従兄弟デニスとの思い出
従兄弟デニスとの思い出
1977年、ブリティッシュ・コロンビア州の小さな田舎町に、従兄弟のデニスが遊びに来ました。その日から、私の人生は変わりました。
デニスは、14歳の私をレコード店に連れて行き、レッド・ツェッペリンIVとリトル・フィートのWaiting for Columbusという2枚組のアルバムを買ってくれたのです。
これらのアルバムに出会えたことで、私の音楽に対する、生涯に渡る愛が更に深まったのです。
私の母マギー・メイは、幼い頃から私達子供を、クラシックやジャズのコンサートに連れて行ってくれました。それが私の音楽への愛情を掻き立てたのでした。
デニスは真の音楽ファンで、70年代に流行した、ほぼ全てのアーティストを見るために、遠くまで足を運んだものでした。
デニスは、まさに時代の人であり、自分なりのやり方で、精一杯生きた人でした。
デニスは、カナダ北部の極寒の地で、パイプラインを建設するという季節労働の仕事を選び、成人してからも、そのほとんどを現場監督として働いていました。
デニスは、一日中オフィスに座っているような仕事は選ばず、儲かる季節だけ働き、その他の貴重な時間を自分の信念に従って生きることに費やしました。
ある夏、デニスはエアストリームというキャンピングカーを引いて、私の町にやってきました。
「夏の間休止している鉱山キャンプの 手入れをしに行くんだ。」と、デニスはオフロードバイクのチューニングをしながら、嬉しそうに言いました。
ハスクバーナのオフロードバイクが、カナダ北部の真の自由、そして生きていることの意味を教えてくれたことは間違いありません。
デニスはペスカタリアンで、タバコも吸わず、お酒も付き合い程度しか飲みませんでした。
おそらく、不健康な生活習慣のために、心臓発作で早死にした実の父を見て、自分自身の健康と死を意識するようになったのでしょう。
しかし、時の流れを止めることはできません。そして、人には最後の時が必ず訪れます。
つい2週間ほど前、私はマギー・メイから電話があり、いとこのデニスがステージ4の食道がんで、肺と骨髄に転移していると突然電話で告げられました。
非常にショッキングなニュースでした。
マギー・メイからのショッキングな電話から2週間、あっという間に時間が過ぎ、まるで昨日のことのように思えます。
最愛の従兄弟であるデニスは、2022年11月24日03:12に亡くなり、神となりました。
私は数年前、今は亡き父ローレンスの85歳、母マギー・メイの80歳を祝う盛大なパーティを計画していました。ワクワクしながら、その計画について話したのが、デニスとの最後の会話となってしまいました。
当初の計画では、私と妻で故郷カナダに帰り、大勢の親戚達を集め、本来あるべき姿の長老たちを崇め、称えることになっていました。
しかし、2020年初頭からのコロナ時代の幕開けとともに、皆の失望と共に、盛大なパーティを含めた、私達の故郷への旅は中止となったのです。
とても残念なことに、私の愛するデニスと、生きているうちに二度と会うことができなくなったのです。
しかし、特別な私の従兄弟との、とても楽しく、美しい思い出は、自分に最後の時がくるまで、私の心を温め続けてくれるでしょう。
デニス、幼かった少年の私に、兄のような愛を注いでくれて、そして私を、あなたの友人にしてくれて、本当にありがとう。