目には目を
目には目を
日本政府による死刑執行が行われました。
興味深いことに、日本国民の80%以上は死刑制度を支持しているというデータがあります。
そこで、20代後半の日本の若い男性二人に、死刑制度についてどう思うかと質問しました。
一人目は、死刑に反対でした。
彼は情深いかのように見えます。
しかし屈辱を込めてこう続けました。
「加害者は、社会に対する罪の罰として、天寿を全うするまで精神的苦痛を与えられるべきだ」。
もう一人の青年は、日本人の大多数を代表するかの様にこう言いました。
「日本の社会通念に反する罪を償うために、死刑は執行されなければならない」。
日本の死刑制度では、死刑囚は死刑執行の朝まで、その日を知らされる事はありません。
参考までに、G7の中で唯一死刑を執行しているアメリカとは制度が異なります。
先出の、最近執行された死刑とは、2008年6月8日に起きた凶悪犯の罪を償わせるために執行されました。
その凶悪殺犯の男は、秋葉原電気街の歩行者天国に2トントラックで突っ込み、無差別に3人を死亡させました。
その後、車から降りた犯人は、さらに4人を刃物で刺し殺し、他の数人にも危害を加えました。
日本の死刑執行は、政府の大臣が命令します。
日本で死刑を執行するためには、法務大臣(現在の法務大臣は古川嘉久)が執行命令に法務省の公印を押さなければなりません。
日本では万能の力を持つ印鑑、公印を押されるとなれば、その日のうちに刑は執行されるのです。
ここで、日本古来のやり方が明らかになっています。
大きな騒ぎもなく、ただ静かにその日は訪れます。
最後の晩餐もありません。
僧侶と刑務官に絞首台まで付き添われ、死刑囚はただ、死亡が確認されるまで首を吊られるだけなのです。
アメリカは日本とは対照的で、死刑の問題は各州に責任があります。
そして死刑執行が行われる州によって、処刑方法は異なります。
アメリカ式の処刑方法は、州によって様々な事に驚きを隠せません。
薬物注射
電気椅子
絞首
銃殺
ガス室
念のため申し添えますが、日本や米国は、サウジアラビア、中国、イランなどの国と同様に死刑を執行しています。(一覧表参照)
1987年に私が来日して以来の死刑執行を全て顧みると、日本社会の慣習に照らして正当化され、その犯罪の重さに見合った刑罰であると考えられます。
日本に来て間もない頃、私にとって最も衝撃的だったのは、1988年8月から1989年6月にかけての事件でした。
東京都と埼玉県で4人の少女が殺害された、狂気とも言える犯罪でした。
少女たちは4歳から7歳で、車の中で殺害された後、死体はバラバラにされ、狂った犯人はその遺体を性的対象としたのです。
また、遺体の一部を食べたり、自身の戦利品として保存したという事実が、犠牲者の遺族をさらに貶めました。
1997年に死刑が確定し、2008年に死刑が執行されたのです。
このような異常な精神障害者の犯罪は、日本だけではありません。
このような卑劣な生き物達は、世界中の闇の世界に蔓延っているのです。
自分の母国でも、1980年から1981年にかけて、地元の連続殺人犯が人々を恐怖に震え上がらせました。
最終的に、11人の子供が犠牲者となってしまった悍ましい事件です。
この凶悪犯は、1982年1月に終身刑を言い渡され、人の道に外れた重罪にも関わらず、30年もの長きに生きながらえ、2011年10月2日に獄中で息を引き取りました。
しかし正義が適切に果たされたかどうかは、私達個人個人の信念の問題だと言えるでしょう。
日本では、日本古来の社会慣習に反する凶悪犯罪は、絞首台でその代価が支払われることに間違いありません。
日本古来の制度は、数千年の長き間に発展してきたものであり、形式的な秩序とプロセスに基づくものなのです。
死刑制度も例外ではないでしょう。
今尚、そして未来にも続く日本の制度はここにあります。