代だったと言っても過言ではない。
徳川時代になると、それまで上流階級だけで行われていた様々な娯楽や業績が、一般的なものになった。
その中でも特に洗練されたものが3つある。
それは、歌会、茶会、そして複雑な作法を要する華道。
このような娯楽や技芸が国民的なものになったのは、徳川幕府の時代である。
そして、茶道は全国の女性教育に必須のものとなった。
その精巧さは、当時の多くの絵画に描かれており、その様な技術を習得するには何年もの訓練と実践が必要である。
正直に言えば、この芸術の全体像は、一杯のお茶を入れて出すことに過ぎない。
しかし、それは本物の芸術であり、最も絶妙な芸術だろう。
お茶を入れること、それ自体は重要ではない。
最高に重要な問題は、最も完璧な、最も丁寧な、最も優雅な、最も魅力的な方法可能な行為を実行することだ。
そのため、茶道の修行は、礼儀作法、自制心、繊細さの修行であり、行動や礼儀の修行であると考えられている。
礼儀作法が極限まで培われたのもこの時代であり、礼儀作法が単なる流行としてではなく、芸術としてすべての階級に広まったのもこの時代だった。
日本の最も素晴らしく美しいものは、象牙、青銅、磁器、刀剣、金属や漆の驚異ではなく、女性であるとよく言われている。
どこの国でも、女性は男に支配されているというのが現実だが、他のどの国よりも、日本はそれが顕著である。
日本の女性の素晴らしさは、何千年も何万年もの時間をかけ、完成し、完璧になっていった。
完璧とも言える日本女性という創造物の前に、批評することは不可能である。
強いて言うなら、道徳的な魅力の日本女性は、西洋の様な利己主義と闘争の世界には適さないと言うことが、欠点と言えば言えるかもしれない。
今、私たちに賞賛を求めているのは、西洋の手の届かない理想の実現者である道徳的な芸術家である。
道徳的な存在として、日本の女性は日本の男性と同じ種族に属しているようには見えないと、どれほど頻繁に主張されてきたことだろう。
日本の女性は、日本の男性とは倫理的に異なる存在である。
このようなタイプの女性は、おそらく今後10万年の間、この世に二度と現れないだろう。
近代的な社会でも、私たちが慣れ親しんだ不道徳な形態の競争闘争が行われる社会でも生まれることはなかった。
この日本の様に並外れた規制と体制のもとで、あらゆる自己主張が抑圧され、自己犠牲が普遍的な義務とされた社会でなければ。
個性が生け垣のように切り取られ、外からではなく内から芽生え、花開くことを許された社会、つまり、祖先崇拝に基づいた社会だけが、このようなものを生み出すことができた。
忘れ去られた世界の魅力であると言える。
奇妙で魅力的で、現代語が生まれる前に、西洋では種が絶滅してしまった花の香水のように、何とも言えない魅力がある。
あなたがもし海外で日本女性に出会ったとしよう。
しかし外国の太陽の下では、日本女性の魅力は全く異なるものになり、その色は褪せ、その香水は消えてしまう。
日本の女性を知るには、日本においてのみしか知ることができない。
日本女性は、この奇妙な社会に適応するため、昔ながらの教育によって、道徳的存在の魅力、繊細さ、最高の無欲さ、敬虔さ、信頼を深く磨かれた。そして自分を幸せにするために、あらゆる方法や手段を使い、絶妙に機転を利かせて状況を認識し、価値を見いだしたのだ。
日本の女性は、西洋の基準とは異なる美しさを持っていると言わざるおえない。
子供のような可愛いらしさ、少なくともすべての点で比類のない優雅さを持っている。それは西洋的な基準では図れるものではない。
日本女性のすべての動き、しぐさ、表情は、それ自体が東洋的で、完璧なものであり、最も単純で、最も優雅で、最も控えめな方法で実行される謙虚 な行為である。
では、日本女性は東洋文明の人工的な産物であり、強制的に成長させられたものではないか、と人は問うかもしれない。
「はい」とも「いいえ」とも答えられるだろう。
日本女性は、すべての性格が人工的に作られたものであるのと同じ進化的な意味で、人工的な製品であり、彼女を形成するのに数十世紀を必要とした。
しかし一方で、日本女性は逆の考えもある。なぜなら、日本女性は状況が許す限り、いつでも本当の自分でいられるように、つまり、楽しく自然でいられるように、特別に訓練されているからだ。
昔の教育では、女性の本質的な資質をすべて伸ばし、反対の資質を抑えるように指導されていた。
優しさ、従順さ、同情心、優しさ、可憐さなど、これらの特性は比類のない花を咲かせるように育てられた。
もちろん、このような訓練によってのみ形成される彼女は、社会によって保護されなければならず、日本の古い社会によって保護された。
日本女性の人生の成功の鍵は、優しさ、従順さ、親切さによって愛情を勝ち取る力にかかっている。それは単に夫からの愛情だけでなく、夫の両親や祖父母、義理の兄弟や姉妹、つまり家族全員からの愛情も勝ち取るのだ。
日本女性の人生の成功は、優しさ、従順さ、親切さによって愛情を勝ち取る力にかかっている。
それは単に夫の愛情だけでなく、夫の両親や祖父母、義理の兄弟や姉妹、つまり家庭のすべての人の愛情でもある。
このように、成功するためには天使のような善意と忍耐が必要であり、日本の女性は少なくとも仏教の天使の理想を実現したのである。
これが日本の女性の特徴である。
日本女性の中には、妻としての愛情や親としての愛情、さらには母としての愛情よりも強く、どんな女性らしい感情よりも強い、偉大な信仰から生まれた道徳的な信念があった。
古代の訓練によって形成された日本の女性は、人生の一挙手一投足が信仰の行為であった。
日本女性の存在は宗教であり、彼女の家は寺院であり、彼女のすべての言葉と思考は、死者の崇拝の法則によって秩序づけられていた。
この素晴らしい日本女性はまだ絶滅はしていないが、いずれ確実に消滅する運命にある。
心臓の鼓動の一つ一つが義務であり、血液の一滴一滴が道徳的な感情であるような、神や人に仕えるために形成された人間という生き物は、競争の激しい利己主義の未来の世界では、地獄の天使にも劣らず場違いな存在であった。
1904初版
パトリック・ラフカディオ・ハーン