我慢と忍耐
我慢と忍耐
この言葉を最初に聞いたのは、「開国」のためにやってきた口うるさい肥満のからでした。
ところで、「開国」という言葉は、1853年にペリー提督と重武装した黒船艦隊が江戸湾に来航したときに一緒に入ってきた言葉です。
これにより、日本は264年に及ぶ「」に終止符を打ち、欧米諸国と強制的な国交を樹立したのです。
いわゆる砲艦外交であり、この隷属的な外交儀礼は今日も世界的に多様な文化を破壊し続けています。
例外主義という妄想が多様性の美を飲み込み、心、精神、魂のない地獄郷の様な白黒の世界を噴出させているのです。
「開国」という卑屈で軽蔑的な言葉に象徴されるような傲慢さで日本にやってくる人々を、多くの日本人は軽蔑しています。
貪欲なアメリカ人という騒々しい塊は、最初から失敗する運命にあったのです。
「日本を開国する」ことになると、ほとんどのアメリカ人は失敗します。特に、貪欲なナルシストの多くは、チャラ男の様なものなのです。
直訳すると「キンポウゲを吸え」という英語の比喩があります。
本来キンポウゲは、成長、若さ、健康、魅力などの意味を体現した美しい花です。
しかし言葉は時代とともに進化し、その社会のありようを反映していきます。
美しいキンポウゲが、現代の英語を話すある国では、弱さや侮辱する蔑称になっているのです。
キンポウゲのような美しい植物が、本来の意味を奪われ、醜く、否定的で、破壊的なものに変わってしまうのは、なんと悲しい事でしょう。
本来、「キンポウゲを吸え」とは、不屈の精神と忍耐力を持つことであり、本来は尊いものなのです。
ここで、世界共通語である英語と、その反対語である日本語の分かれ道が見えてきます。
忍耐、不屈、回復力、粘り強さ、我慢など、こうした高貴な特性は、すでに日本の文化に具現化されており、表意文字に含まれるものとして大きな重みをもっています。
日本古来の言語と同様に、最小限の言葉で多くを語るのが日本人の美徳です。
日本では、忍耐や我慢といった天賦の資質は、言語化する必要はなく、密教の言葉の中にある様に、その場の空気の中にあります。
現代の異常な時代には、賢い人とそうで無い人が二分化されています。
このような時に、日本的な忍耐力が必要であり、第三の文明国である日本が、人類の新しい模範を創造していかなければなりません。
日本人の精神と言葉の中には、第三の文明を構築するための概念が宿っています。
個人的な過去の痛み、苦しみ、悲しみを乗り越え、この不安定な世界を生き抜き、柔軟性を持ったコミュニティーの構築と、人類の全体像の創造を推進するための、日本独特の概念をいくつか紹介します。
(1) 災い転じて福となす
(2) 辛抱
(3) 忍耐
(4) 根気
(5) 堪忍
(6) 我慢
今こそ、日本の「忍耐」「我慢」「災い転じて福となす」を体得する時でしょう。