鎖国 2.0
鎖国 2.0
鎖国とは極めて重要な日本の歴史的な言葉でしょう。
1603年から1867年の間に起こったのが名付けて「鎖国1.0時代」
江戸時代として知られ、徳川家の鋭い刃によって支配されていました。
徳川幕府が厳しい社会秩序と、千年以上に渡って進化してきた日本人の厳格な社会階層システムを強行していました。
その後264年の間に、日本人は「形式、秩序、過程」の原則に支えられた並外れたシステムの文化を培ってきたのです。
戦国時代という残忍極まりない時代を経て、駆け出しの日本が治安を維持するために、厳しい社会階層を強制的に守らせるという、計算ずくの残忍性は見逃せません。
日本の川は血で染まっていました。
徳川時代の平和と安定、そして経済発展は、明治維新後の急速な近代化の舞台となったのです。
なぜ日本人が264年間の鎖国を経て開国しなければならなかったか、ここにも重要な歴史的教訓があります。
帝国主義的なアメリカの砲艦外交です。
ペリー提督はアメリカ合衆国の代表として、4隻の艦船を従えて来日しました。
日本の役人は一時、ペリー提督と話すことを拒否していましたが、攻撃の脅威にさらされ、ミラード・フィルモア大統領からの書簡を受け入れました。
ペリーは日本政府に対外関係樹立を検討する時間を与えた後、1854年3月に9隻の船とともに東京に帰還しました。
3月31日、ペリーは日本政府と神奈川条約に調印し、アメリカ貿易開始と、日本でのアメリカ領事館の設立を許可しました。
日本人は、アメリカ人の手による暴力と破壊の脅威の下で、国際貿易に国を開くことを余儀なくされました。これは非常に恐ろしい事ですが、今日に至るまで世界中で同じことが行われてきています。
歴史的な出来事によって、人類の歴史上最も偉大な成果のひとつである、西洋の最良のものを反映した日本の工業化、そしてそれ以上のものが始まったのです。
明治時代の終わりからわずか7年後、新たに近代化した日本が、第一次世界大戦を終結させたベルサイユ講和会議で「五大国」の一つと認められました。歴史の教科書が証言しています。
日本人は「形式」「秩序」「過程」に従い、日本国を発展させる思想を持っています。ペリー提督や近視眼的なアメリカ人は、その現実に触れ、何を達成することができるかを目の当たりにし、愕然としたでしょう。
鎖国2.0が開始されたのは、2020年3月のSARSからではないでしょうか。
ウイルスというと微小なイメージがありますが、ウイルスには様々な形態があり、まず自分の心の中にウイルスが潜んでいないことを確かめなければなりません。
私たちの住む地球は、疫病や紛争が絶え間なく発生し、制御不能な状態に陥っています。
もう一つ、非常に重要な日本のプロトコルが登場します。日本国民が自由な観光を永遠に拒否する理由が、これで分かるでしょう。
日本人の文化的特質として、「建前」と「本音」が深く根付いていることが挙げられます。
建前:誰もが口先だけで作り上げる現実
本音:本当の気持ち
現在、日本が外国人観光客に開放される事は、茶番劇のようなものなのです。
非常に残念なことに、外国人コミュニティーの多くの長期滞在者は、観光を中心に生活を築き、好奇心旺盛で大胆な人たちに非常にユニークな体験を提供してきましたが、今や底なしの不安のどん底に突き落とされています。
残念ながら、日本の目の前にトゥキュディデスの罠が迫っています。今次々と押し寄せる、不安定で予測不可能な地政学的難問の中で、日本の役割は一体何なのか、深く考えなければならないのです。
おそらく、日本人は様子を見ながら、状況の流動性に応じて必要な措置を講じていくことになるのでしょう。
日本の政治家や、その顔色を伺う秘書に何ができるでしょうか。
実際に国を動かしているのは、顔の見えない官僚たちです。そして間違いなく、日本の老人たちは、日本のシステムを前進させるために、頭の働かない官僚の歯車に過ぎないのです。
日本の官僚は、厳しい官僚試験に合格するために必要な、深い教化によって鍛えられており、彼らは日本の発展、つまり現時点では自由放任の観光業には全く興味がないのです。
日本という美しい古代国家に、勝手に歩き回る外国人観光客の群れがいなくなるという事を、観光業以外のほとんどの日本国民が歓迎するでしょう。そして長期日本滞在者達も同様に歓迎するでしょう。