日本の学校給食

日本の学校給食

日本の学校給食

日本の学校給食

初めて小学校にゲストとして招待された時、初めて日本の学校給食を食べました。

おお〜、日本の給食のようなものを今まで見たことがなかったので、私の目の前で繰り広げられたものに大変驚きました。

給食当番の生徒たちは、白いスモックと白い帽子を着、マスクを着けて準備室に行き、給食を提供するのに必要な食器や配膳のための道具を受け取ります。

給食当番は次に大きな鍋やバットに入ったその日の食事を自分の教室に運び、他の生徒は並んでそれを給仕してもらいます。

私はこの子供たちが仲間の生徒にサービスを提供しているのを見て、これはすごいことだと感じました。

このシステムは人が社会において、思慮深いメンバーに成長するための優れた機会ではないでしょうか。

もちろん担任の先生は配膳している生徒たちを見守り、時には手伝うこともあります。

日本の学校給食について本当に素晴らしいと感じたもう一つの点は、常によく考えられている栄養価と美味しさです。

そして私はいくつかの異なる中学校で教えていた時に、とても嬉しかったのは、いつも生徒たちと給食を一緒に食べることができたことです。そして彼らも遠い国から来た私の様な人間と食卓を共にできたことは、いい経験だったに違いありません。

これを見れば、あなたの国でも日本式の給食を取り入れたいと思うに違いありませんね。

私は日本の給食のシステムは、「他人への奉仕」を行うことで、子供たちが立派な社会の一員として自分の組織に属するという感覚を自然に養ういい機会だと固く信じています。

日本の子供たちが大きな声で一斉に「いただきます!」と合唱し、同時に食べ始めるのを見るのも爽快です。

余談ですが、日本の小学校の低学年の3年間は、試験らしい試験はなく、規律、社会、衛生、健康が中心の授業を受けます。

私は生徒たちが日本の学校給食から人生を学び、自身の未来に生かせることを願っています。

私は昔からあなたを知っている、でもあなたの名前は知らない

私は昔からあなたを知っている、でもあなたの名前は知らない

私は昔からあなたを知っている、でもあなたの名前は知らない

私は昔からあなたを知っている、でもあなたの名前は知らない

私は1992年から大企業の子会社と関係があります。

1970年の創業時からこの会社の工場に、無愛想ですが、しかし案外親切なエンジニアがいました。

彼はいつも私を「あんちゃん」と呼んでいましたが、これはこの突出した日本の階層社会で使用するのに適した呼び方だったようです。

通常「ちゃん」は女児の愛称として、また「くん」は男児に使われる敬称の一つですね。

そして時には大人にも使います。

大人に対して「ちゃん」のような敬称を使用することは、外国人からすると、いじめのように思うかもしれませんが、この場合は不快な意味ではありません。(軽蔑的な意味で使ってはいけませんが)

特に先述のケースでは、白人である私とその工場のエンジニアにとっては異例とも言える親愛を示していました。

私は今までに会社の親睦会でこの男性と何度か会う機会があったのですが、その時彼はいつも私を「あんちゃん」と呼んでいました。

そしてとうとう彼が退職する日が来て、別れを告げようと私の席に来た彼が言いました。「ねえ、あんちゃん、あなたの名前は何というの?」それはなんと私が彼に初めて会ってから20年もの歳月が経ってからのことでした。

彼は長い間私を「あんちゃん」と認識していました。そして興味深いことに、これは私たちの関係にとってなんら問題が無かったのです。

彼は実際に私を本名で呼んだことは一度もなかったのですが、最後に「あんちゃん」と知り合いになれて良かったと言いました。

そして私は日本の階層社会において、全ての人々に正しい肩書や敬称を使うことの重要さを知りました。

例えばある専門家に対して「先生」という敬称を使います。「先生」は一般的に学校の教師に使いますが、医師、弁護士などの専門職にも使います。

私は以前には肩書や敬称を間違えたり、敬称を付けずに誰かを呼んだりして、思いがけず問題になったことがありました。

親密な関係の人にだけ敬称を付けずに呼ぶことができます。「呼び捨て」と言いますが、社会生活の中でこれを使うことは大変なルール違反です。

適切な肩書や敬称がわかるまで、姓でも名でもいいので、誰にでも「さん」を付けることをお勧めします。

そうすれば日本の組織社会に対応できていると言えるでしょう。

私は最初はこのような呼び方のルールに抵抗を感じ、日本人と「友好的」になりたかったにもかかわらず苦労しました。

海外の方へ。Land Of The Rising Sonを訪れたり、又は住む機会があったら、必ず他の人を呼ぶ時に「さん」と付けて下さい。あなたは思いやりのある外国人だと思われることは間違いありません。

自分の「道」を見つける

自分の「道」を見つける

自分の「道」を見つける

自分の「道」を見つける

日本の自然宗教である神道は、「神」と「道」の2つの表意文字で構成されています。

神道は多神論の宗教なので、神と道は無数にあることを認識してください。

私は「道」を含む多くの異なる日本の分野に気づきました。

(Judo) 柔道 Way of Flexibility
(Sado) 茶道 Way of Tea
(Kendo) 剣道 Way of Sword
(Shodo) 書道 Way of Calligraphy
(Yado) 弓道 Way of Bow
(Aikido) 合気道 Way of Self-defence
(Iaido) 居合道 Way of Drawing Sword
(Kado) 華道 Way of Flower
(Bushido) 武士道 Way of Warriors

「道」をある意味「芸術」と考えることもできます。

西洋では「人生は芸術を手本にする」とよく言います。

ここ、Land Of The Rising Sonにおいては、人生は芸術だと言わざるを得ません。

日本への訪問者は、日本食の美しいプレゼンテーションや、洗面所の清潔さ、高度で洗練されたトイレのシステムに至るまで、この最も著しく素晴らしい国が芸術に満ちていることに気がつくでしょう。それはオンライン上で、それとも実際に日本に足を運んでなのかはあなた次第ですが、あなたにとって風変わりな店を見つけたりすることに喜びも感じるでしょう。

例えばあなたは小さな魅力的なコーヒーショップを見つけた時に喜びを感じるかもしれません。マスターは慎重に豆を焙煎し、正式な「道」でコーヒーを淹れるのに30分もかけるのです 。

この小さなコーヒーショップのマスターは、コーヒーを淹れることで自分の「道」を本当に見つけ、これを「コーヒー道」と言うことができます。

私は日本のケーキ屋さんについてブログ記事を書きました。タイトルはこれにふさわしい「」です。

表意文字の「道」は、「原則」または「道徳」として日本人にも馴染みがあります。

「道」とは道徳と原則の意味も含んでいるようです。

おそらく「道」は日本人の礼儀正しい社会において数千年に渡り、日本人DNAに染み込んできたと言えるでしょう。

これに照らして、親愛なる読者のあなたにとって、「道」は自分の人生で最も重要な啓発であると考えることができ、すべての探求は自分の「道」を見つけることから始まります。

 

私は宇宙人?

私は宇宙人?

私は宇宙人?

私は宇宙人?

先日、私の愛しの配偶者からエイリアンと呼ばれました。(あなたは宇宙人ですね!)

それまで彼女は、私たち「外国人」がかつて日本政府の公式文書で「エイリアン」として分類されていたことを知りませんでした。

「エイリアン」という言葉は、2011年までは私たちの「外国人登録証明書」という在留カードに記載されていたのです。

日本政府が「外国人登録証明書」をより国際的に受け入れられる基準に変更した時、私は内心少しがっかりしました。と言うのは、その時からこのカードはありふれた「在留カード」という名前になってしまったからです。

それどころか、その当時の外国人は指紋を取られ、なんと人差し指の指紋はそのカードに記載されてたのです。

これは日本に住むうざい「エイリアン」の一部の間で論争の的になりました。

私?

私はそれが問題とは思いませんでした!

更にその人たちは「外国人」ではなく「外人」と言われることにも文句を言うのですが、私にしてみれば外国人は外の人なので、これも特に問題があるとは思いません。

もともと日本列島の出身でない人は、外の人だと思うしかないでしょう。

その外人たちは上からものを言うかのように、自分たちのことを「外国人」と呼ぶように日本人に働きかけました。しかし「外人」を「外国人」と少しだけ敬語に近づけることに何の意味があるのでしょうか。

私は納得できません。

また、更にこれらの厄介な「エイリアン」たちが日本に来て、日本のやり方について大騒ぎしながら苦情を言うのは非常に最低なことだと思います。

この「エイリアン」たちは遠い国から日本の中に入って来ており、彼らは「日本を変えてやる」という最も下衆な考え方を持っています。

下衆な「エイリアン」たちが日本人に自分の世界観を押し付けようとすることは時間の無駄で、自分たち自身を長く苦しめることになることを思うと、私は内心ニヤリとします。

私は日本に住む若い親友のジョーダンと、このようなタイプの外国人をからかう意味で「チョーク」と呼んでいます。彼も私と同じように日本を敬愛し、尊重している外人の一人です。

「チョーク」のほとんどは1、2年で帰国してしまうか、残ったとしても日本を「閉鎖的」と感じ、自分の生きる力を費やして、嫌々過ごすことで自分を見失っていくのです。

私が非常に早い段階で学んだ有意義なことわざが1つあります。それは、Land Of The Rising Sonでの30年以上に渡る私の生活にとても役に立っています。そのことわざとは、

「郷に入っては郷に従え」「ローマではローマ人のするようにせよ」

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絆の美しさ

絆の美しさ

絆の美しさ

絆の美しさ

絆は日本人の生涯において、最も重要な無意識な概念の1つだと思います。それは彼らのDNAに入っています。

絆という言葉は英語で表現できません。おそらく他の多くの同じような日本語もそうですが、単に言葉では言い表せない概念なので、西洋の人には理解し難いのです。

絆とは人と人との結びつき、心の触れ合いだと言えるでしょう。

日本人はこれを言葉を使わずに理解できるのです。彼らにとって絆とは無意識で空気のようなものなので、彼ら自身の潜在意識の中にあるのです。

興味深いことに「空気」という言葉は周りの人を気にしない人に対して、悪いイメージで使われます。

「空気」が読めない人は「雰囲気」を読めない人。

これは西洋社会と日本道の根本的な違いに反映されていることがわかります。

「グループ」志向である日本人の考え方とは対照的に、西洋は「個人主義」の考えなのです。

絆をあえて英語に直訳し、補足を加えると次のようになります。

絆(人間同士)

心の結びつき

人間関係

繋がり

日本人の友達に「絆とは?」と聞いてみて下さい。言葉では簡単に説明できず、自分自身を理解する必要があるため、きっと面白い会話になるでしょう。

PS:絆の概念はとても大切なことなので、Land Of The Rising Sonロゴに使っています。

あなたにも絆が見えますか?

https://landoftherisingson.org

千里の道も一歩から

千里の道も一歩から

千里の道も一歩から

千里の道も一歩から

私がお気に入りの居酒屋でランチをしていると、隣の席の男性が 「◯月◯日に禁煙しました」と話していました。

私は彼に「それはすごいですね。千里の道も一歩から」。と言いました。

彼はポカンとした顔で私を見つめていました。どうやらこのことわざを知らなかったようです。ちなみに千里は4000kmです。

彼と一緒に食事をしていた50代の同僚も、家族で営んでいるこの店の経営者の女性も同じ反応でした。

私はいつも、日本人に対していきなり日本語のレッスンをするのが大好きです。せっかく役に立つこの孔子の教えの起源について啓蒙することことはやぶさかではありません。

古き良き時代は過ぎ、古く文化的に豊かな日本の美しい言葉はどんどん忘れ去られていると感じます。ああ。。。

このことわざは、とても長く困難な道のりに立ち向かう時、まずは手近なところから着実に根気よく努力を重ねていけば成功に繋がるという教訓なのです。

そして、本能的に千里の道の一歩、さらにもう一歩、そしてもう一歩を踏み出さないということは、人生の終わりに後悔するということになるのです。

毎日踏み出すその一歩が、自分の心からの願望と未来へと繋がる第一歩なのです。

A Journey Of A Thousand Miles Must Start With The First Step