皇室家庭教師・エリザベス・ヴァイニング
皇室家庭教師・エリザベス・ヴァイニング
エリザベス・グレイ・ヴァイニングという人をご存知でしょうか。クエーカー教徒の英語講師であったヴァイニング氏は、知る人ぞ知る日本に多大な影響を与えた人物です。
クエーカー教の教えは、日本の神道と同じように「神の存在はすべての人の中にある」という信念と、無意味な宗教儀式を拒否し、すべての人々が精神的に平等であるという考えです。
平和主義を実践するクエーカー教徒は、奴隷制度廃止運動や女権運動でも重要な役割を果たしてきました。
エリザベス・ヴァイニング氏は、1946年から1950年まで、昭和天皇の指名により、当時の皇太子、明仁親王の家庭教師となりました。
この時、昭和天皇は二つの条件を出されました。
明仁親王は3歳で両親から引き離され、そこからは母親である皇后様からの育児を受ける事はありませんでした。それを危惧した天皇陛下は、女性の家庭教師を望んだのです。
当時の日本の皇室の慣習として当然のこと、明仁親王は3歳になると両親から引き離され、皇室の他の大人たちによって育てられました。
そして明仁親王は、週に一度しか自分の両親と会う事ができませんでした。
明仁親王の家庭教師としてのもう一つの条件とは、明仁親王の外国人家庭教師はキリスト教徒でなければならないが、狂信的信者であってはならないというものでした。
もちろん天皇は、息子である明仁親王がキリスト教に改宗することは望んでいなかったのです。
クエーカー教徒は他のキリスト教の宗派や派閥と違って、積極的に信者ではない人を改宗させようとする事はありません。
そうは言っても、右翼派の知識人は、平和主義者ヴァイニング氏に反感を持ち、明仁親王はアメリカ人家庭教師から精神的にも知的にも「菌」をもらってしまったと苦言を呈しました。
しかしヴァイニング女史の思いは、明仁親王を自由な知識人にし、世界への窓を開くという使命を見事に果たしました。
また週に一度、明仁親王と明仁親王の同級生を、西洋風の自宅に招き、閉ざされた皇室に新しい風を吹き込みました。
そして、日本の堅苦しい階層構造を知らずに来日した外国人によくある事ですが、ヴァイニング氏は、門下生一人ひとりに英語の名前をつけて、明仁親王に形式張らない民主的な交流を促そうとしました。
現代の日本においても、厳格な階級制度構造の日本社会の中で、「民主的な交流」が促進されることは難しいでしょう。
明仁親王には「ジミー」というニックネームが付けられました。しかし閉ざされた皇室で育った明仁親王は、ヴァイニング氏が初めて「ジミー」と呼んだ時、こう答えました。
「私はジミーではありません、皇太子です」。
日本人は、親しい友人以外や、直系の家族以外とファーストネームで付き合うことはほとんどありません。
リンカーンの伝記を読み、ガンジーの非暴力の哲学を語り、世界平和への希望を共有することで、ヴァイニング女史は、明仁親王に重要な概念を植え付けたのでした。
このような普遍的な理念の教えの種が芽を吹き、日本は戦後の焼け野原から立ち上がり、第三の文明の柱を生み出したと言えるでしょう。
東西文明の融合は、明治維新の海外伝道、特に岩倉具視使節団によって本格的に始まりました。
岩倉使節団は、明治維新の工業化の奇跡をもたらしました。そしてその後、ヴァイニング氏が日本に降り立ったことで、明仁親王にも影響を及ぼし、使節団の功績は、日本人の道を永遠に変えたとも言えるものでした。
興味深いことに、ヴァイニング氏は、津田梅子が設立した津田塾大学でも講義をしていました。次の五千円札の象徴でもある津田梅子は、今までのブログでも何度かお知らせしていますが、奇しくも私の妻の大叔母にあたります。
ヴァイニング氏は、1871年からのアメリカ滞在中にクエーカー教徒になりました。津田梅子も世界の調和の教祖的とも言える存在であり、教育とは、個人の知性や個性を伸ばし、自己の内面、ひいては世界の調和を図るものであるという理念で、ヴァイニング氏と一致しています。
一人の優雅なクエーカー教徒が、明仁親王に世界の調和につながる全ての人に備わっている普遍的な価値を教えたことは、神とも言える指導であったと思わずにはいられません。
この歴史上の人物は、第125代天皇の将来の道を示す重要な役割を果たし、その影響は今日に至るまで日本の「空気」の中に浸透しているのを感じることができるのです。
ヴァイニング氏は1952年に「皇太子の窓」という本を書いています。そしてその本の中で、明仁親王への指導を「おとぎ話」と表現しています。
フィラデルフィア出身のごく普通のクエーカー教徒が地球を半周して、世界で最も古く神秘的な皇室の中に放り込まれたというのだから、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだと感じても不思議ではありません。
この偶然の奇跡は、西洋と日本の心を融合させる重要なきっかけとなり、ヴァイニング氏は、1950年にアメリカに帰国する直前に、勲三等瑞宝章を授与されました。
日本人は、東洋と西洋の価値観を融合させ、道徳的基盤を作りながら、明日と今日の新しい世界の枠組みを見据えながら、古代文明の自然な歩みを続けているのです。