故郷
故郷
日本人は、数千年の歴史を持ち、日本列島の地理的特性から、独自性と文化的卓越性を身に付けてきました。
しかし、日本人は本質的に、精神的な拠り所を見失っています。そのことで、世界の国々の中で、居場所のなさや孤独を感じる原因となっています。
日本人は今だに部族的、縄張り意識の強い民族であり、「生まれ故郷」「ふるさと」「故郷」「出身地」に対する愛着が根深いのです。
その上で、日本人は、さらなる精神的な故郷への憧れを抱いています。
なぜでしょうか。
日本の初期の文化は、朝鮮半島を経て中国から直接入ったものがほとんどです。
日本人は長い間、中国から隔離されていたにもかかわらず、自分たちは中国の模倣に過ぎないという、内なる思いを払拭しようとしているのでしょうか。
19世紀半ば以降になり、日本が欧米に大きな影響を受けてきました。それが日本という国の特異性を如実に示しています。
そのため、日本人の伝統的な作法に、外来の概念や習慣が重なり、日本人の精神に負担をかけ、日本社会の中で文化的摩擦が起きているのです。
日本人は、今だに本当の心のふるさとを探しているようです。今だに中国を心のふるさとだと言う日本人も多くいます。
これは、日本人が儒教の思想を生来的に理解しており、この道徳的、人間的なプロトコルが日本人の道徳的、精神的な性格の基礎となっているという意味においてのみ、真実なのです。
儒教とその思想は、西洋の精神に対応するものはなく、また、野蛮な西洋人には、孔子の生涯が体現した、永遠の人間的原則を理解することは不可能でしょう。
儒教は世界観、社会倫理、政治思想、学問の伝統、生き方を体現しており、哲学とみなされることもあれば、宗教とみなされることもあるのですが、実際にはその両方なのです。
それは、祖先への畏敬の念と、人間を中心とした深い宗教心を伴う、包括的な考え方と生き方であり、日本人の場合は、「形式順礼」を中心に構成されています。
「形式秩序」のプロトコルは、日本人が日本の文化や儀礼の古さを愛することに根ざしているのでしょうか。
孔子の旅は根源を求める旅であった。孔子は人間の最も深いところにある帰属と伝達の欲求に根ざしたものであると認識し、それによって儚い人生に目的と意味を与えています。
孔子は自らを発信者であると考え、新しいものを得るために古いものを意識的に再活性化させようとしました。
これは紛れもなく、社会、文化、そして日本人の精神に根ざしているものです。
それは、孔子が深遠なる旅路の中で見出した「改善」という日本独自の概念にも表れているように、新しいものを得るために古いものを再活性化する、これは日本人の本質的な行為なのです。
日本人は、中国発祥の精神的概念を取り入れながら、人間的な基本原理を東洋と西洋の文化や概念に融合させ、文明の第三の柱を作り上げたと言えます。日本という文明の第三の柱が誕生したのです。
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