古代の道
古代の道
八雲は、すべての文明の黎明期はカルトであり、それを経て初めて “宗教 “に変わると考えていました。
日本人に、あなたの信仰する「宗教」とは何ですかと尋ねたら、ほとんどの人が「私は無宗教です。」と答えるでしょう。
かつての日本人には「宗教」が無く、今でもそうだと私は考えます。
日本人には、何千年にも渡って今日まで続いてきた土着の生活様式があり、それを他の国の人から「宗教」と決めつけられてきたのです。
実際、日本の社会は、他の文明社会にもあるように、「祖先崇拝」という共通のテーマの上に成り立っています。
神道は、昔から日本の道を表す言葉として使われていたわけではなく、神道(神の道)と仏教(仏の道)を区別するために生まれたものです。
神道には、日本社会の基盤となる純日本的な3つの段階に分かれます。
家庭
地域社会
国家
神道の進化の順序としては、家庭から始まり、地域社会、国家と発展しました。
家庭での神道の初期の段階では、墓場でのみ儀式が不定期に行われており、これは日本の儀式の最も古い形で、日本の道の黎明期でした。
日本の集落には数百から数千の世帯があり、8世紀頃には死者のための位牌が導入され確立されたと考えられます。
すべての宗教の根源である祖先崇拝は、死者の魂を概念的に信じる認知能力を持っていたことから始まりました。
そしてこの原始的とも言える先祖崇拝では、例えばキリスト教のキリストの様な最高神を崇めるのではなく、神も霊魂も平等であると考えられていました。
したがって、将来の永遠の報いや罰、影の冥界(地獄)や至福の天上の楽園(天国)といった、後世で発展してきた様な信仰もでありませんでした。
本当に日本の神話では、ギリシャ神話の天国エリュシオンや、地獄のタルタロスの様な考えはなく、天国や地獄という概念も生まれていませんでした。
西洋の原始時代の祖先崇拝と同様に、初期の日本人は死者を光と至福の世界に昇天するか、苦悩の世界に落ちるという、どちらの概念もありませんでした。
日本では、人は死んでも尚、まだこの世に残っていると考えられていました。少なくとも、生きている人間と死者はコミュニケーションをとっていました。そして今でもそれは変わりません。
死者の霊魂は常に存在するものと考えられており、何らかの方法で生者の喜びや苦しみを共有することができると考えられていました。
死者の魂に供物を供えると、その見返りとして、生者は利益を与えられました。
死者の体は土に帰りますが、その霊魂の力はまだこの世界に残っていて、風や水の中を移動し、現世のご馳走を楽しんでいるのです。
日本人は死後、神秘的な力を得て、「優れたもの」である神になるのです。
悪人も善人と同様に神となり、どちらも神となるので、誰しもが位の高い人間である必要はありません。
すべての宗教的な犠牲の歴史は、古代の霊魂への供物の習慣にまで遡ることができます。
かつてのインド・アーリア人全体も、ただ精霊の魂という宗教しか持っていなかったのです。
祖先崇拝は、人類の先進社会のどこかでも行われていたのです。
祖先崇拝のプロトコルと、近代の洗練された文明とが共存すること、まさにそれが今、日本に求められているのです。
ここでは、どこの国で生まれた「宗教」であっても、祖先崇拝に貫かれている3つの基本的な考え方を紹介します。
1: 死者はこの世に残り、自分の墓や、かつての家に出没し、生きている子孫の人生に目に見えない形で関わる。
2: すべての死者は、超自然的な力を得るという意味では神になるが、生前の自分を特徴づける個性を保持しているのである。
3: 死者は、生者が彼らに敬意を払って崇拝するすることで存在の意味をなし、また生者は死者に敬虔な義務を果たすことで幸福になれる。
これらの初期の信仰に、後に発展したものとして、次の2つの宗派を加えることができます。
それは日本人の固有の祖先崇拝プロトコルの進化に、多大な影響を与えたと考えることができます。
4: 善も悪も、豊作も豊漁も、洪水も飢饉も、天変地異も高波も地震も、この世のあらゆる出来事は死者の仕業である。
5: 人間の行動の善し悪しは、すべて死者に支配されている。
前半の3つの信仰は、文明の黎明期、あるいはそれ以前に、死者が力の区別なく、単なる神々であったという時代から存続しているという解釈です。
後半の2つは、原始的な霊魂崇拝のプロトコルから、真の神話、巨大な多神教が発展した時代のものと思われます。
日本の祖先崇拝は、過去2000年の間に様々な変化を遂げてきましたが、行動に関する本質的な性格と社会の全体的な枠組みは、日本社会が構築される道徳的な基盤であり続けているため、祖先崇拝の上に成り立っています。
日本社会のほとんどすべてのものは、直接的または間接的にこの古代の崇拝プロトコルに由来しており、すべての事柄において、生者ではなく死者が日本の支配者であり、日本の運命を決定する者であると言えます。
日本 その解釈の試み
1904初版
パトリック・ラフカディオ・ハーン