西へ行け
偶然の異邦人の起源について尋ねられると、相手の好奇心を完全に満たす答えを見つけることはなかなか難しい。
どこから語り始めればよいのだろうか。
おそらくグレート・ホワイト・ノース・イーストであろう。そこは太陽を追う旅が最初に始まった場所である。
母がいて父がいるように、そこにはまた息子もいる。
どの根を辿るべきなのだろうか。
どの系譜が舞台を整えるのだろうか。
こうして、ネオ氏族年代記という神話的物語を紡ぐ長い寓話が始まるのである。
特定の一国について語ることは少々難しい。なぜなら、この紡がれる物語の始まりを一つの国民的アイデンティティだけで説明することはできないからである。
この物語はグレート・ホワイト・ノースのどこかにあるサーモンアームから始まる。そこは、この地上の寓話が母なる地球の上で最初に展開した場所である。
マギー・メイには特別な感謝を捧げなければならない。彼女は驚くほど短い時間で偶然の異邦人をこの世界へ送り出してくれたのである。
1963年10月24日午後2時14分。わずか2時間の出産を経て、極めて個人的で特別な一日が永遠に時の中へ刻み込まれた。
二つのユニークな魂の結び付きは、守護神たちによってあらかじめ語られていた物語なのかもしれない。
それは現実として顕現した夢の量子場の中で起こり、ネオ氏族の家系樹に知性を吹き込み、この神聖なるミームを通じて遠大な意味を持つのである。
長きにわたる毛皮猟師たちの系譜が存在した。特にビーバーという偉大なる齧歯目の勤勉な仲間たちと共に。
彼らは1700年代後半にグレート・ホワイト・ノース・イーストへ到達し、人類の時空における歴史的な縫い目を占める存在となった。
ロッキー山脈の西には、守護神たちから授けられたかのような清浄な世界が広がっていた。松の香り漂う森と山の渓流の中で、人生は夢のような動きとなり、牧歌的な風景へと姿を変えていった。
やがてその探求は、具現化された夢の一部としてネオ氏族の守護神の存在を1960年代後半の日本へと導いた。
未曾有の経済成長が始まる日本を目の当たりにするとは、何と壮大な光景であったことだろう。
西へ西へと進み続け、ついには国際日付変更線を越え、極東へ辿り着く。それは長きにわたる方向喪失の終焉でもあった。
物語は今や連続体へと入る。そこは夢が現実となる量子場であり、まだ紡がれていない無数のネオ氏族の寓話が待っている。
グレート・ホワイト・ノースのビーバー猟師たちは太陽を追い、流れの中へ入りながら、日出づる国の息子においてΩNEへ向かう儚い夢を展開していった。
そしてそれは突然訪れた。儚い桜の花から聞こえてくる囁きのように。
一つの理論が生まれた。真実だと信じるものは最終的には個人に属する。ならば、自らの軌道を描いてみてはどうだろうか。
ヴィジョンを現実へ変える公式はすでに存在している。
守護神たちへ感謝を捧げ、それらを敬いながら、自らの案内役であるセイティと共に具現化された運命の軌道を築いていくのである。
神悟時代が地上波テレビの構築された現実と交差する中で、日本人の秘密は少しずつ明らかになっている。
そこで浮かび上がる問いはこうである。波動関数を現在の現実という観測結果へ収束させるためには、どのような物語が必要なのだろうか。
過去から学び、現在を生き、未来を計画する。
それは歌舞伎劇場の次なる幕に見事に当てはまる。過去、現在、未来が同時に複数の意味を持つ量子的原理に従う三部構成のアニメなのである。
忘れてはならない。過去とは、反芻によって維持されない限り、やがて薄れゆく記憶に過ぎない。
過去を再解釈することは崇高な行為である。それは記憶を生命を与える意味へと変換する選択だからだ。
現在という時点において、世界は観測された結果である。そこでは第三文明の市民たちが善良な市民として秩序と公共心を保ち、地域社会とネネオ氏族哲学に奉仕している。
しかし真の冒険は、現在の重ね合わせ状態から未来を形作る白き芸術によって始まる。燃えるような願望を実現するためには、過去を手放さなければならない。
その奥深くには物語の主人公が待っている。太陽を追う運命を持った存在が。