最後のオリンピック – 1976年
最後のオリンピック – 1976年
1976年夏、カナダのモントリオールで開催されたオリンピック。
国際オリンピック委員会(IOC)は、ニュージーランドのラグビーユニオンチームが1976年初めに南アフリカを遠征したにも関わらず、国連が制定していたアパルトヘイトに関するスポーツ禁止令に反して、ニュージーランドを参加禁止にしなかった為、アフリカを中心に29カ国がモントリオール大会をボイコットしました。
とはいえ、まだ世間知らずのティーンエイジャーだった私は、さまざまな国とその代表者、そして国旗、国歌、言語を目にして、とても興奮したものでした。
当時は、激しいスポーツ競技だったにも関わらず、親善試合を通じて世界の一体感を深く感じていました。
この競技以外では、参加国の政治的イデオロギーは、これ以上ないほどに乖離していたにもかかわらず、ここではすべての代表が公正さとスポーツマンシップの感覚を生み出していたのです。
このスポーツイベントは、世界の一般市民を結びつけ、平凡で退屈な日常に喜びと興奮をもたらしました。
この大会に限らず、スポーツ界で最も華やかなハイライトとなったのが、ルーマニアの体操選手ナディア・コマネチでした。
彼女は14歳にして、世界で初めて10点満点を獲得した選手です。
興味深いことに、Y2K問題で心配されたトラブルの様に、その時スコアボードには3桁の数字しか表示できず、スコアは1.00と表示されてしまいました。
しかし、1980年以降、オリンピックは卑劣な政治的武器となり、かつての重要なスポーツイベントの本質と意味を消滅させてしまいました。
アメリカを筆頭に、66カ国がソ連・アフガン戦争を理由にオリンピックを全面的にボイコットしたのです。
そして、いつものように、学校の校庭で鼻水を垂らした子供のように、ソ連は1984年の夏季オリンピックをボイコットしました。
それ以来、オリンピックが開催されているにもかかわらず、貪欲な権力は、年々、桁違いに増大しています。
その結果、IOCとそれに便乗している関係者は、貪欲な私腹を肥やすことになるのですが、その魂のない死骸は世界中で蔑視されているのです。特に現在は、何の利益も得られない日本の一般国民が搾取されています。
この卑劣で貪欲な集団は、常識や日本人の生活を顧みない、まさにサイコパスです。
このような見苦しい側面は、日本国民にだけでなく、世界中の人々の人間性に対する、IOCと関係者の絶望的な貪欲さ、権力、普遍的な悪意の集団であるという事を、常に覚えておいてほしいのです。
この捕食者たちは、軽蔑されてもしかたないでしょう。
正直に言って、罪深い貪欲な日本人もいますが、彼らはIOCの汚職・接待文化の手先に過ぎず、私たちが知っている愛する日本人の代表ではありません。
実際、そのような日本人は腐敗した権力と貪欲さに酔いしれており、心が弱い上に汚く、日本のパスポートを持つに値しないと、私は思います。
中国で開催される次のオリンピックをボイコットしようという西洋諸国からの最近の騒動で、すべての人がオリンピックが死んだことを確認できるようになりました。強欲、汚職、不正行為の腐った巣窟であり、その醜さは今や見ようとする全ての人の視界に入ってきています。
2020年(実際の開催は2021年に延期となりましたが)の東京オリンピックでは誰が勝者となるのでしょうか?
残念ながら、それはIOCなのです。
おまけNo.1。
最近の日本では、女性を重要なポストに就かせるべきだという声が高まっています。しかし残念ながら、橋本聖子さんは、この茶番劇の生贄として指名されてしまいました。これはアイバン・モリスの「The Nobility of Failure(失敗の尊さ)」という名著の中の悲劇的な物語の1ページを思い起こさせます。
おまけNo.2。
オリンピックの棺桶に打ち込まれた最後の釘。
ニュージーランドの重量挙げのハバード選手が、オリンピックに出場する初のトランスジェンダーのアスリートになりました。私はトランスジェンダーに理解がある人間ですが、アスリートのスポーツとなると話は別です。
このタフなスポーツで懸命に努力してきた生物学的に女性である人達が、人生の最初の35年間は生物学的に男性だった人との前例のない競争に直面しているのは、本当に残念なことです。