本当に恐ろしい幽霊

本当に恐ろしい幽霊

本当に恐ろしい幽霊

本当に恐ろしい幽霊

私は日本の高校の文化祭を訪れた事があるのですが、ある3年生のクラスが作ったお化け屋敷が最高に面白かったです。 西洋の幽霊と、日本人の死んだ人間の魂の考え方は同じではありません。 これが明確になったのは、初めてお化け屋敷に入った時に見た、死んだ漁師でした。 この不幸な漁師は、日本の荒れた海で釣りをしている間に溺死し、そして死んだはずのこの切ない漁師は、ブクブク泡を吹きながら、「この釣り場はよくないよ〜。」と喋るのでした。 この時はそんなに恐ろしかった訳ではありませんでしたが、苦しみの幽霊の例として、この後に出てきたもっと恐ろしいお化け屋敷の前兆だった気がします。 この記事を書くきっかけとなった話なのですが、若い死んでいる母親が、血だらけの死んだ赤ん坊を抱きながら、「私の赤ん坊を抱いてください。」と懇願するお化け屋敷の幽霊が、苦しみの幽霊として一番鮮烈でした。 多分それは血まみれの白い出産用のスモックや、出産のために死んだであろう母親の、不幸で取り乱した姿がリアルでインパクトが凄かったからです。 この年、私の8歳の娘と二人、私の母国に帰ったのですが、たまたまハロウィーンの頃でした。私は心優しいく暖かいカナダ人の私の母親に娘を預け、先に Land Of The Rising Sonに戻りました。娘と私は前もって相談して、死んだ母親と死んだ赤ちゃんをハロウィーン再現するという、最高のアイディアを考えていました。   しかし彼女の祖母が「カナダ人を驚かせたくない。」と言ったので、この素晴らしい提案は残念なことに現実にはなりませんでした。 最高のトリックオアトリートのハロウィーン仮装のアイディアに違いなかったのに。 親愛なる読者の皆さん、想像してみて下さい。 ハロウィーンの夜にあなたの家のドアを開けて、「私の赤ちゃんを抱いてください。」とあなたに懇願する血まみれのスモックの中の8歳の子供の姿を。  
日本のケーキを食べましょう

日本のケーキを食べましょう

日本のケーキを食べましょう

日本のケーキを食べましょう

私は日本人の改善力にはいつも驚かされます。

日本のファンの皆さんはすでにご存知かと思いますが、日本人は別の国からの文化を取り入れて、日本のエッセンスを加えて独特の物に変化させる技を持っています。

日本のケーキ作りの職人も例外ではありません。

私は自分自身は甘党なので、多くのケーキショップで、常に好きな物を選ぶことができるチャンスに恵まれて、本当に幸せです。

見た目の美しさはもちろん、色々な味が統合されたバランスが、息をのむほど素晴らしいですね。

 

日本のケーキショップでは、初めからプラスチックに覆われたケーキを、更に箱に入れ、そして更に頑丈なビニールの袋に入れてくれます。これはある意味超現実的です。

さあ親愛なる読者の皆様、もしまだ『ケーキ道』の経験がないようでしたら、ぜひ体験される事を切にお勧めします。

非常に美しく精巧なケーキは、日本中のデパ地下や、田舎の街に点在する個人経営の小さなお店、アメリカンスタイルのモールなど、あらゆる場所で手に入れる事ができます。

このような品のいいケーキのアートは、小さな喫茶店でも食べる事ができ、それも日本の独特の一つの文化になっています。

徳仁天皇即位の礼

徳仁天皇即位の礼

徳仁天皇即位の礼

徳仁天皇即位の礼

徳仁天皇即位の礼は2019年10月22日に行われました。​ ().

5月の最初のポッドキャストでは、日本人にとっての天皇の重要性についてお話しました。

このポッドキャストをお聞ききになりたい場合は、こちらからどうぞ。(ランドオブライジングサン ポッドキャストへ).

ここ日本では6か月前、新しく徳仁天皇が即位されました。彼の父である明仁天皇は、生前退位されましたが、これは200年以上前に生前退位された光格天皇以来の出来事です。徳仁天皇は王位継承を告げる神聖な儀式で剣、宝石、公式の印章を受け取りました。

この10月に行われた2回目の式典では、新しい天皇を世界に宣言するという催しでした。

191か国から2000人以上の要人が招待され、滅多に見られない、この縁起の良い式典を目にしました。ゲストにとっては大変貴重な一生に一度の儀式だったことと思います。

徳仁天皇は短いスピーチを行いました。このスピーチは、私たちの新しい天皇の想いを伝えました。彼の父、明仁上皇の務めを受け継ぎ、日本だけでなく、世界中すべての人類のための平和と、統一の象徴として働きますと、お話しされました。

以下、徳仁天皇のスピーチです。

「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。

この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに,常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。」

私は即位の礼に出席した各国のゲストが、この後自国に帰り、改めて自国の改善と、市民の幸福と繁栄に向けた義務感を持ち、調和のとれた国際的な感性を磨いてもらいたいと、心から願っています。

私の次のポッドキャストでは、日本のルーツについて議論し、なぜ日本がこのような謎めいた、世界で最も、ある意味誤解された社会にななったかについて、さらに光を当てます。

 

花札

花札

花札

花札

日本に来たばかりの頃、私は10才年上の男性と友達になりました。

日本では珍しく、彼は日本でトップクラスの競走馬のトレーナーでした。

その時私は日本語がほとんどできず、そしてその彼の英語のスキルも皆無でした。

ある日、彼の家の家のパーティーに招待され、私にとって初めての、すき焼をご馳走になりました。

最近の私のブログの投稿で、和牛の信じられないほどの美味しさについて語りましたが、この時も絶妙なすき焼きの霜降り牛肉が、口の中で溶ろけました。

さて、その時私達はまだコミューニケーションが難しかったので、彼は私に退屈しのぎに花札を教えてくれました。

花札は一見するとトランプに似ているゲームです。

本当に楽しいゲームで、ある時期私は飽きもせず、散々花札で遊びました。日本の素晴らしいゲームである上に「花のトランプ」は素敵なコンセプトだと思います。

花札は博打でも使うことがあります。想像してみてください。ヤクザのメンバーが酒を飲み、タバコを吸いながら、花札で賭博をする風景を。

因みに、最近手に入れた花札の製造会社はかの有名なゲームメーカー任天堂です。

相撲、みかん、こたつ、お茶、せんべい

相撲、みかん、こたつ、お茶、せんべい

相撲、みかん、こたつ、お茶、せんべい

Sumo, Mikan, Kotatsu, Ocha, and Senbei

1987年1月11日に来日して間もない頃、私は素敵な女性の家に招待されました。

この素敵な女性は、私を彼女のリビングルームに案内してくれ、一緒にこたつに座って、テレビで大相撲初場所を観ながら、緑茶、せんべい、みかんを出してくれました。

これから何が始まるのかとワクワクしながら、私は生まれて初めてコタツという物に足を入れました。

湯呑みから湯気と共に立ち上る緑茶のいい香りを楽しみ、パリパリのせんべいをかじりながら、それまでに経験したことがないような、素晴らしく美味しいみかんをいただきました。

(私がカナダに住んでいた子供の頃は、日本のオレンジは手に入りにくく、私の家では、お正月だけの特別な物だったので、一日2個までと母に決められていました。その時も美味しいと思っていたのですが、この女性のお宅でいただいた物は格別でした。)

私はその時まさしく、別の惑星の楽園にたどり着いた気持ちがしました。

私はこれまで相撲を見たことがなかったので、これは私の人生の中で最も興味深い経験の1つでした。

私はすぐに相撲ファンになりました。というのは、この時期の日本の相撲界は特別な時期だったのです。

横綱が4人、大関が4人で、特にハワイで生まれ育った非常に素晴らしい小錦関は、外国人として最初の力士の1人でした。

それからまた、千代の富士関が最も素晴らしい力士だと思いました。この時期は近代日本相撲界の黄金時代だったと思います。

千代の富士関は、これまでで最高の横綱の一人と考えられており、31の優勝を達成しました。これはかつての大鵬関に次ぐ2番目の記録です。

彼の21年間の現役としてのキャリアの中で、通算1045回の勝利、そしてその内、幕内では最も最多の807回の勝利を記録し、その当時のギネス世界記録に登録されました。

しかしとても残念ことに、この偉大な力士は癌のため、2016年7月31日に東京で、61歳の若さで亡くなりました。

私は後に知ったことですが、相撲は神道として日本の先住民の宗教的に重要なものなのです。

相撲は何世紀にもわたって古き伝統があり、取り組みの前には塩を撒くなど、神道の一部である古代日本の儀式が今なお残っています。

現在でもある神社では、神聖な神と力士が格闘しているような儀式的な舞踊も行われています。

私の最愛なる読者の皆さん、もし実際に Land Of The Rising Son(日本)を訪れることがありましたら、是非、相撲を自分自身の目で観ていただきたいと思います。

それが不可能でしたら、是非こたつに座って煎餅とみかんを食べながら緑茶を飲み、この信じられないほどの歴史的な相撲という儀式を楽しんでみて下さい。

そうすれば、古き良き日本人の気持ちが、少しはあなたに届くと思います。

 

和牛対アメ牛(アメぎゅう)

和牛対アメ牛(アメぎゅう)

和牛対アメ牛(アメぎゅう)

和牛対アメ牛(アメぎゅう)

和牛対アメ牛(アメぎゅう)

根本的に、日本の牛とアメリカの牛についての考え方は全く異なっています。

アメリカのレストランでは、質より量。アメリカの牛肉料理と言えば、ステーキ、ハンバーガー、リブなどが有名ですが、とにかくバカでかいです。

アメリカを訪れたら是非、スーパーに足を運んでみてください。そこには肉祭りの光景が広がっています。

アメリカではほとんど毎日肉を食べているに違いないのです。

一方で日本の牛肉、すなわち和牛はどうでしょう?

世界的にも美味しく貴重であると認められ、そして高級な和牛。

特に松坂牛、神戸牛、米沢牛などが有名ですね。

皆さんも一度は口にしたことがあるでしょう。

和牛は特別な飼料や生活様式など、豪華な環境で育てられ、飼育期間は通常よりも18ヶ月長い3年間にのぼります。

和牛の飼育には手間もコストもかかるのです。

また、和牛の証明ともいえる濃密な霜降りによって、口に運ぶと溶けていくような食感がもたらされるだけでなく、他の牛肉と比較して、和牛は一価不飽和脂肪酸(オレイン酸)の割合が非常に高いため、和牛には豊かで力強い風味が生まれるのだそうです。

私が30年以上前に最初に日本に来た時は、牛肉はなかなか手に入りませんでした。そしてその当時も効果で、それはそれは特別なご馳走だったのです。

肉屋に行って、和牛の値段を見てショックを受けました。

一番高い物は100g当たり千円。 ¥1,000/100g (USD $9.50/3.5oz)

それはもう、めっちゃ美味しかった。

しかしこれが毎日食べられる物ではありませんね。

面白いことですが、その当時、アメリカと日本では貿易摩擦の真っ最中でした。

それはアメ牛とオレンジについての、貿易の技術的障壁を含む非関税措置に関しての事で、日本はアメ牛とオレンジの輸入を長い年月拒んでいたのです。

日本とアメリカはパートナーでしたが、なんとタイミングが悪い事に、そしてその摩擦が解決寸前に、輸入の牛肉に狂牛病が発症するということが起きました。

全ての牛肉の輸入は止められました。すでに日本に入ってきていた輸入牛肉も処分されたのだったとも思います。

1986年イギリスで初の狂牛病症例が発見されました。そして年月が経ち、2001年に日本でも初めての狂牛病が発見され、2003年から日本は牛肉の輸入を禁止していましたが、2013年にその規制はやっと緩和されました。

話が現在に戻りますが、最近は日本では牛肉の消費が激増していますが、輸入品がほとんどです。

日本に進出しているアメリカ大手会員制ウェアハウスストアの肉の販売が流行っているのは、たくさんある焼肉屋のおかげではないでしょうか。

もう少し分析させていただきますと、日本は他の文化から発生した物を素晴らしく改善する能力にたけています。

自動車や電化製品がそのトップだと思いますが、食についても例外ではありません。

ですから、この牛肉の物語が、今後どうなるのかが楽しみです。

日本のアメ牛食道。(アメリカ牛の食べ方の道)

日本人のセンスでアメリカのビーフをたくさん消費し、そして料理方法をどんどん研究開発し、今後の私たちの未来の健康をも左右するかもしれません。