初めての皇居訪問

初めての皇居訪問

初めての皇居訪問

初めての皇居訪問

私たちはおそらく一生に一度経験できるかできないかの体験をしました。皇居を訪れ、「大嘗祭」として知られるこの珍しい祭りごとのみのために組み立てられた、お見事な建物を見ることができたのです。何百年も前からの伝統ある儀式ですが、これらの構造物は昨年即位された、徳仁天皇のために作られました。

これらの素晴らしい建物は、神道の大工によって建設され、最も重要な神聖な儀式の一つとして、日本人の生き方の基礎と考えて良いでしょう。

忘れないでください。徳仁天皇は神道の最高峰であり、日本人の平和と団結の象徴として存在しています。

日本人の健康、平和、繁栄を長きに渡り守って下さる徳仁天皇と雅子皇后にご多幸をお祈りいたします。

          

パワフルなトークショーの司会者、日本のスーパー少女に魅了される:パート2

パワフルなトークショーの司会者、日本のスーパー少女に魅了される:パート2

パワフルなトークショーの司会者、日本のスーパー少女に魅了される:パート2

パワフルなトークショーの司会者、日本のスーパー少女に魅了される:パート2

先週、エレンチューブに初出演した、天才少女ドラマー、神童よよかについてお話ししました。

最初の出演では面白いハプニングがあり、何が怒ったのかを確認するために、日本人としては初めての2回目の出演となりました。

思い出して下さい。神童よよかはエレンに2つの美しい漢字をプレゼントしました。一つは「絵」、そしてもう一つは「蓮」。これでエレンと読みます。英語にすると、「蓮の花の絵」という事になります。

さて、神童よよかと絵蓮の、次の交流を見てみましょう。

絵蓮は神童よよかに、「この前に来た時は楽しかったですか?」と聞きます。

それから「前回は、ドラムを演奏することを習ったのは何歳からで、なぜ始めたのですか?と聞きたかったのです。」と絵蓮は言います。

「習う」という言葉をまた使っているのは、前回ここで話が詰まってしまったからです。何故なら、神童よよかは天才なので、「習う」という概念がないのです。彼女にとってドラムは自然にやってきた物で、楽器を「習う」ということが実際にどういうことなのか理解できないのでしょう。

神童よよかは「2歳のときにドラムを演奏し始めましたが、ドラムを「習った」のではなく、ドラムを「感じ」始めたのです。

そして彼女は続けます。「私は楽譜を読むこともできますが、ちょっと面倒なのでドラムを「習う」ということはありません。」

続いて絵蓮は神童よよかに「一番好きなドラマーは誰なの?」と聞きます。

神童よよかは日本語で「いっぱいいるんだけど、ロックドラマーなら、デイヴ・グロールです。」と言います。

絵蓮はデイヴ・グロールと聞いて、とてもホッとしました。

そして二人は、なぜ神童よよかデイヴ・グロールが大好きかという話を続けました。

「すごい鳴らす音がカッコ良くて、重いグルーヴがすごい!」と神童よよかは言います。

次に愉快な場面は、神童よよかが絵蓮にけん玉を教えたところでしょう。

絵蓮はとても本質が優しくパワフルなトークショーの司会者なので、頑張ってけん玉をやってみています。

この子供のおもちゃは練習しない限り難しいということは皆さんもお分かりですよね。そして日本人は、外国人が日本の伝統的なけん玉などに挑戦する時、本当に嬉しそうな顔になりますね。

そして絵蓮は前回の神童よよかの出演の際に何が起きたのかを説明し始めます。

「前回、何が起きたのかと言うと、撮影の前に予めよよかの好きなことについて質問してあったのですが、本番ではその答えを知らないフリをして話したんです。」

神童よよかはまた不思議そうな顔をします。

引き続き絵蓮は前回の出演の際に何が起きたのかを説明します。

以下の会話はパート1からの引用となります。

絵蓮:私はプレゼントを贈りたいのですが、次にあなたはどんな楽器を「習い」たいですか?

神童よよか:(以降日本語で)うーん、習いたくは無いけど、今ギターとかベースを練習しているから、ギター、ベースをやりたい。

絵蓮:たくさんの楽器について話しているのかしら?私は一つの楽器について知りたいのですが、彼女は何を言っているの?

通訳:今ギターとベースに取り組んでいるそうです。

絵蓮:ああ~期待外れの答えだ。

神童よよか:は? (頭を少し傾けながら)

絵蓮:私は違う答えを期待していました。

通訳:そうですか。。。

絵蓮:他の楽器も聞いてみて下さい。(通訳者へ)

通訳:他に何か無いかしら?

神童よよか:Nope!(顎を手で撫でながら)

 

絵蓮:彼女は木琴が好きですか?

通訳:(日本語で)木琴は?

神童よよか:「習う?」(笑いながら首を傾げる。)

通訳:彼女は習いたくはないと言っています。

絵蓮:それじゃあ見るだけでもどう?

神童よよか:(頷く)

絵蓮:はい持ってきて! (スタッフに手を振り合図。)

神童よよか:Yeah!(社交辞令的に盛り上がる。)

パート2に戻ります。

そして絵蓮は言います。「私はあなたが木琴を習いたいと思っていました。」

また「習う」と言う言葉が出てしましました。これでは絵蓮と神童よよかにとって、言葉の行き違いが続いてしまっています。

通訳者は日本語で、絵蓮は、よよかが木琴が欲しいと思い込んでいたと説明します。

ご覧ください。神童よよかはまた混乱した顔になります。

神童よよかの表情を見て絵蓮は、「欲しくなかったの?」と言います。

通訳者は「あなたは木琴が欲しいと思っていなかったのですか?」と日本語で聞きます。

神童よよかは混乱し、ためらいながら、「うーん、欲しかった。」と社交辞令を言います。

絵蓮はホッとしながら、「あなたは習った?」とまた聞きます。

再び「習う」と言う言葉が出てしまいます。

通訳者は神童よよかに「その木琴を使っていますか?」と聞きます。

神童よよかは「はい、毎日使っています。」といいます。

いつもの絵蓮のユーモアで、「それは良かった。使っていないなら返してもらわないといけないところでした。」と言います。

そして神童よよかはドラムセットに座ります。

神童よよかが演奏した、フー・ファイターズというバンドの曲「ザ・プリテンダー」を聴いた、当のデイブ・グロールから、神童よよかにビデオメッセージが送られました。これはこの若い天才にとって最高の贈り物だったに違いありません。

最後に、パワフルなトークショーの司会者絵蓮は、神童よよかと彼女の家族に、ユニバーサルスタジオのVIPパスポートをプレゼントしました。絵蓮様ありがとうございます!

個人的に私は非常にエレン・デジェネレス​を尊敬しています。彼女は1997年に自身がレズビアンだということを世間に発表しました。それは彼女のキャリアに影響を及ぼす可能性があったにも関わらず、彼女はその大きな障害を乗り越えて、私たち人類にいい影響を与えたに違いありません。

2回目の神童よよかの絵蓮ショー出演シーンはこちら。

父の帽子が日本に帰ってきた!

父の帽子が日本に帰ってきた!

父の帽子が日本に帰ってきた!

父の帽子が日本に帰ってきた!

私の父が日産社の招待で1968年に日本に来た時、この帽子をかぶっていました。

ダットサンとは?若い人は知らない人も多いかもしれませんが、日産の輸出ブランドです。ダットサンについて

実は私の最初の車はダットサン510でした。お父さん、本当に私の初めての車のために、半分の代金を支払ってくれてありがとう。

私は父親から、自分自身で支払う事の大切さを学びました。これは非常に貴重な教訓になりました。

カナダで最初のダットサンディーラーの一人としてダットサンから日本に招待された彼は、たいそう喜んでランドオブザライジングソンに関する素晴らしい土産話を持って帰ってきました。

そして彼はお土産に箸と箸置きを持ち帰り、家族にその使い方を教えてくれました。

お世辞が上手な日本人はいつも「箸を使うのが上手ですね。」と今の私の箸のテクニックを褒めてくれますが、その時私は苦笑いをしてしまいます。そして「あなたのスプーンの使い方も上手ですね。」と少し皮肉を込めて返します。

もしあなたがランドオブザライジングソンに来て「おはようございます。」とだけ言っても、日本人は「日本語が上手ですね。」と褒めてくれるでしょう。それは日本人がこの難解な社会をスムーズにしているのです。

父のランドオブザライジングソンへの初めての旅に話は戻ります。

彼はパレスホテルで生の魚と天ぷらを夕食に食べ、朝食には和牛ステーキをご馳走になりました。これは日本を好きにならない訳がないでしょう。

そして私の父はダットサンの車を輸入する際、バンクーバーの港まで到着した車を取りに行き、美しいフレイザーキャニオンを8時間かけて運転して帰ってきました。

想像してみて下さい。5歳の少年のお父さんが、240Zに乗って帰り、それを1st Aveの自宅の前に駐車したときの、この少年の驚きを。

非常に特別な経験でした!

さらに200SXとダットサンピックアップトラックという興味深い車も持ち帰りました。

お父さんは数年間ダットサンのディーラーを経営しましたが、最終的には長い時間の仕事に就くのをやめ、その会社を売却しました。

そしてその代わりにブリティッシュコロンビア州の手つかずの自然豊かな環境で家族とキャンプ、ハイキング、釣りを楽しむ事を決めました。

その選択をしてくれた父に感謝しています。それ以上の子供時代はなかったでしょう。

今、父の帽子は日本に帰ってきて、家族の家宝として私に伝えられています。

1968年に父が訪れた日本と、今の日本はあらゆる面で大きく変わっていますが、この帽子を着用することを光栄に思いながら、日本の本質は今も昔も変わっていないと感じます。

 

招き猫

招き猫

招き猫

招き猫

店に入るとよく見かける招き猫。手が上がっているのは「どうぞ、いらしゃいませ」と誘っている意味です。左手が上がったら、飲み屋、右手が上がったら、その他のビジネスが繁盛すると言う伝説の置物。

大体招き猫は様々な種類の店やレストラン、パチンコ店、コインランドリー、クリーニング店、美容室、その他オフィス等の入り口や中によく置かれています。

招き猫は江戸時代後期に、日本に最初に登場しました。1852年の「江戸の年表」という題名の文書に記録されています。

招き猫の初期の例としては歌川広重の浮世絵「浄瑠璃町半家の図」にも見ることができます。これも1852年に描かれました。

1902年までに日本では招き猫の広告が人気で、次の世紀に変わるまでその人気は衰えませんでした。

日本には、このような愉快な、心温まる文化がたくさんあります。私はこの「ランドオブライジングサン」での旅を続けるにつれて、どんどんそれを知る事になりました。

 

愛すべきカニ

愛すべきカニ

愛すべきカニ

愛すべきカニ

愛すべきカニ

日本人は途中半端な人種とは言えないでしょう。

そうです、日本人が何かをやろうとした時、一心不乱にやるのです。

私達にとっては、ただ普通の魚介類だと思うような物にも大枚をはたきます。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、一杯の五ツ星のカニに500万円を払うこともあるんです。

しかしそれは一概に馬鹿馬鹿しいとは言えないのです。

それはまさにランドオブライジングサンの鳥取県で、つい最近起こったのです。

鳥取県で捕獲された五ツ星のズワイガニは、競りで史上最高の500万円で落札されました。

地元の業者であるかねまさ・浜下商店が、競り落としたのでした。

この会社は昨年、厳選されたカニをわずか200万円で購入しただけでしたが、今回の落札ではカニに支払った額で、ギネスブックの世界一を記録しました。

当たり前のことですが、この可哀想なカニは銀座の高級な日本料理店に向かいます。そしてそこで、お金持ちのお客さんや、店のオーナーやのスタッフの全ての人たちにとって特別な経験となるでしょう。

さて来年の鳥取のカニの入札の物語はどのようになるのでしょうか?楽しみですね。

動画はこちらへ

七五三を祝う

七五三を祝う

七五三を祝う

七五三を祝う

日本ではちょうどこの時期、とても驚くべき風習が全国で行われます。

日本中の至る所で、子供達が親から色とりどりの着物やスーツ、素敵なドレスを着せられ、日本の神や女神に感謝を捧げるために神社に連れて行かれるのを見ることができます。

そして専門の写真スタジオで素晴らしい写真撮影が行われ、これらの楽しくて貴重な瞬間が家宝として写真に収められ、日本の家族は10年あるいは50年にもわたって、お正月などの親族の集まりの時に、みんなで見ては楽しむ事でしょう。

この七五三と言われる行事では、男の子は通常5歳で、女の子は3歳と7歳でお祝いします。

日本人はかつて、7歳までの子供を、神の子と信じていたので、子供がこの年まで生きられた事を感謝する儀式なのです。

歴史的にみて世界中のほとんどの地域で、医療が発達する以前、子供の死亡率は高かったので、このように日本でも子供の生存を祝い、立派な大人になるように、神道に成長を祈るようになったのです。

勤勉な日本人が厳しく忙しい時間の中、このように手間をかけて、まさに一期一会の機会を作り、祖先と日本の伝統を称えるのは素晴らしい事だと思いませんか?
((以前に「一期一会」についてのブログ記事を書いています。こちらからお読み下さい。))

参考:この古代からの儀式は平安時代に始まりました。 794年から1185年 (平安時代についてはこちら).