音楽の女神上原ひろみ

Mar 10, 2021インスピレーション, ブログ

音楽の女神上原ひろみ

音楽の神々は、上原ひろみを神の一人としてこの世に送り込みました。その女神は今、この世界を旅して、どこへ行っても喜びの輪を広げています。

比類のない音楽スキルを持つ、神聖な存在である彼女の心からは、活気が溢れ出しています。

彼女はピアノで有名なヤマハがある事で知られる、静岡県浜松市で生まれました。

ヤマハ浜松ビル

浜松市とヤマハが「上原ひろみを音楽の神童にしよう。」と彼女を生み出したに違いありません。

そしてひろみを生み出した神々は、「彼女は世界に飛び立ち、その魔法で聴く人々全てに喜びをもたらし、啓発する事になるだろう。」と言いました。

そして、彼女は音楽の基本的な本質を体現し、私達の世界全体に神聖なビジョンを広めています。

私はひろみの日本語と英語の両方でのインタビューを聞きましたが、そこで彼女は音楽に対する彼女自身の哲学を語っていました。非常に深く素晴らしい印象を受けました。

技術的に非常に複雑な彼女の音楽は、それを更に違うレベルに引き上げます。そして彼女の心は無数の視聴者と直接繋がっています。

ひろみの音楽は、私達が本来持っている、共通の人間性を祝うものです。

ひろみは、彼女の神聖なビジョンを表現しています。それは音楽を通して、人類の平和を願う彼女のメッセージなのです。

更にまた別の音楽のマスター、そして神様である、アンソニー・ジャクソン氏とサイモン・フィリップス氏は、普遍的な言語とも言える音楽を通じて、上原ひろみの旅に加わり、人類平和のための最高のトリオが結成されました。

また、ひろみは生まれ持っての大和撫子であるとも言えます。

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)がおきました。当時ニューヨークに住んでいたひろみは、内に秘めた大和撫子精神が顔を表し、すぐに日本に帰るべきだと感じました。

そして彼女は日本に帰り、ラジオやテレビでチャリティーとして生演奏をしました。その時のひろみは、今までに無かったほど、自分を日本人だと感じたと、後に話しています。

彼女は音楽という懐に、日本人の傷ついた魂を抱きしめ、この前例のない自然災害の荒廃の中で大勢の人に癒しと勇気を与えました。

日本人は自分達の国である日本を「災害国」と呼ぶことがあります。

災の国

しかしそれで全てが終わるのではなく

災転じて福と成す 

災害から復興と未来へ

悪い事の後には必ず良いことが待っている。災害があったとしても、太陽は何度も何度でも昇り、私達の日本を照らします。

私達人類を、今でも毎日祝福し続けている大切な娘、上原ひろみという音楽の女神に心から感謝します。