現世を生きるとは
現世を生きるとは
生命とは、父親と母親という他人同士の結び付きから始まります。どんなに異常な時代に生きていようと無かろうと、全ての人間に共通する現象です。
生まれる事、そして死ぬ事、この二つだけは確かなことだと言われています。
生まれて間も無く、本格的な洗脳が始まりますが、これらの幻想的な物語には、永遠の命が約束されているののが通例です。
実に世界人口の半数以上が、霊的な死後の世界を信じています。その部分だけ見れば、原理的には、それほど悪いことではないでしょう。
問題の核心は、現世より、天国に行ってからの明日の方が幸せになれるという神話的な約束のために、この現世での素晴らしい生活を諦め、捨ててしまう人間達がいることにあります。
しかし、私たちが明日まで生きる保証はどこにもありません。
現世では、群衆は長く死んだ思想と堕落した神々を崇拝し、祈り、対価を支払わなければならなりません。特に、三つの荒廃した教義は、もはや人間性を満たしていないことは明らかです。
世の中を見渡してみて下さい。ひどい偽善が世界中で繰り広げられているのを見ることができます。や偽預言者が富、栄光、名声、権力欲しさに、騙されやすい人、惨めな人を捕食しているのです。
宗教的な洗脳による、意図的な悪の極端な例として、弱い立場の若者を自爆テロの実行犯に仕立て上げ、罪のない人々を殺害し破壊し、巻き込みながら、自らをも自爆させるようなものが挙げられます。自爆テロの犯人は、天国で72人の処女が待っていると信じながら、自身の命をも蒸発させるのです。
悪事を働くよう誘導する詐欺的な聖職者は私達に、他者への憎悪を教義として吹き込み、自らの布告と命令によって、私達が本来持っていた教義の無効性を強固にし、自らが人類の敵であり、全ての約束を明らかにしてきます。
人生は短く不快なものとされていました。そして二枚舌の神のお告げにより永遠の命を約束され、制御プロトコルが開始され、涅槃での豊かな暮らしという偽りの約束で、惨めな大衆をなだめまるのです。
一方、独創的な考えを持つ勇気のある者は、もっと厄介な運命に見舞われることになります。しかし、その人達は、処女崇拝や、何千年も前に生まれた赤の他人を崇拝したり、そのと呼ぶものを永遠に崇拝する事はないでしょう。
個人と組織の利益のために偽の神を示しながら、自らを神託者とした人々は、信者達を「群れ」と呼び、個人を「羊」と呼んでいることを知っていますか。
そして羊は、羊毛を収穫するために生かされ、年をとり羊毛が取れなくなると、最後にはラムチョップにされてしまうのです。それにも気がついていますか。
しかしながら、自分の行動を抑制しながら人生を歩む、より現実的な方法があります。
それは、祖先崇拝という実用的なプロトコルです。
、、の否定を求める時代遅れの教義とは対照的に、祖先崇拝とは実用性にも、はるかに深い落ち着きを見出すことができる概念でしょう。
ごは今、この素晴らしい世界に住む特権を持つ子孫のために、素晴らしい道を切り開いてくれました。
この世界は、血と汗と涙を流しながら、不屈の精神と忍耐によって築かれた先人たちが息づくものなのです。
このような認識を持てば、遠い国の金と権力だけを原動力とする偽りの神々に、忠誠を求める教義の無意味さを捨て去ることが賢明であり、決して赤の他人が救済してくれる事は無いと気がつくでしょう。
救いとは、鏡を見て、その中に自分の先祖を見るときにのみ存在するのです。
自分の存在理由は、先祖のおかげであることが深く理解できるのです。
過去の鎖と、知らず知らずの内に教え込まれた時代遅れの教義から解き放たれなさい。
現代の苦しみと分裂を生み出している、独断的な偶像と、それを広める愚かな人間達を信じるのことを諦め、ご先祖様を敬いなさい。
人は、自分の先祖に目を向け、道徳や倫理は、曾祖母や祖父が、私達の一歩一歩を見守ってくれていることから生まれるのです。
自らの行動は、先人たちに敬意を払い?a>、一族、コミュニティの基礎を築くために歴史を旅してきた彼らの苦しみを認識し、正しいことをしたいという、生来の欲求に導かれた結果だという事を決して忘れてはいけません。