愛は肥料
愛は肥料
愛は人生を成長させます。
愛の反対は憎しみだと言いますが、それはどうでしょうか。
心の腐敗、落胆、将来への絶望、この3つの愛に対しての敵が、大きく自身にのし掛かり、鬱に繋がると考えられます。
偏見
ジンゴイズム、差別、教条主義、同性愛嫌悪、そして、個人の性格ではなく肌の色で他人を差別し判断する、国家政府の政策の最悪の例である、ジム・クロウ主義。
ナルシシズム
過度な自己愛
自分自身を深く深く愛するために、社会で暴れまわるこのような妄想の生き物には事欠かない。
偏見とナルシシズムにより深く精神的に病んだ人物は卑劣で、平気で他人を自身の喜びとサディスティックの為に使い捨てにし、踏みつけるのです。
ナルシシズムのウイルスのような現象が、洗脳された大衆に感染しているのを観察することができます。真実はこうです。
しかし極めて残虐な振る舞いをする人々は、実は極端なほど敏感で、心の奥底では臆病者で弱虫なのです。
ナルシストな振る舞いをする理由は、逆説的ではありますが、自分自身の不十分さや憎しみという捩れた感情から出てくるのではないでしょうか。
孤独と現実を目の当たりにして、潜在意識下で「自分の人生は無意味だ」と悟ってしまうのです。
貪欲
ホモ・サピエンスが暴力的で、残酷で、致命的な存在になったのは、金に対する愛略奪、強姦、盗みを行うという絶望的な貪欲からでしょう。
以前、「愛してるよりも大好きなあなた 」という記事で紹介しましたが、愛は文化によって異なる意味を持ちます。
愛という普遍的な言葉は本来制限はありません。本当の愛は無条件に空中に散りばめられているのです。
そうすることで、人は自分の人生に意味を持ちながら、感謝の気持ちを表現することができるのです。
次のような実話があります。
昔、日本の田舎で、冬の暗い雨の降る夜、20リットルの灯油缶を2本入れて信号待ちをしている外国人男性がいました。
突然、そこをたまたま通りかかった一台のホンダステップワゴンがその外国人男性の傍に停りました。すると運転手はドアを開け、「さあ、どうぞ乗って下さい」と言いました。
そして奥さんとお子さん待つ家に向かう男性を、灯油と一緒に乗せた道中の車内で、その一家がスリランカ出身であることが分かりました。
そしてその時、ステップワゴンの運転手は、その一家の人生を少しでも豊かにしたいと考えました。
たまたまポケットに1万円札が入っていたのを確認し、それは見知らぬ人への無条件の愛の行為に使われました。世界の調和の真理が映し出されたのです。
愛の肥料は、見知らぬ人にお金を贈ることで、物質界に現われました。それはあなたの家族のためでもあるのです。
その無作為の愛の行為は、自己よりも調和を選択する人間性の基本的な原理として、自分自身の祖先をモデルにしました。
このような愛は、私たちの一族の氏神様が、この世を旅する際に見知らぬ人に礼儀を尽くしたように、自分の人生を通してはっきりと現れました。
小さな共感は、人間の状態と魂の最も暗い部分に、悟りの光の無限のエネルギーを照らします。そして人間性を肥やすのが愛と考えることができます。
無条件の愛という永遠の真実は、自己を犠牲にして調和のために犠牲を払うときに明らかになります。
小さな無作為の親切が、単調な一日を明るくします。そして長い長い道のりを歩むのです。