道なき道
人生の旅を始める時、多くの人が困難な道と言える人生を歩むことを、意識的に決断するケースは稀でしょう。
私が1987年に日本に来たのは、実は簡単な選択でした。もし23歳の時に、カナダ政府公認の安全な場所に留まっていたら、あまりにも現実的に、囚われた一生を送ることが分かっていたからです。
異国情緒あふれる日本という目新しさは、来日八ヵ月後には消え去り、私はは一度だけホームシックにかかったことがあります。
英語のアルファベットに親しんできた私は、コミュニケーションシステムがはるかに複雑な国に移住したことで、耳が聞こえなくなり、口がきけなくなり、文盲になったことをまざまざと思い知らされたのでした。
日本語の読みの探求は、最初は克服不可能に思えたましたが、生活が進むにつれて、部首について、何気なく観察しているうちに、不思議と馴染んできました。
潜在意識が、ある種の神秘的な方法で悟りへの旅を導いてくれるようなことはありません。この場合は、物質的なドロドロの世界で、自身を鍛え上げるための、不屈の精神と忍耐を散りばめ、険しい道を通るのです。
この普遍的な真理は、常にそうであるように、困難な状況に陥ったときに内面化して呼び起こすべきものです。: 立ち止まらない限り、どんなにゆっくり進んでも構いません。
険しい道が人生の断崖絶壁の始まりで、終わりそうな時に生きるための言葉であり、これこそが険しい道の行き着く先なのです。
険しい道の完璧な例は、3日間の水断食でしょう。ミトコンドリアという生命の生物学的バッテリーをリセットし、わずか72時間の間に、人間の精神はあらゆる感情の範疇を駆け巡り、人間の心の延長である腹の中が焼けるような空腹感に襲われます。
このような行為は、私自身の人生に挑戦し、向上させ、犠牲と忍耐を強いることで、自然と決定的なエネルギーの場を設定し、必然的により有意義な人生経験へと導きます。
日本に住んで、険しい道のりを歩んできたおかげで、さまざまな人物との出会いもありました。
偶然にも、ある国のテスラと名乗る知らない男性が、「日出ずる国」を訪れました。そして帰国後の3年間、私はある事業に彼と一緒に参加しました。
プロジェクト終了後、彼は完全に消息不明になりました。しかし数年後の、私がすっかり忘れた頃に、澄み切った青空から稲妻のように大気圏に再突入してきたのです。
プレゼントを贈るのももらうのも大好きな私ですが、ある大型オンライン書店から予想外の配達がありました。
当初、彼からのプレゼントだと分からず、自身で頼んだと思ったくらい、絶妙なタイミングで届いた重要な本が、不安と疑問の中で私の心の支えとなったのです。
『The Road Less Travelled』は不朽の名作です。困難な道のりの意味と、ここからそこへ行く方法を説明しています。
境界線があることで人生は、より自然なものになり、自分の精神にとどまることは、頑強な無条件の愛という全能の概念になるでしょう。
境界線だけでなく、人生の隅々をどのように案内するかという典型的な例は、ここ現代社会で誰もが一度は確実に影響を受ける精神疾患についても解き明かしています。
日本人の進化の性質上、問題は一掃され、暗い秘密は鍵の下に隠されることになっているのが現実です。
モーガン・スコット・ペックがこのライフ・ガイドの冒頭で指摘したように、問題やそれに内在する感情的苦痛を避ける傾向は、人間の精神疾患の主な基盤なのです。
しつけの達人として知られる日本人は、2005年に他界した東洋医学の精神医学教授が、墓場から語った4つのしつけに共感できるのかもしれません。
この混乱した現代社会では、人生の生き方や成功の意味を明確にするために、厳格なルールが必要なのです。
1:満足を遅らせる
2:責任を受け入れる
3:真実への献身
4:バランス
経験や成熟を通じて、世界とその中での自分の居場所を見る能力を身につけることで、本質的に、自分自身とより大きな世界に対する生来の責任を現実的に判断できるようになります。
このような変化は、精神的能力を活性化させること無くもたらされるものではなく、時代遅れの現実観にしがみつくことが精神疾患の基礎であることを理解しなければならなりません。
日本人の文化や社会は「家」と「建前」の上に成り立っているため、これは日本人にとって難問でしょう。
日本におけるメンタルヘルスの危機を考える上で、次のことを理解することは非常に重要です。
人生の意味、無限の始まり、困難な道へようこそ。