招き猫

招き猫

招き猫

招き猫

店に入るとよく見かける招き猫。手が上がっているのは「どうぞ、いらしゃいませ」と誘っている意味です。左手が上がったら、飲み屋、右手が上がったら、その他のビジネスが繁盛すると言う伝説の置物。

大体招き猫は様々な種類の店やレストラン、パチンコ店、コインランドリー、クリーニング店、美容室、その他オフィス等の入り口や中によく置かれています。

招き猫は江戸時代後期に、日本に最初に登場しました。1852年の「江戸の年表」という題名の文書に記録されています。

招き猫の初期の例としては歌川広重の浮世絵「浄瑠璃町半家の図」にも見ることができます。これも1852年に描かれました。

1902年までに日本では招き猫の広告が人気で、次の世紀に変わるまでその人気は衰えませんでした。

日本には、このような愉快な、心温まる文化がたくさんあります。私はこの「ランドオブライジングサン」での旅を続けるにつれて、どんどんそれを知る事になりました。

 

愛すべきカニ

愛すべきカニ

愛すべきカニ

愛すべきカニ

愛すべきカニ

日本人は途中半端な人種とは言えないでしょう。

そうです、日本人が何かをやろうとした時、一心不乱にやるのです。

私達にとっては、ただ普通の魚介類だと思うような物にも大枚をはたきます。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、一杯の五ツ星のカニに500万円を払うこともあるんです。

しかしそれは一概に馬鹿馬鹿しいとは言えないのです。

それはまさにランドオブライジングサンの鳥取県で、つい最近起こったのです。

鳥取県で捕獲された五ツ星のズワイガニは、競りで史上最高の500万円で落札されました。

地元の業者であるかねまさ・浜下商店が、競り落としたのでした。

この会社は昨年、厳選されたカニをわずか200万円で購入しただけでしたが、今回の落札ではカニに支払った額で、ギネスブックの世界一を記録しました。

当たり前のことですが、この可哀想なカニは銀座の高級な日本料理店に向かいます。そしてそこで、お金持ちのお客さんや、店のオーナーやのスタッフの全ての人たちにとって特別な経験となるでしょう。

さて来年の鳥取のカニの入札の物語はどのようになるのでしょうか?楽しみですね。

動画はこちらへ

七五三を祝う

七五三を祝う

七五三を祝う

七五三を祝う

日本ではちょうどこの時期、とても驚くべき風習が全国で行われます。

日本中の至る所で、子供達が親から色とりどりの着物やスーツ、素敵なドレスを着せられ、日本の神や女神に感謝を捧げるために神社に連れて行かれるのを見ることができます。

そして専門の写真スタジオで素晴らしい写真撮影が行われ、これらの楽しくて貴重な瞬間が家宝として写真に収められ、日本の家族は10年あるいは50年にもわたって、お正月などの親族の集まりの時に、みんなで見ては楽しむ事でしょう。

この七五三と言われる行事では、男の子は通常5歳で、女の子は3歳と7歳でお祝いします。

日本人はかつて、7歳までの子供を、神の子と信じていたので、子供がこの年まで生きられた事を感謝する儀式なのです。

歴史的にみて世界中のほとんどの地域で、医療が発達する以前、子供の死亡率は高かったので、このように日本でも子供の生存を祝い、立派な大人になるように、神道に成長を祈るようになったのです。

勤勉な日本人が厳しく忙しい時間の中、このように手間をかけて、まさに一期一会の機会を作り、祖先と日本の伝統を称えるのは素晴らしい事だと思いませんか?
((以前に「一期一会」についてのブログ記事を書いています。こちらからお読み下さい。))

参考:この古代からの儀式は平安時代に始まりました。 794年から1185年 (平安時代についてはこちら).

本当に恐ろしい幽霊

本当に恐ろしい幽霊

本当に恐ろしい幽霊

本当に恐ろしい幽霊

私は日本の高校の文化祭を訪れた事があるのですが、ある3年生のクラスが作ったお化け屋敷が最高に面白かったです。 西洋の幽霊と、日本人の死んだ人間の魂の考え方は同じではありません。 これが明確になったのは、初めてお化け屋敷に入った時に見た、死んだ漁師でした。 この不幸な漁師は、日本の荒れた海で釣りをしている間に溺死し、そして死んだはずのこの切ない漁師は、ブクブク泡を吹きながら、「この釣り場はよくないよ〜。」と喋るのでした。 この時はそんなに恐ろしかった訳ではありませんでしたが、苦しみの幽霊の例として、この後に出てきたもっと恐ろしいお化け屋敷の前兆だった気がします。 この記事を書くきっかけとなった話なのですが、若い死んでいる母親が、血だらけの死んだ赤ん坊を抱きながら、「私の赤ん坊を抱いてください。」と懇願するお化け屋敷の幽霊が、苦しみの幽霊として一番鮮烈でした。 多分それは血まみれの白い出産用のスモックや、出産のために死んだであろう母親の、不幸で取り乱した姿がリアルでインパクトが凄かったからです。 この年、私の8歳の娘と二人、私の母国に帰ったのですが、たまたまハロウィーンの頃でした。私は心優しいく暖かいカナダ人の私の母親に娘を預け、先に Land Of The Rising Sonに戻りました。娘と私は前もって相談して、死んだ母親と死んだ赤ちゃんをハロウィーン再現するという、最高のアイディアを考えていました。   しかし彼女の祖母が「カナダ人を驚かせたくない。」と言ったので、この素晴らしい提案は残念なことに現実にはなりませんでした。 最高のトリックオアトリートのハロウィーン仮装のアイディアに違いなかったのに。 親愛なる読者の皆さん、想像してみて下さい。 ハロウィーンの夜にあなたの家のドアを開けて、「私の赤ちゃんを抱いてください。」とあなたに懇願する血まみれのスモックの中の8歳の子供の姿を。  
日本のケーキを食べましょう

日本のケーキを食べましょう

日本のケーキを食べましょう

日本のケーキを食べましょう

私は日本人の改善力にはいつも驚かされます。

日本のファンの皆さんはすでにご存知かと思いますが、日本人は別の国からの文化を取り入れて、日本のエッセンスを加えて独特の物に変化させる技を持っています。

日本のケーキ作りの職人も例外ではありません。

私は自分自身は甘党なので、多くのケーキショップで、常に好きな物を選ぶことができるチャンスに恵まれて、本当に幸せです。

見た目の美しさはもちろん、色々な味が統合されたバランスが、息をのむほど素晴らしいですね。

 

日本のケーキショップでは、初めからプラスチックに覆われたケーキを、更に箱に入れ、そして更に頑丈なビニールの袋に入れてくれます。これはある意味超現実的です。

さあ親愛なる読者の皆様、もしまだ『ケーキ道』の経験がないようでしたら、ぜひ体験される事を切にお勧めします。

非常に美しく精巧なケーキは、日本中のデパ地下や、田舎の街に点在する個人経営の小さなお店、アメリカンスタイルのモールなど、あらゆる場所で手に入れる事ができます。

このような品のいいケーキのアートは、小さな喫茶店でも食べる事ができ、それも日本の独特の一つの文化になっています。

徳仁天皇即位の礼

徳仁天皇即位の礼

徳仁天皇即位の礼

徳仁天皇即位の礼

徳仁天皇即位の礼は2019年10月22日に行われました。​ ().

5月の最初のポッドキャストでは、日本人にとっての天皇の重要性についてお話しました。

このポッドキャストをお聞ききになりたい場合は、こちらからどうぞ。(ランドオブライジングサン ポッドキャストへ).

ここ日本では6か月前、新しく徳仁天皇が即位されました。彼の父である明仁天皇は、生前退位されましたが、これは200年以上前に生前退位された光格天皇以来の出来事です。徳仁天皇は王位継承を告げる神聖な儀式で剣、宝石、公式の印章を受け取りました。

この10月に行われた2回目の式典では、新しい天皇を世界に宣言するという催しでした。

191か国から2000人以上の要人が招待され、滅多に見られない、この縁起の良い式典を目にしました。ゲストにとっては大変貴重な一生に一度の儀式だったことと思います。

徳仁天皇は短いスピーチを行いました。このスピーチは、私たちの新しい天皇の想いを伝えました。彼の父、明仁上皇の務めを受け継ぎ、日本だけでなく、世界中すべての人類のための平和と、統一の象徴として働きますと、お話しされました。

以下、徳仁天皇のスピーチです。

「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。

この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに,常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。」

私は即位の礼に出席した各国のゲストが、この後自国に帰り、改めて自国の改善と、市民の幸福と繁栄に向けた義務感を持ち、調和のとれた国際的な感性を磨いてもらいたいと、心から願っています。

私の次のポッドキャストでは、日本のルーツについて議論し、なぜ日本がこのような謎めいた、世界で最も、ある意味誤解された社会にななったかについて、さらに光を当てます。