文明 3.0
文明 3.0
「東洋」と「西洋」の間の亀裂が今ほど不安定になったのは、20世紀初頭の大規模なオピオイド中毒による中華民族の奴隷化以来でしょう。
西洋文明はギリシャ・ローマから発展し、東洋文明を考えるときには、東洋の代表として孔子発祥の地である中国が一番に思い浮かびます。
アジア諸国の道徳は、先祖崇拝を第一義とし、釈迦の平和的な教えを取り入れたものであることを忘れることはできません。
なぜ、このような歴史の転換期において、二つの文明が対決することになったのか、なぜ、日本という国が近代文明の第三の柱であったのか、私たちの記憶を呼び起こしてみましょう。
19世紀半ばの中国で、清朝(644〜1911〜12)と欧米諸国の軍隊との間で2つの武力衝突がありました。
この2つの戦争は、”アヘン戦争 “と呼ばれています。
第一次アヘン戦争は、中国とイギリスの間で戦われました。(1839〜42年)
第二次アヘン戦争は、アロー戦争とも呼ばれ、イギリスとフランスが中国と戦った英仏戦争です。(1856〜60年)
これらの紛争は、中国との不平等条約時代の幕開けとなりました。
しかし、西洋人のアジア人に対する悪意と不名誉な振る舞いは、英仏の支配者たちにとっては当たり前のことで、この卑劣な試みは今日に至ってもまだ、さまざまな形で残っています。
植民地時代の話ですが、南京条約によって、イギリス植民地支配者が香港を手に入れたのも、この頃からです。
この狂信的で貪欲な苦痛と不幸の商人たちが、大量のオピオイド薬物添加によって東洋文明を奴隷にしようとする卑劣な策略によって猛攻撃を受けた結果、中国人はこの忌まわしい西洋の手順に抵抗し続け、第二次アヘン戦争に至ったのです。
18世紀以来、インドを中心にアヘンを中国に違法に輸出していたのは主にイギリスの商人で、その取引は1820年頃から急激に増加しました。
さらに、オピオイド中毒の蔓延は、中国社会の社会的、道徳的、経済的基盤の深刻な崩壊を引き起こしました。中国社会は、親孝行と祖先崇拝という重要な人間的原則の上に成り立っていることを明確に指摘するべきです。
親孝行は、アジア社会の共同体の核となる考え方であり、祖先崇拝は、日本や東洋の文明を、西洋の目で見た場合とは異なるスペクトルに見えるのです。
家族、地域社会、そして人間を互いに、そして人間らしさから切り離すという誤った教義の上に築かれた文明は、残念ながら誤謬の重みで崩れ去る運命にあるのです。
まだ現実から切り離されている民族は、これから聖なる鏡を覗き込むことを余儀なくされ、現実の感情と飢え苦しみが、自らの決断によって反映されます。
しかし、絶望することはありません。希望は永遠に湧いてきます。
文明の第三の柱である日本には、日本人が生まれながらにして持っている礼節があります。
実際、日本文明は、この太平洋の孤島で2千年以上にわたって礼節を進化させてきました。
日本人は、イエズス会の教義をローマで拒否して、かろうじて致命的な文化的弾丸をかわしたのです。
その後、日本人は200年以上にわたって、西洋の影響を受けずに独自の文明を築き上げました。
そして、明治維新以降、日本人は外来の概念をうまく統合し、新しく、そしてしばしば優れた概念に鍛え上げたことが歴史に証明されています。
今日の日本文明の発展も同様です。
それなので日本人は、他国よりはるかに古く、時代を超えた知恵と深い教養を持ちながら、過去のしがらみにとらわれず謙虚であることができるのです。
日本が核兵器による惨禍を2度にわたって経験した、唯一の国であることを忘れることはできません。
今また、人類は核兵器による滅亡の危機に瀕しています。
もし、日本が再び核兵器の火の粉を浴びるようなことがあれば、それは文明の第三の柱である日本の終焉であるばかりでなく、全人類の文明が一挙に消滅することになるのです。
日本文明の柱を理解するためには、7世紀に聖徳太子が書いた日本国憲法をよく調べてみて下さい。
聖徳太子の憲法には、普遍的な指針である「道徳」の概念があり、その精神が具現化されています。
道徳とは、すべての人が、何が正しくて何が間違っているかを自ら判断し、社会の中で自分の置かれた立場で適切かつ適切に行動するための一般的なルールと言えます。
法律とは異なり、外部からの強制力はなく、個人個人が自分の道を歩むための内面的な原理として機能するのです。