淀川長治

淀川長治

淀川長治

淀川長治

史上最高の映画批評家の1人。

淀川長治は映画に一生を捧げました。

私が生まれる1年前の1962年から彼が亡くなる1998年11月まで、淀川長治氏はテレビ朝日の日曜洋画劇場にコメンテーターとして一度たりとも休まず出演しました。

私は1987年に日本に来て初めて自分のテレビを手に入れました。それは友人からの贈り物でしたが、当時のテレビにはバイリンガル機能がありませんでした。

ですから私は日本語でテレビを見るしかなかったのですが、毎週日曜日の夜に、当時既に高齢でしたが、この映画番組のコメンテーターをしていた淀川氏は、物腰が女性的で非常に興味深い男性だと感じました。

淀川氏の映画への熱意と情熱はまさに圧巻でした。彼は全身全霊で映画を愛していたのです。

あなたにとって1987年はどんな年でしたか?私は当時、日本語がまだ話せなかったのですが、このユニークでやや派手な雰囲気の映画評論家はとても魅力的に感じました。

そしてその何年後かに淀川氏がアーノルド・シュワルツェネッガーにインタビューしたことを思い出します。

インタビューの最後に、小柄な淀川氏が椅子から立ち、シュワルツェネッガーの上腕二頭筋に触りました。そしてシュワルツェネッガーの筋肉がどれほど素晴らしくて硬いかについても触れていました。その時の淀川氏は、ああそうかとという表情でした。

Nagaharu Yodogawa with Arnold Schwarzenegger シュワルツェネッガーは、常にユーモアを忘れない人たっだので、インタビューをその場でやめて、一緒に夕食に出かけようと淀川氏に返しました。

そして別のインタビュー映像で淀川氏は、「一緒にお風呂に入りましょうね。」とも言っています。「あなたは色んな事を要求しますね。いいでしょう、一緒に風呂に入りましょう。」とシュワルツェネッガーはこの時もユーモアたっぷりに答えています。

淀川氏はその当時では珍しく、生涯を独身で貫いた人でした。「私は映画と結婚している。」と彼は言いました。 そして「それは妻をとらないことに対する自分への罰なのです。」とも。

興味深いことに彼は、同性愛をテーマにした映画を擁護する内容の本を書いています。彼は映画の観衆向けて「同性愛者を恐れるのをやめましょう。」と優しく忠告しました。同性愛者が独立した精神や勇気を持つ事を、私達が高く評価するためのメッセージでした。

淀川氏は先見の明があったのです。

また来週のこの時間時にお会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら。」というお決まりのフレーズです。

この並外れた象徴的でもある日本の映画評論家へ敬意を表して、私も全てのポッドキャストの最後に「さよなら、さよなら、さよなら。」と言って締めくくっています。

映画評論家の淀川長治:1909年4月12日神戸生まれ。 1998年11月11日に東京で死去。

Nagaharu Yodogawa 淀川長治

おまけ:淀川氏関連からセシル・B・デ・ミルの 『 チート』(1915)という映画を発見し、YouTubeで観ることができました。この白黒のサイレントフィルムは、最近の安易なリメイク映画よりもはるかに優れていると思います。

風呂道

風呂道

風呂道

風呂道

日本での入浴は本当にユニークな体験です。

ブリティッシュコロンビア州中央部で育った私の子供の頃は、毎週日曜日の夜しか風呂に入りませんでした。そして入浴術など考えたことも無く、バスタブに飛び込み、ただ体を石鹸で擦って洗い流すだけ。日本のように洗い場が無く、バスタブの中で洗いもすすぎも完結するのです。

古いカナダの家にはシャワーもありません。

日本での入浴の概念は、私のカナダでの遠い日の思い出とは大きく異なります。

第一に、日本人はいつもきれいな湯船に入る前に、まず自分自身を軽く洗います。これは理にかなっていますね。

そして一旦、西洋の物よりも深く肩まで浸れる湯船に入り暖まります。その後もう一度湯船の外ですべての垢をこすり落とした後、再度湯に浸かり仕上げます。

西洋と異なる概念のもう一つには、多くの場合、母親と父親は子供が小学校の年齢まで一緒に入浴します。

さらに日本のお風呂タイムは一大イベントにもなります。

実は先日ここよりも更に田舎に住む友人を訪れたところ、偶然にも九州からのゲストが何人か来ていました。

このゲストに会うのは初めてでしたが、翌朝には車に飛び乗り、大きな風呂のある和風旅館に行くことになりました。

男3人服を脱ぎ捨て、体を洗い、周囲の山々を眺めながら露天風呂でくつろいだり、おしゃべりしたり、楽しく過ごしました。

男同士、風呂の中で全裸で座っている時ほど、新しい知人との絆が深まることはないでしょう!

この古い日本の旅館には炉端があり、私たちは皆お風呂の後に炉端焼きでフグの干物を焼き、その土地ならではの山菜料理を楽しみました。本当に美味しかった。

日本ではホテル、伝統的な旅館、パーティも楽しめる新しいスタイルのスーパー銭湯など、至る所で風呂道が行えるのです。

日本の風呂を体験すると、入浴とは自分を洗うという日常の習慣だけではなく、儀式であるということがわかります。入浴は単に体をきれいにするにだけでなく、自分の心と魂をも浄化するのです。

是非Land Of The Rising Sonで日本のお風呂を体験してもらえたら幸いです。

奇跡のロックアート

奇跡のロックアート

奇跡のロックアート

奇跡のロックアート

ロックスターというと、普通は音楽のロックと思うでしょうが、中田明恵はそのロックスターとは別の世界のものです。

中田明恵は独学のアーティストで、小さな石や小石をキャンバスに、リアルな動物を描き、手のひらで握れる素晴らしいアートを制作しています。 彼女は2011年に石の芸術家としてこの風変わりな旅を始めました。川の土手に沿って散歩しているときに、彼女はウサギのように見える特別な石に出会いました。 本物の日本の精神で、彼女はそれぞれの石の自然な形に触発され、すでにそれぞれ運命や性格を持っていると感じるものを選びます。 「石はそれぞれの独自の意思を持ち、私はその石たちと一緒に先に進み、私がそれらに描くための手がかりとして考えています。」 猫や犬からフクロウ、ネズミ、さらにはオポッサム一家にいたるまで、中田明恵の石の動物はどれも驚くほど実物そっくりです。 目を最後に描くと「目が生きている」と思い、彼女は自分の仕事が完了したと感じます。   彼女は続けます。「私にとって、作品を完成させることは、私が描くディテールの量ではなく、石の中に人生を感じているかどうかということです。」 これらの素晴らしい作品を見ると、「マスター」という言葉の意味を理解できます。 現在、埼玉県狭山市に在住。

信じられない紙タコ

信じられない紙タコ

信じられない紙タコ

信じられない紙タコ

たった一枚の紙に何ができるでしょうか?

福田雅代さんにとってこれは無限の可能性を秘めています。彼女の美品を実際に拝見した後、私は彼女を「繊細天才」と名付けさせていただきました。

日本人はとても勤勉で非常に手先が器用であることはよく知られていますね。

ご覧ください。福田雅代さんの素晴らしいアート作品を見れば、私の上記の声は真実であると確信できるでしょう。


紙切りの芸術には忍耐と高度な技術が必要であり、日本人アーティストの福田雅代さんは間違いなくこの並外れたスキルを習得しています。

日本では「切り絵」と呼ばれますが、この伝統的な芸術は、白い1枚の紙から複雑な形状を切り抜き、黒い背景の上に置いて、そのコントラストで絵を強調します。

福田さんは25年間に渡り、切り絵の作品を作ってきましたが、この作品が彼女の最高の作品の一つと考えていることでしょう。

今一度ご覧下さい、このタコの切り絵は印象的な美品です。

この一枚の大きな白紙から作られた名作は、言葉に表現できないくらい、芸術家の真の技術を明らかにしています。

この素晴らしい芸術家はこのように言っています。「私にとって、切り絵の作品を作ることは、私の日常生活のステレスを解消するいい方法になりました。もしあなたがこれを始めたければ、基本的にタント紙、カッター、マット、そして明るい部屋、たったこれだけを用意すれば、それが可能です。


幸運なことに、私はたまたま東京の郊外に住んでいるので、2月21日にメイソン・ド・ネコで福田雅代さんの驚異的なアートワークを見ることができました。


繊細天才福田雅代さんの美品を実際自分の目で見たのですが、それは素晴らしく著しい作品でした。それぞれの作品には細かな注意が払われ、卓越した技術で作られていました。

繊細天才福田雅代さんはとても気さくないい方で、私が展覧会を訪れた時、とても和かに喜んでくれました。

そしてこのイベントの主催者である株式会社KAZAANA代表取締役、樫村健太郎さんにもお礼の言葉を申しあげます。なぜなら、繊細天才福田雅代さんの素晴らしい才能を世の中に広めてくださったのですから。

近々「隠れた宝石」にご招待して、繊細天才福田雅代さんに、切り絵の達人になるまでの道のりや、インスピレーション等についてお話を聞きたいと計画しています。