概念
30年以上も前に、異邦人の私は来日しました。
日本の社会、人間、生き方がとても気に入り、永住者として日本に住んでます。
人生は山あり谷ありと言いますが、私も沢山のことがありました。
悩みや苦しみが全く無い人間はいないと思います。
日本語とは、言葉による単なるコミュニケーションツールだけではありません。古代からの日本の言葉には、言葉では表せない社会的な慣習や、プロトコルがたくさん含まれており、西洋人の心とは大きく異なります。
日本は世界から“The Land Of The Rising Sun”『日出国』と呼ばれています。本来はSunは太陽ですが、私なりに解釈し、SunをSon(息子)として擬人化し、Land Of The Rising Sonとしました。
毎朝太陽と共に起き、良い人生を行うように行動をする。息子と言っても、勿論女性の方にも読んでいただきたい内容です。
“Rising”の“Rise”は本来は起きるという意味ですが、私は『人生をもっと上昇させよう』という意味で使っています。
我々の日本が、古き良き日本らしさを残しつつ、もっともっと良い方向へ進化していくことを願い、そして日本の皆さんのために、私はこのホームページを制作しています。

人生は偶然の連続だと私は思うのです。私がこんなに興味深い人生を過ごすことになるとは、誰が想像したでしょう。学校で教師から見た私は、あまりできのいい生徒ではなかったかもしれません。そして伝統的な学習と言う響きは、その当時の私にとって、平凡で刺激のない事に思えました。幸せの反対は悲しみではなく、退屈なことだと思うのです。日本での生活は、日本の文化や生き方を身につけながら、様々なビジネスベンチャーから、日本語の深い学びに至るまで、私に多くのチャンスを与えてくれました。
さて、経験は一番の先生と言えます。これは間違いないでしょう。日本の複雑な面を理解することは、大変困難なことだと思います。私も自分の経験と、その経験から知る教訓を、実際に生かすのには時間がかかりました。しかし一旦気がつくと、ある種の悟りが訪れます。
このLand Of The Rising Sonでは、東京郊外の田舎町で、妻と5匹の猫(パンケークス、トゥインクル、シナモン、グレイス、ジャスミン)、そしてカナダ・ブリティッシュコロンビア州中部の、小さな町からやってきた私との暮らし、そして30年を超える日本での経験と考察について綴っています。
このホームページは、読者やリスナーの皆様に、ユーモアも交えながら、様々な情報を提供したり、学び、楽しんで、豊かになってもらうことが狙いです。
日本という稀に見る特別な社会と、日本の古来からの言語については、ポッドキャストとブログで、ぜひ読んで、そしてお聞きください。
人生は色々である
- クランキーオールドバスターズのブルーズロックトリオのベースになる
- クランキーオールドバスターズ の歌詞作成
- 日本の国民の総合的な健康のため機能性食品の輸入業務を開始
- 日本人の 喜びのためカナダの 限定作品アートレンタルビジネスを開始
- カナディアン2×4受託部材を輸入して、カナダ人大工さん3人頼んでマイホームを建築
- フォトショップ1.0のソフトを使ってグラフィックをデザイン
- 効果音のソフトをローカライズしてソフトと効果音をネット販売
- アメリカンネットワークマーケティング会社の準備室のコンサルタント
- 有名なサイエンスジャーナル出版社の論文記事の校正
- 英会話塾を設立と運営
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小さい重機レンタル会社の輸出マネジャー(バブルの時は私たちの様な兄弟にもかかわらずに、一応“成功“でした)
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日本語能力試験2級合格
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日本一のオートセンターのトレーニングビデオのナレーション
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カナダの故郷へ高級車を輸出
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インドのアニメ会社に依頼をして、クランキーオールドバスターズの「居候」のアニメを作成
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様々な他人の手のマサーッジを始め、人生の意味について語りあう
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ミネラル、ビタミン、プロティンサプリのみ2週間の断食
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カナダにあるプランクトン園と独占契約を結び、洗練された機能性食品原料を開発
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日本のカナダ大使館で、新しい機能性食品に関してのプレゼンテーション
私の映画は誰のもの
映画の筋書きと、その中での自分の役割を理解することは、人生の意味を理解するための第一歩です。勇気のある人は、非常に親密で様式化されたトゥルーマンショーのスター、プロデューサー、監督になることもできるのです。
材料にする
これら三つの忠実な味方は、謎めいた人間の心の中にある抽象的な観念から、円滑な調和的伝達を促し、この歴史的に重要な時代に、振動する観念を物質的な構造へと成形するために、何度も何度も頼りにすることができるのです。
玉に瑕
実のところ、不平や不満の発生はすべて、きっと「挑戦的態度」ゾーンから発生しているのでしょう。「挑戦的態度」という最近の私のブログをご覧下さい。
個人の鬼コーチ
最近、高等教育機関と呼ばれる学校内で、不愉快な存在が明らかになりました。
器用貧乏
多芸多才でなだけでは飽き足らず、一つのことを極めようとするあまり、毎日早朝から日本語の隅々までを探求しています。
レオニー・ギルモア
1901年、ニューヨークに到着したばかりの、当時25歳の日本人作家、ヨネ・ノグチは、ある求人広告を出しました。レオニーは、その求人を見て応募し、それが二人の出会いでした。
偶発的な西洋人
個人の気質や組織やサークル内での地位によって、愛称は様々であり、辛辣な舌鋒と愛情を散りばめた愛称もありました。
戦争の子供
私の最愛の義父は、1959年に早稲田大学を卒業し、日本のかつての国営放送NHKでキャリアを積みました。ウィットに富み、ストイックで、ブラックユーモアのセンスを持つ義父。そんな義父は、終戦を迎えた時、たった9歳でした。そしてその後、戦争の後始末と家族の再建を任されたのです。
手放し
残酷な自己実現に伴う最初の内的混乱の後、心が普遍的な真理に向かって動き出し、もはや「今日の味」の奴隷ではなくなるにつれて、平穏は他にはない心の平穏と精神の明晰さを授けてくれます。
ギャラリー

