玉に瑕

玉に瑕

玉に瑕

玉に瑕

自分には発言権もコントロール権もないと思っていませんか。

個人の主権の制御を超えて行うべきことはまったくないため、この種のものは懸念材料として分類できません。

挑戦的態度」という最近の私のブログをご覧下さい。この儀礼は、個人の成長と変化のための管轄権を説明するものであり、個人的な権限として知られる超能力なのです。

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実のところ、不平や不満の発生はすべて、きっと「挑戦的態度」ゾーンから発生しているのでしょう。

意味と目的に満ちた人生を送るために必要な変化を認識しながら、自ら招いた懸念材料について何もしようとしないのは、自己実現するまで何度も何度も現れる挑戦的態度に他なりません。

不作為と意志の欠如による自己妨害は、あなたに懸念材料を引き寄せ続けます。実を言うと、これらの厄介者は、不愉快さの程度に差はあれ、予告なしで、異質な場所で、ある日、ある時、頻繁に現れるでしょう。

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個人的な健康の正確な測定は、懸念材料がどれくらいの頻度で、どれくらいの大きさで現れるかであり、適切な対策を講じることは、個人的な懸念に対する認識を深めることを擬人化することになります。

これは、個人的な懸念が減少し、ある晴れやかな日に完全に消滅するまでの時間を測定するためのメーターなのです。

あなたの懸念(個人の夢、欲望、願望)を汚し、妨害するために待機しているスペクトルに注意しなければなりません。あなたは他人のゲームをプレイする目的でコントロールされている駒であり、完全に人生のゲームからあなたを排除することができるのです。

Snakes-Ladders

懸念は様々な形で現れ、まさに、やる気もなく、内省もなく、意味もなく、高次の目的意識もなく、瞬間瞬間の存在として生きている人生を確実に反映してます。

また、あなたの懸念を狙う者が定期的に訪れることも考えられます。特にアブは厄介な肉食昆虫で、この種は非常に悪質な方法で、深いカルマのような悪い知らせを伝えることで有名です。

horse fly

人生は決して計画通りには進まず、衝撃的なことは突然やってくるように見えますが、それは真実ではないことが多いでしょう。「懸念材料」は、実は予測可能な台本であり、日の出のようなものなのです。

欠陥だらけの決断、無頓着な態度、そしてすべての欠陥の中で最も一般的なもの、産業教育コンプレックスの卒業生たちの権利意識、この忌まわしい現象を教え込まれ、コンプレックス・デジーズという曲にもなった、忌まわしい第二の天性となっています。

Complex Disease

この世界の性質は、知識、真実、そして文明3.0を前進させるような価値ある概念の邪魔を常にします。

途中でやっかいな懸念材料に遭遇するのは避けられないため、どんな挑戦でも受け入れるということは、単に自分自身の心を変えるだけであり、障害を前に進む道として見るようにすることであることを理解することが不可欠です。

名手ライアン・ホリデーは、古代ギリシャのストア哲学と日本のサムライの哲学を並列させながら、無限の時間の中で遠い過去から同じ結論を導き出した古代の知恵を私たちに伝えています。

Ryan Holiday - The Obstacle is the Way

この世で成功する方法は、限りある地球上の存在の一瞬一瞬を受け入れ、大切にすることであり、最も重要なことのひとつを理解し、今日から始まる自分自身の人生を前進させ、常に次のことを心に留めておくことなのです:

障害は道である

The obstacle is the way

個人の鬼コーチ

個人の鬼コーチ

個人の鬼コーチ

個人の鬼コーチ

挑戦的態度をとる人間とは、 「鬼コーチ 」のようなものでしょう。

それは様々な形で現れるので、自身の態度の起源を確かめることです。

また、自分の態度が子供の頃の育てられ方に関係しているかどうかを認識し、古い格言である「子は親に似る」という事実を避けるようにしましょう。

Chip off the old block

世代的な欠点を克服するためには、適切な対策を講じ、自己増殖する歪んだ現実を覆し、欠点を深く根付いた不屈の精神に変えることが不可欠です。

個人の鬼コーチは、凡庸さや停滞の言い訳であり、壊れた精神や砕けた夢となって現れるため、最初に欠けを認識することは困難で、あなたの耳元でささやき続け、あなた自身を悩ませるでしょう。

抑圧された未解決の内的葛藤を裏切り、明るみに出て認識されると、新しく悟りを開いた人を、最初は混乱を通して、この風変わりなシナリオが、運命として知られる概念と何らかの関係があるのではないかという、うずうずした感覚を通して、非常に不快な移行へと連れて行くのです。

Date with destiny

利己的で、自称、人類の無私無欲の奉仕者を名乗りながら、自分自身は何も犠牲にしない人がいます。

このような苦悩に満ちた人々は、恨みと恨みという化膿したの奴隷のままであり、自分自身を哀れんでいます。

Care Factor Zero Empress Grace

 最近、高等教育機関と呼ばれる学校内で、不愉快な存在が明らかになりました。

人生に一度あるかないかの就職を夢見て、山ほどの借金を背負い、一生の奴隷生活と借金返済に誘惑された、意気消沈した世代の純朴な個人の姿を目の当たりにするでしょう。 破産寸前の状態の今や、新たなライバル AI によって取って代われ、大学の学位はもはや無意味なため、わざわざ受験する必要はないでしょう。

Most-Useless-Degrees

残念なことに、見当違いの悪意ある数学者が徐々に尊厳の感覚を失い、失笑と絶望の淵に落ち、落胆した否定的な感情を振りまきながら、より醜く暴力的になる傾向があります。

大アジアの隅々を探検する機会は無限であり、また奥深いものでした。

Bagan Burma

儒教、仏教、祖先崇拝から形成された社会と文化は、肩の荷を下ろし、社会の調和を深め、強い家族、一族、そして人間という種が、生来持っている原初的な性質が呼び起こす、共同体を創造するのです。

Clarity Over Time - cybersensei - Land Of The Rising Son

器用貧乏

器用貧乏

器用貧乏

器用貧乏

何でも屋という言葉は、やや皮肉な褒め言葉であります。

褒める場合は、様々なことができる人のこと。

揶揄する時には、何事にも凡庸で、何一つ能がない人という意味。

万能であることは、集中力を欠いた、凡庸さの表れなのでしょうか?

全然(*´`*)

何でも屋ということは、さまざまな仕事や職務をこなせる人のことですが、その反面、そのどれもが専門家レベルではないということでしょう。

Einstein on mediocrity - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

器用な人は幅広いレパートリーを持っており、多くの状況で人を助けることができます。

1987111日、日本でのオッチョコチョイの語学教師は、日出ずる国に到着し、祖国からの飛行機を降りた直後に誕生しました。

驚くべきことに、器用貧乏の達人になることが、力強い人生哲学の中に組み込まれていたのです。

Remember enthusiasm - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

「日出ずる国」の起源について知っていますか。

道を踏み外した少年の原点は、「太陽に続け」という、心の奥底に潜む生来の最も好奇心旺盛な概念を明らかにします。

探究心は、人生のありふれた日常的な交流に、冗談と誠意と機知をちりばめながら、探究心を刺激し、関連する話題を探り出し、人間関係を豊かにします。

多芸多才でなだけでは飽き足らず、一つのことを極めようとするあまり、毎日早朝から日本語の隅々までを探求しています。

follow the sun to infinity - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

急速な進歩を遂げるテクノロジーが、「道なき道」を行く、すべての人に驚くべき選択肢を提供しているのを見て、結論はただひとつ。

高度な自己管理能力を身につける機会は、必然的に、尊厳、目的、コミュニティで魂を満たす能力に力を与える新たな道へと繋がります。

デスクトップ・パブリッシングとコンピュータ支援グラフィックスの黎明期に、フォトショップ1.0という非常に不思議なソフトウェアが登場しました。

Photoshop 1.0 Classic - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

インターネットが登場するずっと昔、今日の味であるミームが登場する、ずっと以前のことです。

Do Not Be A Twat - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

それから30年、革命はとどまるところを知らず、未来を指し示す強力なツールの発見に喜びを感じ、再び心の琴線に触れるようになりました。

多くの人にとって、コンピューター・プログラミングの専門用語やその氾濫は、科学者やマニアックな変人の領域であり、素人には近寄りがたいものでした。

そんな過去も、A.I. の登場とともに消え去っていきます。A.I.  がコードを引き継ぎ、より創造的な取り組みのために、マウスを動かすだけで、表現の自由を備えた個人的で素晴らしいコードが作成され、まだ語られていない無数の物語が展開されます。

イソップの寓話から温故知新 - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

私は彼の貴重な洞察力と、いつもながら非常に生産的な提案に大いに感謝します。

この素晴らしい世界は、今やグローバルな同世代が集い、交流し、私達無限大のコミュニティを築くことを可能にする、人と人とのつながりを進化させました。

器用貧乏のスペシャリストとして、これらの新しいクールなツールは、これ程楽しいものはありません。

Clarity Over Time - cybersensei - Land Of The Rising Son

レオニー・ギルモア

レオニー・ギルモア

レオニー・ギルモア

レオニー・ギルモア

世の中を隅々まで探求すると、溌剌とした歴史上の人物を発見することになり、生来の好奇心を常に満足させてくれます。

驚くような女性たちが、信じられないような物語とともにあちらこちらに現れ続けているのです。

Portrait of Leonie Gilmour Uni Student - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

この明治時代の興味深い物語の主役は、1873617日に地球の大気圏に突入したニューヨーク・マンハッタン出身の教育者で、編集者、ジャーナリストでもあったレオニー・ギルモアという女性です。

彼女は若い頃から学業優秀で、ブリンマー女子大学の厳しい卒業条件をクリアした、数少ない学生の一人であり、その努力により4年制大学の第一回奨学金を授与されました。

レオニーは、アメリカへの最初の日本人留学生の一人で、生粋の日本人の津田梅子と出会いました。そして日本との生涯のつながりが永久的に動き出したのでした。

1901年、ニューヨークに到着したばかりの、当時25歳の日本人作家、ヨネ・ノグチは、ある求人広告を出しました。レオニーは、その求人を見て応募し、それが二人の出会いでした。

Yone Noguchi-Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

ヨネ・ノグチはカリフォルニアに7年間滞在し、2冊の英詩集を出版していましたが、彼の英語力では、より高いレベルの作品を生み出すには至っていませんでした。

レオニーはヨネの編集者となり、『ある日本少女のアメリカ日記』というタイトルの、架空の日本少女の日記を出版させることに成功しました。

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保守的な時代にあっても、祖国を超えて、男女が惹かれ合うのに理由はありません。レオニーはヨネの愛人となり、二人の間に、愛児である彫刻家イサム・ノグチを世に生み出すことになります。

しかし、二人の関係が薄れつつあったちょうどその時、レオニーは妊娠したことに気づいたのですが、ヨネに和解を迫るのではなく、ロサンゼルスの母親と合流することを選び、そこでイサムを出産しました。

Portrait of Isamu Noguchi - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

女たらしの詩人ヨネ・ノグチは、すでにエセル・アームズと婚約していたのですが、その真相を確認したレオニーは自身とヨネとの婚約を解消しました。

その後、数ヶ月の間に、ヨネはレオニーを日本に呼び寄せました。しかしヨネはその後、19073月に、武田松子と関係を持ちました。

武田松子の存在を知り、とうとうレオニーは、1909年にヨネと別れたのです。

レオニーは第2子となる娘アイルズ・ギルモアを出産していましたが、父親の素性は、現在でも謎のままです。

Portrait of Ailes Gilmour - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

レオニーは、自分と2人の子供を養うために横浜の学校で働き、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の子供たちの家庭教師をしました。

レオニーとアイルズは1920年まで日本で暮らしましたがその後、ニューヨークに移り住みました。

さて、イサムの芸術への才能を見出していたレオニーは、イサムに医学部への進学を思いとどまらせ、重要な芸術家としての、本来の運命に向かわせることに成功しました。

Isamu Noguchi- Driven to Create - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

レオニーはまた、『ある日本少女のアメリカ日記』など、ヨネの作品とされるものの共著者でもありました。

実際、ヨネの最高傑作の多くは、レオニーの編集手腕によって成し遂げられたものであり、もし彼女の巧みな文才と編集手腕がなかったら、ヨネが成功を収めたかどうかは疑問でしょう。

2009年、映画監督の松井久子はレオニーの生涯を映画化しました。この映画は、明治時代の日本で力強く生きた女性の不屈の精神と逞しさを描いた、忘れがたい人間ドラマです。

今はさようなら、親愛なるレオニー、そして深く感動的な物語を本当にありがとう。

Leonie Gilmour with Japanese friends and Isamu Noguchi - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

偶然の異邦人

偶然の異邦人

偶然の異邦人

偶然の異邦人

愛称の楽しさは無限の可能性を秘めています。

私はあらゆる人々を見てきましたが、そのほとんどが日本人です。その人達に適切な愛称をつける機会が、たくさんありました。

個人の気質や組織やサークル内での地位によって、愛称は様々であり、辛辣な舌鋒と愛情を散りばめた愛称もありました。

Spiked Tongue - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

昔々、面倒くさがり屋で無知な女性がいました。そのため彼女は「泥」と呼ばれていました。

Clear as mud - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

唾棄すべき、ゴシップ好きで、悪意に満ち溢れた、汚らわしい愚か者の忠誠心で、特別な下劣な獣が、ガマガエルのように、頻繁に移り変わる様な人間に会ったことがあります。

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お局様などとも呼ばれるOL3人トリオの元締めは、「ダーク・クイーン」としか言いようがありません。このような女性は、今だに責任者のふりをしている男性たちを陰でコントロールしています。本当の権力は、舞台裏で糸を引くことになっているのです。

The Dark Queen - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

日本人の名前のつけ方には魅了されるものがあります。私は大人になって、日本文化に触れるようになり、そう感じるようになりました。

例えば、ビッグガール家族の場合、父、息子、孫はそれぞれの名前に「俊」という共通の漢字が使われています。

日本人が名前をつける時、しばしば意図的な時があります。例えば、一般的な女性の名前「典子」は辞典の子という意味になります。

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日本人が名前をつける時、しばしば意図的な時があります。例えば、一般的な女性の名前「典子」は辞典の子という意味になります。

この父親は、娘に学校でよい結果を出してほしいという思いを名前に込めてつけたのでしょう。そして娘は名門大学の会計学科を日本語で卒業し、誇らしげな父親と一緒に顔をほころばせるのです。

一方、先祖から長い名前を受け継いだ私は、「日出ずる国」に来て、日本人とやり取りする時、その長すぎる名前によって不便を感じます。日本人は、多くの西洋人の名前に慣れていません。日本人に、電話で私の名前を正確に伝えるだけのことでも、とても苦労するのです。

Worlds longest name - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

実は、これは日本だけの話ではありません。

ある国を訪れた 12 歳の少年がいました。その国の、あるアナウンサーは、その少年の名前を23度回間違えて呼んだ後、結局アルファベットの羅列で呼んだのでした。

ALPHABET - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

名前:アルファベット7文字、片仮名6文字

ミドルネーム:アルファベット4文字、片仮名3文字

苗字:アルファベット11文字、片仮名7文字

若い頃に、この折衷的な土地にやってきて、30数年後に人生の浮き沈みを目の当たりにし、ある日、目を覚ますというのは奇妙な感覚でした。色は変わらないのですが、毛虫が蜂のように刺す蝶に変身するように、この非常に長い名前も、いつか変化していくに違いありません。

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したがって、その変化を反映するために日本名を名乗り、白人の日本人として生きていくことに決めました。ここに広範な呪術的な物語が続くことになるのですが、当然のこととして、私は現在、非常に稀で希少な存在、偶発的な西洋人であると言えるでしょう。

戦争の子供

戦争の子供

戦争の子供

戦争の子供

ロッキー山脈の麓の、穏やかな雰囲気の中で子供時代を過ごした私にとって、戦争と、それがもたらす殺戮という現実は、はるか遠い世界の概念でした。

そんな折、ベトナム戦争に関する本に出会い、アメリカ軍のベトナムでの行動やラオス、カンボジアの破壊について書かれていたことを読み、戦争について深く考察するようになりました。

American in South-east Asia - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

この偶然の出会いの中で、私は戦争の本質を痛感し、民間人を抹殺し、他者の歴史や文化を消し去り、絶え間ない紛争地帯を作り出し、人類の進歩を阻害する隠された理由を理解するようになったのです。

1987年に来日し、日本の家庭を飾る仏壇を目にした時、戦争の現実が浮き彫りになりました。

仏教の伝統でしょうか。亡くなった人の写真が仏間の壁に飾ってあったのです。

戦争で殺された人の家族に直接会ったのは、生まれて初めてでした。戦没者は無数の祭壇の壁に鎮座する、神々としても祭られています。

家庭仏壇遺詠

私の最愛の義父は、1959年に早稲田大学を卒業し、日本のかつての国営放送NHKでキャリアを積みました。ウィットに富み、ストイックで、ブラックユーモアのセンスを持つ義父。そんな義父は、終戦を迎えた時、たった9歳でした。そしてその後、戦争の後始末と家族の再建を任されたのです。

Masatoshi Kodama Family Portrait - Land Ωf The Rising SΩN - cybersensei

この番組では、2020415日に録音された、義父児玉正俊が初めて戦争体験を語った肉声が収録されています。

9歳の子どもの目から見た酷い戦争の実体験とは、どのようなものなのか、耳を傾けてみましょう。

戦争が激しくなった、昭和19年頃、 田舎に親類が無い家の、小学校の五年生と六年生の子供達は学童疎開として、学校の教師の引率で、子供だけ田舎に避難した。私はまだ五年生にもなっていなかったが、兄がが対象となっていたため、一緒に伊豆温泉に疎開した。

伊豆の疎開先は旅館だった。その向かいの幼稚園から、忘れもしない、三月十日の東京大空襲が見えた。はるか100km先の伊豆から見えたのだから、それだけ大きな空襲だったのだ。

しかしその後すぐ、伊豆は毎日、東京空襲のためのアメリカ軍の飛行機が行き交っており、この場所も駄目だということになり、盛岡に移動した。それは大変な旅だった。しかし私たちが盛岡駅に着いた時、B29が、その先の釜石の爆撃の帰りに、飛行機を軽くするために、残った爆弾を落としていった後だった。駅の近辺にも、その爆撃の煙が残っていた。それじゃあ盛岡も駄目だということになり、今度は岩手の山奥の寺に避難した。その後妹も来て、私たちは兄弟は、そこで終戦を迎えた。

疎開先に向かう途中の思い出話だが、私達は弁当に握り飯を持たされていた。その握り飯はみんな腐ってしまい、泣く泣くみんなで、列車の窓から川に向かって捨てたのだ。今でも忘れない。多くの魚も飢えていたようで、水面に浮かんだ米をパクパクと食べていた。

終戦後、疎開先いた私達生徒は皆、一緒に東京に向かった。そして上野駅に着いたのだが、生徒のうちの一人が、そこで行方不明になった。そして長いこと待っても、最後まで見つからず、教師も諦め、私たちはその場を去った。その子の父親は軍人で、後で戦死したと聞いた。彼は少佐か大佐で、一度、疎開先に慰問に来てくれた。その時彼は持っていた軍刀を抜いて見せてくれ、私達子供は皆んな感動したものだった。後から考えると、馬鹿な話だ。

そしてやっと最寄りの荏原町駅に着いた時は辺り一面完全な焼け野原だった。しかし自分の家は運良く残っていた。目の前の家までは焼け尽くされていたが、自宅から南側の住宅は焼けなかったのだ。

私の父は若くなかったから、戦争に徴兵されることはなかった。当時の片倉生命という保険会社で働いていた。

その当時から、日本の復興は早かった。戦後、どのくらい経っただろうか。闇市なんかができて、ほったて小屋から始まって、あっという間に繁華街が戻ってきた。