あなたは縄文人?それとも弥生人?
あなたは縄文人?それとも弥生人?
私の友人が冗談めかして、あなたは縄文か弥生のどちらかなと尋ねてきました。
日本文明の黎明期のこれらの古い時代は、私にとってあまり馴染みがなかったので、その質問には少し驚きました。そしてこの奇妙な質問に答えるために、よく調べ、慎重に熟考する必要がありました。
そして調べ始めると、縄文と弥生は日本の歴史の中で最も魅力的な二つの時代という事が分かりました。
縄文人と弥生人は、それぞれ日本人が持つ独特のDNAレベルの特徴を持っていました。そして現代人の中にはそのDNAが残っている訳ですが、人それぞれ縄文または、弥生のどちらかが強く現れると言われています。
また、縄文時代は日本列島の文明の夜明けと言われています。この時代の民衆は狩猟民族として定着しました。
狩猟採集社会の文明は、春に若い芽を集め、夏には魚釣りをし、秋には木の実や穀物を集め、冬に狩りをするという季節毎に変化に富んだライフスタイルを送っていました。
縄文時代にアニミズムが始まったという説もあり、一方、一族の誰かがなくなると、その一族のグループの墓に埋葬され、儀式的な祖先崇拝の最も初期のルーツを示唆しています。
注記:祖先の崇拝は日本の文化と社会の基盤であり、これらの風習は現代に至るまで日本全土で実際に行われています。
また縄文時代には、初期の文化の特徴をもった土器の様式など、重要な歴史的遺産があります。
古代の縄文土器は、湿った粘土の表面に麻の紐で模様を施されており、古代文明のこのような遺産は、世界で最も古いものの1つとして認められています。
興味深いことに、縄文時代の粘土の置物も残っており、これらの置物は豊穣儀礼に使用されたと考えられています。
Indeed, old customs die hard here in the Land Of The Rising Son, and one can still see fertility rituals being carried on even now in modern Japan.
ここ日出国では、古い習慣はどんどん失われつつあるのですが、しかしながら、現代でも豊穣の儀式を見ることは可能です。
弥生時代は、海の向こうの広大な土地から大勢の人間が入ってきた時代であり、外界とのつながりを通して、青銅器時代は弥生の初め頃から発生しました。
はるか海の向こうからのこれらの旅人達は、日本に上陸した最初の「外人」であり、その当時もちろん現代のようなビザは必要ありませんでした。
「外人」とは何なのでしょう?
翻訳:「外部の人」
日本では、この2文字の熟語(外人)を使用して、日本列島の原住民と、そうでない人を区別します。
この時代に日本に移り住んだ外人は、縄文人とは人種的に異なり、韓国人と中国人は移民の人同士で結婚し、そして元々の縄文人は今日の日本人の基礎となりました。
日本の人口はこの時代に劇的に拡大し、約100万人に増加しました。
豊穣儀礼がうまくいった証拠ですね!
そして弥生時代は水耕稲作文化の普及とともに、田植えと収穫に基づく季節の儀式が行われた時代でもあります。
さて、縄文時代は当時の人々が、神道の発展に関連する遺産を最初に残したという証拠があります。ですから縄文時代は神道の夜明けとよく考えられています。
このような訳で、最近巷で流行っているのは、日本人の基礎であるこの二つの時代の呼び名を使って、「あなたのタイプは、狩猟採集民族に近ければ縄文人、または水耕稲作民族に近い人なら、弥生人かな。」と、個人個人の性格タイプで判断し、友人と揶揄しあうという面白い現象です。
私の最愛の親愛なる友人は間違いなく縄文人です!
彼には7人の子供と根深い狩猟精神があります。彼は毎日家を出ると宝物を探し、ビジネス取引をし、一日の終わりに空腹の家族のために、食料を購入するためのお金を持ち帰ります。
一方この物語の作者(私)は最も反抗的な弥生人です。遥か彼方から来た私といえば、バタ臭く、日本人とは肌の色が違うという事実を、隠すことはできません。
ここで1つ提案です:
本を表紙だけで判断するのはやめましょう。
外人である私は、出生の事実を変えることはできませんが、皆で共有の未来を築くため、過去の束縛から自分を解放するという選択しかありません。
私達は他の同じような精神を持った仲間の旅人に加わって、お互いの旅を尊重し合い、日々お互いをより良くすることができるでしょう。