中村哲医師はヒーローです
中村哲医師はヒーローです
世の中には知られていない英雄がたくさんいますが、その英雄達とその利他的な行為について実際によく知る人は少ないでしょう。
なぜこのような英雄達の人類の向上のための高貴な行動が、この広い世界で見過ごされているのでしょうか?
聖人というものは、自身の栄誉や名声のために立派な仕事をしている訳ではありません。自分よりも高貴な何かに、深い内なるところから呼び寄せられているのではないでしょうか。
もしアフガニスタンで暗殺されることがなければ、中村哲医師のことは、ほとんどの日本に知られる事はなかったでしょう。
この場所で長期に渡り苦しんでいるアフガニスタンの兄弟姉妹の生活を改善するために、中村医師は自身の貴重な人生を捧げたのです。
これは、この日本の殉教者が注目された悲惨な見出しです。
「彼は私たちに命を見せた」:アフガニスタン人に水をもたらした日本人医師が殺される
中村医師は、彼を援助するグループ、ピースジャパンメディカルサービス(PMS)を率いる医師であり名誉アフガニスタン国民でした。
パキスタンのペシャワールにある病院に、ボランティアとして1984年に初めて到着した中村医師は、ソビエト・アフガニスタン戦争から逃れたハンセン病患者と、アフガニスタン難民を治療していました。
中村医師はそこで過ごした時間を通して、栄養失調がここの住民の健康問題の根本原因であると特定し、それ以降、彼の仕事の範囲を農業と灌漑に広げ、アフガニスタン東部での運河プロジェクトの建設に焦点を合わせていました。
中村医師は、200年以上前に故郷の福岡に建設された灌漑用水路の設計から、最新の設備を使わなくても済む技法にインスピレーションを得ました。
そして中村医師は「1つの灌漑用水路は100人の医師に勝るだろう。」と述べたのです。
中村医師はまた、「病院は患者を一人一人を治療するのが役目だが、このシステムは村全体の役立つのです。私は、生き返った村を見るのが大好きです。」と述べました。
さらに、中村医師はこのように賢明に宣言しました:「武器と戦車は問題を解決しません。農業の復活はアフガニスタンの回復の基礎です。」
中村医師は日本人としての農民の心と、彼の中に住む人道主義は間違いなく真実であり、コミュニティがすべての人のために集まり、食糧を生産するために働く時の信じられないほどの団結の力になると考えました。
しかし悲しいことに、2019年12月4日、アフガニスタンのジャララバードで狙われた中村医師は、致命的な銃撃を受けました。
この攻撃者らは、彼ら自身のアフガニスタンの兄弟姉妹5人の命も奪いました。
そして殺された人たちにはもちろん家族がおり、一家の支えを失ったことによる荒廃と、貧困から抜け出そうと必死で暮らしていた家族の、より良い生活の夢は絶たれたのです。
実際にこのテロ行為は、最も脆弱なアフガニスタン人を助けることに人生の多くを捧げた男に対する無意味な暴力行為でした。
そのような卑劣な行為を実行する、加害者の心の中にある闇と悪を、理解する事は決してありません。
子供の頃から教え込まれた中世の教義を深く信じて、その他の異なった考えを持つ他人への憎しみを代々伝えているのでしょうか?
おそらくこの卑劣な行為は、この物質的な世界の最も強力な動機の1つと引き換えに実行されました。 それはお金です。
アフガニスタンの人々への中村医師からの信じられない程の贈り物、そして彼の神聖な使命で助けられた人々の命は、名も無い暗殺者よりもはるかに長く続くでしょう。
中村医師の魂は、2019年12月11日に故郷の福岡に帰り永遠の眠りについています。