日本の家族
日本の家族
先祖崇拝には、宗教的・社会的な進化の過程で3つの段階があり、それぞれが日本社会の歴史の中に見られます。
家庭
地域社会
国家
第一の段階である家庭は、定住文明が確立される前、まだ国家的な支配者がいないときに誕生したもので、長老や戦国武将を領主とする大一族でした。
その時代は、家族の祖先のみが崇拝され、各家庭はそれぞれの死者を敬い、他の崇拝形態を認めていませんでした。
家父長制の家族が部族に分かれていくと、部族の支配者の霊に生け贄を捧げる習慣が生まれました。
部族は家系に加えられ、祖先崇拝の第二段階である地域社会となりました。
最後に、すべての氏族や部族が一つの最高責任者の下に統合されると、国の支配者の霊を拝む習慣が生まれました。
この第三形態の祖先崇拝は、日本の義務的な「宗教」となりました。
しかし、これは先の2つの祖先崇拝に取って代わるものではなく、3つの祖先崇拝は調和し、存在し続けています。
さて神社はどのように進化したのでしょうか?
古代の日本人の住居は、非常に単純な木造建築でした。
死者は一定の期間亡くなった場所か、死者のために作られた地下施設に安置されました。
そして死者の前に食べ物や飲み物を供え、死者を讃える詩(篠笛・誄歌)を捧げました。
笛や太鼓、踊りなどの音楽とともに、家の前には火が焚かれ、人々が喪に服した後、死者は埋葬されました。
このような廃墟となった住居がそのまま残り、そこから神道が発展していきました。
そして埋葬後、一定期間ごとに墓で儀式が行われ、霊に食べ物や飲み物が振る舞われました。
さて、日本の伝統を重んずる家を訪れると、壁に神棚という小さな神社が設けられていることがあります。
神棚には、ご先祖様の生前と同じ名前のお神札が祀られます。
因みに日本では、仏教の伝統に従って先祖を崇拝する家庭もとても多く、その家には仏壇があり、そこには故人の死後につけられた戒名が刻まれています。
「宗教」とその信仰を考える上で最も重要なことの一つは、その行動や性格との関係でしょう。
日本人は、故人は死んでも尚、子供や親族からの愛情と尊敬が必要だと考えられているのです。
人は肉体は滅んでも、残された人々の間では、神としてこの世に生きていると信じられており、故人は目に見えないところで家を守り、そこに住む人々の幸福を見守っています。
日本人は神を、天国や地獄を支配する全知全能の存在とする様な概念は持っておらず、神は上位の者として考えているのです。
興味深いことに、日本の仏教徒の大半は神道も信仰しており、この二つの信仰は一見矛盾しているように見えますが、長い間、一般の人々の間で調和してきました。
定着した文明を持つすべての家父長制社会では、祖先を崇拝することから、親孝行という宗教が生まれます。
祖先崇拝を重んずる文明人にとって、親孝行は今でも最高の美徳です。
しかし、「親孝行」は英語には翻訳されておらず、根本的にこの異質な概念は、西洋人の頭脳の枠組みの中では理解できないか、あるいは完全に否定されてしまいます。
「親孝行」という言葉は、初期ローマ人の古典的で家庭的な「宗教」の様な意味で理解される必要があります。
死者への敬意と、生きている者への義務の心。
親の子への愛情、子の親への愛情。
夫婦のお互いの義務と、婿と嫁の家族に対する同様の義務。
紛れもない事実は、極東の倫理体系全体が家庭の「宗教」から派生したものだということです。
生者と死者に対する義務の考え方が発展し、尊敬、忠誠心、自己犠牲の精神、愛国心などの美徳的特性が生まれました。
古くから行われてきた祖先崇拝では、一族のそれぞれの人間が、自分たちを永遠に先祖の霊の監視下に置いていると考えることができます。
ご先祖様は私たち全ての行動を監視していて、私たち全ての言葉に耳を傾けています。
思考もまた、行為と同様にご先祖様の視線にさらされており、私たちはその下で心を制御し、純粋な心を持たなければなりません。
おそらく、何千年にもわたる日本の社会的進化の中で、途切れることなく与えられたこのような信仰の影響は、日本人の魅力的な側面を形成するのに大いに役立ったことでしょう。
「日本の道」とは、死者が実際に肉体を持っているかのように家庭で仕える、感謝と優しさの社会的慣習であると言えます。
親孝行や祖先崇拝の概念を体得することは、21世紀の現代社会を生き抜く上で、自分の人生を切り開くための道徳的な指針となるでしょう。
日本 その解釈の試み
1904初版
パトリック・ラフカディオ・ハーン