2人のプリンセスの物語
2人のプリンセスの物語
私はいつも対照的なこの王室と皇室に、いつも興味と関心ををもって見ています。
最近、ウィンザー家ではちょっとした騒動がありました。
ウィンザー家の新メンバーが、王室に対して重大な疑惑を抱いているのです。
崩壊した家庭に生まれたハリー王子は、王家の一員としての特権に恵まれて生まれてきているにも関わらず、厳しい状況に置かれているようです。
最愛の母ダイアナ妃を、彼は当時13歳という若さで亡くしたことは、彼の心と魂に生涯にわたる深い傷を残したに違いありません。
そして、世界のゴシップメディアに、不愉快な家族関係を取り上げられ続けた環境の中で、暗殺された母が、パリのピティエ・サルペトリエール病院で最後の息を引き取る時に言った「私のことは放っておいて!」という言葉をみに沁みて、彼は感じているに違いありません。
日本でも最近、ちょっとしたスキャンダルがありますね。
幸いと言っていいかどうか、この問題はウィンザー家が直面している組織的な問題に比べればはるかに小さいものです。
眞子さまの婚約者である小室圭さんの母親は、小室さんの教育費を負担した元婚約者との間で、何らかの金銭的なトラブルを抱えていました。
この問題が明るみに出ると、結婚は急遽延期され、この一家の問題は内々に解決されようとしています。
このような若い世代の皇族が、公人としてどのように振る舞うべきでしょうか。私は「品格」という言葉が浮かんできます。
王室のメンバーは、自分の気持ちがどうであれ、威厳と名誉を持って職務を遂行しなければならないでしょう。
人生には選択肢がありますが、眞子さまは小室さんとの結婚を機に、皇室という閉鎖的な世界から抜け出し、一般人になることが可能でした。
これは私の想像でしかありませんが、眞子さまは、雅子さまも心を痛めている様に、非常に厳しいことで知られる皇室からの退出を願っているのではないでしょうか。
しかし、メーガン妃の場合は、ハリー王子と結婚したことでウィンザー家に入ることになり、それに伴う様々なことが発生します。
社会的な立場に関わらず、人は愛し合う対象と結婚するだけでなく、狂っていようがいまいが、家族全員と結婚することになります。
尊厳とは何かを考えてみましょう。例えば、私たちの敬愛する皇后陛下雅子様は、非常に有望な外交官で、外務省の要職に就く運命にありました。
しかし、彼女は自分のキャリアを犠牲にして、天皇と結婚し、ひいては日本と結婚して、私たちの皇后になったのです。
もし皇后になっていなかったら、彼女の人生はどうなっていたのか?想像するしかありません。
しかし、日本国に対する深い使命感から、自分を犠牲にして、人生のほとんどを、閉ざされた閉塞感のある皇居の中で過ごしてきました。そして、一般の家庭なら、子供は一人生まれれば、それでよしとなるでしょう。
雅子皇后は天皇との間には愛子さまという一人娘がいます。しかし男の子ではありませんでした。
問題は、戦後、GHQが課した「菊の御紋を継ぐのは男子に限る」という法律にあるのです。
しかし、菊の御代を継ぐ男性はわずか3人にまで減少していて、実質的に年齢からいくと、天皇の弟の息子、秋篠宮悠仁親王しかいないです。
最近、日本の男女共同参画に関する、本格的な対話が再び活発化していますが、、これは日本がGHQの命令を振り切って、日本のプライベートな問題に独自のルールを作る絶好の機会であると考えられます。
ですから、愛子内親王が日本の伝統である「婿入り」という風習で婿を取るという事は、決して珍しいことではありません。
日本の皇室に望むことは、日本国民の代表として、また、日本と世界の平和と統一の象徴として、威厳と名誉をもって職務を遂行していただくことです。