父の帽子が日本に帰ってきた!
父の帽子が日本に帰ってきた!
私の父が日産社の招待で1968年に日本に来た時、この帽子をかぶっていました。
ダットサンとは?若い人は知らない人も多いかもしれませんが、日産の輸出ブランドです。ダットサンについて
実は私の最初の車はダットサン510でした。お父さん、本当に私の初めての車のために、半分の代金を支払ってくれてありがとう。
私は父親から、自分自身で支払う事の大切さを学びました。これは非常に貴重な教訓になりました。
カナダで最初のダットサンディーラーの一人としてダットサンから日本に招待された彼は、たいそう喜んでランドオブザライジングソンに関する素晴らしい土産話を持って帰ってきました。
そして彼はお土産に箸と箸置きを持ち帰り、家族にその使い方を教えてくれました。
お世辞が上手な日本人はいつも「箸を使うのが上手ですね。」と今の私の箸のテクニックを褒めてくれますが、その時私は苦笑いをしてしまいます。そして「あなたのスプーンの使い方も上手ですね。」と少し皮肉を込めて返します。
もしあなたがランドオブザライジングソンに来て「おはようございます。」とだけ言っても、日本人は「日本語が上手ですね。」と褒めてくれるでしょう。それは日本人がこの難解な社会をスムーズにしているのです。
父のランドオブザライジングソンへの初めての旅に話は戻ります。
彼はパレスホテルで生の魚と天ぷらを夕食に食べ、朝食には和牛ステーキをご馳走になりました。これは日本を好きにならない訳がないでしょう。
そして私の父はダットサンの車を輸入する際、バンクーバーの港まで到着した車を取りに行き、美しいフレイザーキャニオンを8時間かけて運転して帰ってきました。
想像してみて下さい。5歳の少年のお父さんが、240Zに乗って帰り、それを1st Aveの自宅の前に駐車したときの、この少年の驚きを。
非常に特別な経験でした!
さらに200SXとダットサンピックアップトラックという興味深い車も持ち帰りました。
お父さんは数年間ダットサンのディーラーを経営しましたが、最終的には長い時間の仕事に就くのをやめ、その会社を売却しました。
そしてその代わりにブリティッシュコロンビア州の手つかずの自然豊かな環境で家族とキャンプ、ハイキング、釣りを楽しむ事を決めました。
その選択をしてくれた父に感謝しています。それ以上の子供時代はなかったでしょう。
今、父の帽子は日本に帰ってきて、家族の家宝として私に伝えられています。
1968年に父が訪れた日本と、今の日本はあらゆる面で大きく変わっていますが、この帽子を着用することを光栄に思いながら、日本の本質は今も昔も変わっていないと感じます。