神道の発展と進化
神道の発展と進化
人々の偉大な神々、つまり創造主として、あるいは特定の元素の力を特に指揮するものとして、大衆の想像力の中に登場する神々は、祖先崇拝の後に発展したものです。
かつて祖先の霊は、原始社会がまだ重要な特徴を持つ階級を発達させていなかった頃、多かれ少なかれ神と同じように考えられていました。
その後、社会自体が大きいものと小さいものに分化された様に、祖先の霊への考え方も分化していきました。
最終的には、一人の祖先の霊、あるいは霊のグループへの崇拝が、他のすべての霊への崇拝を凌駕し、最高神、あるいは最高神のグループへと発展していったのです。
しかし、祖先共同体の分化は、非常に多様な方向に進んだと理解しなければなりません。
例えば、世襲制の職業に従事する一族の特定の祖先は、その職業を司る守護神、工芸品やギルドの守護神に発展した。
また、他の祖先崇拝の中から、様々な精神的な結びつきの過程を経て、力の神、健康の神、長寿の神などの崇拝が生まれてきました。
氏神様の他にも、無数の優れた神々や、劣った神々がいます。
そして土地に形を与えた創造の神がいます。
天と地の神、太陽と月の神もいます。
人間の人生の善悪、誕生と結婚と死、富と貧困、強さと病気など、すべてを司るとされる数えきれないほどの神々がいます。
このような神話が、日本国内の古い祖先の共同体の中で発展したとは考えにくいでしょう。
しかし、国家共同体の発展、つまり国家の「宗教」となった神道の形は、言葉の厳密な意味での日本独特のものであったと思われます。
日本国家の共同体は、天皇が子孫を主張する神への崇拝であり、「皇祖神」への崇拝です。
古事記で「天君」と呼ばれていた初期の天皇は、本来の意味での天皇ではなく、万能でもなかったようです。
彼らは最も強力な氏族の長であり、宇治とその特別な祖先の共同体は、当時はおそらく支配的な影響力を持っていませんでした。
しかし、やがて豪族の長が本当にその土地の最高の支配者となり、彼らの一族の共同体が他の国内共同体や共同体に影を落としたり、廃止したりすることなく、あらゆる場所に広がっていきました。
そして、国家神話、つまり国家共同体が生まれたのです。
したがって、日本の祖先崇拝の流れは、アーリア人の祖先崇拝の流れと同様に、「日出ずる国」で探求してきたような3つの連続した発展段階を示していることがわかる。
日本の伝統的な信仰を初めて文書化して人々に伝えたのは、最高統治者のコミュニティでした。
統治者の家の神話は神道の経典を提供し、既存の祖先崇拝のすべての形態を結びつける考え方を確立しました。
すべての神道の伝統は、1つの伝説に基づいて説明される1つの神話的な歴史に統合されました。
日本の神話全体は2つの書物に収められています。
一つは712年に編纂されたとされる『古事記』
『古事記』は712年に編纂、『日本書紀』は720年頃に編纂されたと言われています。
両書ともに日本の神話が大部分を占めており、天地創造の物語から始まっています。
神道の崇拝形態のうち、皇祖神の崇拝が最も重要であり、日本の精神的進化の第三段階である国家共同体になります。
神話が迷信的なものから、自分の人生を生きるための実用的な道徳的規範へと進化するのは、長くて苦しい過程です。
実際、この古代日本の神話では、昔の日本の人間は、自分がまさに精霊と悪魔の世界にいることに気がついていたとされています。
昔の日本人は、潮騒や滝の音、風のうめき声、木の葉のささやき、鳥の鳴き声、虫の鳴き声など、あらゆる自然の声の中で彼に語りかけました。
日本人にとっては、波も草も、移ろう霧も漂う雲も、目に見える動きはすべて幽霊のようなものでした。
日本人の神話とその思想は、今もなお日本社会に影響を与え、導いています。
日本人が「宗教的ではない」と一般的に言われているにもかかわらず、神道の神々が日本の人々に与え続けている影響を軽減することはできません。
例えば最近亡くなった最愛の祖母が、まるで家の神棚に住んでいるようかの様な小さな神であろうと、地域の神社の氏神様であろうと、天皇陛下を頂点とする国家の共同体であろうと、私たちの愛する太陽の女神、天照大神様は神々の国で日本人を照らし続けているのです。
著
パトリック·ラフカディオ·ハーン
神道の発展または進化