本当に偉大な私のひいおばあさま
本当に偉大な私のひいおばあさま
先祖崇拝という進んだ概念
西洋の伝統の中で育った私は、子供の頃に親に連れられ、様々なキリスト教会に行ったことがありました。私はその経験のためか、日本に渡った当初、日本人の先祖崇拝の概念を理解することが、なかなか難しかったのを覚えています。
比較的に最近のことですが、私の大切なカナダに住む母親は、自分のルーツを深く探るため、自身の父方の家系図をまとめました。
母が語る曾祖母についての昔のエピソードは、とても興味深く、私の笑いのツボをとても刺激するものでした。
今では、彼女の息子である私の祖父が、なぜ素晴らしいユーモアと、鋭い辛辣なウィットのセンスを持ち合わせた人だったかが、そのルーツから、はっきり理解できるようになりました。
私の曾祖母、ヘレン・オルガ・キーン・インゲルス・リチャードソンは、10人の子供を産みました。
最初の4人はインゲルスとの間に、その後の6人は2番目の夫リチャードソンとの間に生まれました。私の祖父はヘレンの最初の夫インゲルスとの息子です。
第一次世界大戦から戻ってきたインゲルスは、ギャンブル好きで女好きの浮気者でした。そんな夫をヘレンは自ら見限りました。
ヘレンはインゲルスに「この4年間、私は一人で立派に4人の子供を育ててきました。そしてこれからも一人で育てられるでしょう。さあそれぞれ別の道を進みましょう。」ときっぱりと言ったそうです。
ヘレンは幼い頃の私の祖父と、鼻にピーナッツバターを塗り合い、ふざけ合った思い出話など、愉快なストーリーがあります。そんなエピソードから、彼女がいかに楽しく魅力的な女性だったかがうかがえます。
また、彼女は幼い私の母親に、「インゲルスさんがベッドの柱にズボンをかけると、私はいつも妊娠するのよ」と冗談を言っていました。
彼女の写真をご覧ください。19世紀後半に生まれ、ヴィクトリア朝時代のような雰囲気の写真ではないですか。西洋もまだ保守的であった当時としては、彼女の発言は大変興味深いと思います。(1896年・明治29年生まれ)
幸いなことに、私の母は家系を徹底的に調査し、ヨーロッパからアメリカの東海岸へ、そしてブリティッシュ・コロンビア州の西海岸への移住ルートなど、本当に興味深い話がたくさんあります。
その当時、20世紀初頭の国を超えた移動の旅は、想像を絶するほどの大変なもので、忍耐と持久力が必要な、非常に苦しい生活の連続でした。
私はそのような時代に思いを馳せる時、ご先祖様への感謝の気持ちがよみがえります。
私の偉大なる曾祖母ヘレン。本当に感謝しています。
私達子孫にとって、あなたは素晴らしい女神であり、今では遊び心のある、いたずらな女神様とみなされていることをお伝えします。
あなたは今、日本にある私の家の神棚(と呼んでいる場所)で崇められています。あなたはきっとご自身がそこに置かれている事に驚いていることでしょうね。
日本の進歩的とも言えるご先祖さまの考え方では、死んでもこの世に半分魂が残り、そして子孫を見守ってくださっていると考えられています。
私は、私の祖父と過ごしたたくさんの子供時代を通じて、曾祖母ヘレンの精神を感じることができます。
確かに、日本人が信じているように、先祖は一族を見守り、子孫の行動や言動に影響を与え続けています。
ご先祖さまは、過去、現在、未来の全てを見守っていてくれています。ですから私達は、ご先祖さまに恥ずかしくない行いをするべきだと。そう思いませんか?