右脳・左脳 – パート6

右脳・左脳 – パート6

右脳・左脳 – パート6

右脳・左脳 – パート6

アメリカ人の多くは、その行動や言動から見ても左脳優位の人々だという事が、最も分かりやすい例です。

日本人は、アメリカ人を地球上で最も予測不可能な人達と見なしているのですが、それは確実に定義された社会的形態、秩序、プロセスが存在しないためです。

日本人は伝統的に、厳格に規定され、統一された倫理に従って行動してきました。それは道徳や文明に通じ、これこそが日本道の本質なのです。

The Japanese Way Land Of The Rising Son

日本人の行動や態度は、アメリカ人の無骨で個人主義的な話し方や振る舞いとは、全く対照的なのは明らかですね。

当然のことながら、そのような話し方や行動は、日本人から見ると国籍民族問わず、野暮ったい、粗野なものとして見られます。

社会的調和の観点からすると、毎日、不快で不確実な人間との出会いが少なければ少ないほど、自分のコミュニティの社会的調和の指標が高くなるでしょう。 

Harmony 和

日本の倫理観は、日本人と日本の多くの神々との間で共有するものですが、日本人同士自体の調和を確保するために進化したものです。そのことを理解することが重要です。

このような日本の倫理観と調和のとれた社会の進化は、親、先輩、先生、そして権力者への敬意に基づいています。 

おそらく、日本人の進化は、日本人の右脳的な特性によって、非常に特異で強力な影響を受けたのではないでしょうか。

日本人は本当に自然志向が強く、感情的な強迫観念を持っていて、秩序立った儀式的な方法で物事を行うことができます。

日本人の社会的進化の初期段階から、物事を行うための一定の方法が常に存在しており、時が経つにつれて、この尊敬の念を込めた礼儀のシステムは、もはや単なる礼儀の一形態とは見なされず、日本人のアイデンティティの不可欠な一部となってきています。

Ceremony 儀式 Land Of The Rising Son

日本の伝統的な礼儀作法の特徴を知れば、太平洋の小さな島々に12,600万人という膨大な人口が存在するにもかかわらず、私たちの社会が(比較的)円滑に、全体的に、そして調和的に機能していることも、うかがい知ることができます。

おそらく、日本人の進化と右脳志向は、古代から日本人を特徴づけてきた特定のレベルのスタイルと礼儀作法に寄与していると考えられ、それは今日の日本人の本質に大きく貢献しています。

The Ancient Cultures of Japan

日本人は古来より、人間に共通する基本的な考え方、すなわち「神道」に基づいて形成されてきました。

多くの謎と同じように、ある言語は全てについて説明を求めますが、言語は「空気」の中にあるものを説明することができません。そして、言霊という精神が存在することが認識されています。

これまで「宗教」と呼ばれてきたものは、そうではありません

厳密に言えば、神道は宗教ではなく、大和の群島に特有の道徳礼儀プロトコルの進化した成文化なのです。

日本道
万物

日本道とは、日本独自のスタイルである「包容力」によって、自分自身の道徳的·人間的な規範として生きることができる魅力的なものです。

自然の中の神々

祖先に宿る神々
万物の神々

Goddess Of Japan Land Of The Rising Son

日本人にとって「神」とは、社会の道徳を司る全知全能の存在ではなく、全てのホモサピエンスのように色々な神様がいて、人間と平等で自然な姿であると考えられています。

日本人の美意識は万物、特に人間関係の調和に対する深い感覚を体現しています。

このことは、特に左脳的な思考を持つ人にとっては、まだ不足している「何か」が、何なのかを深く考える必要があるのではないでしょうか。

確かに、日本人の感情的な右脳の性質は、太陽が昇り続ける限り、日本文化のあらゆる側面に浸透し続けるでしょう。

日本人の社会と言語の中には、「空気」の中に「直観」が存在していまして、この短い旅の中で、あらゆる人種のための太陽の下で、自分自身の人生のわびさびと、はかなさを見つけることができます。

What's Missing From Your Life

ストーリーテラーの巨匠 ダン・カーリン

ストーリーテラーの巨匠 ダン・カーリン

ストーリーテラーの巨匠 ダン・カーリン

ストーリーテラーの巨匠 ダン・カーリン

ストーリーテラーの巨匠 ダン・カーリンは、歴史の隅々を探りながら私達を、とても魅惑的で信じられないような旅へと誘います。

一話あたり数百万のダウンロード数を誇る「Hardcore History」は、歴史上最も広く評価されているポッドキャストのひとつです。

ダン・カーリンの声とスタイルは独特で一際耳を引き、彼の番組は史上最も聴かれているポッドキャストのひとつです。そして彼は “ポッドキャスター の巨匠”と呼ばれているのです。

Master Podcaster Dan Carlin Illustration

今から3年以上前、ダン・カーリンは太平洋戦争をテーマにしたポッドキャストシリーズの第1弾「Supernova in the East」をリリースしました。

この素晴らしいストーリーテラーの熱心なファンである私は、彼の素晴らしい仕事に対する感謝の証として、マスター・ポッドキャスターであるダン・カーリンに、日本に関する重要な書籍をいくつか送りました。

Token of Appreciation to Master Podcaster Dan Carlin私は密かに、それらの本を読んだ巨匠カーリンが、第二次世界大戦中の日本についてのハードコア・ヒストリー・シリーズのインスピレーションを得る事になると期待していました。

このシリーズの最初の作品である「東洋のスーパーノバ I〜VI」の中でカーリンが、私が渡した本の一つを紹介したとき、私は驚きつつ、心からと喜びを感じました。

「東洋のスーパーノバ I」で紹介された本は、R.タガートマーフィーの「日本と過去の束縛」でした。

Japan and the Shackles of the Past, by Emeritus Professor R. TAGGART MURPHY

日本での、異常とまで言えるほどの特別な物語への旅を始めるには、この「日本と過去の束縛」を読む事が一番の近道でしょう。

「東洋のスーパーノバ」シリーズは、半年から8ヶ月に一度のペースで新作が出ており、私は彼にヒントとなる本を何冊か送りたかったのです。

そのうちの1冊は、ポッドキャスターのダン・カーリンが特攻隊について語る下りにも参考にされました。

失敗の尊さ。アイバン・モリス著「日本史における悲劇のヒーローたち

The Nobility of Failure Tragic Heroes in the History of Japan by Ivan MORRIS

1975年に出版されたこの本には、物語がいくつか収録されています。

その中でも、最終章の神風特攻隊員の物語「If Only We Might Fall」は、人の心の琴線に触れるような内容となっています。

この章では、若き神風特攻隊員たちが大日本帝国のために命を捧げるのを待つ間、家族に宛てた手紙と共に、想像を絶する、胸を締め付けられるような物語が描かれています。

If Only We Might Fall

カーリン氏自身は学校で、神風特攻隊員は、日本のために盲目的に命を捧げる、無知なロボットだったと教えられたと言います。それは間違った教育だったと、後に非常に鋭い観察をしています。

そして彼は明らかに「失敗の尊さ」にその事を書いています。日本史に登場する悲劇のヒーローたち」にも書かれています。

最終回「東洋のスーパーノバ VI」を公開した後、この素晴らしいポッドキャスト・シリーズの5時間45分に及ぶ見事な完結編は、息を呑むほど素晴らしく、魔法にかけられたようで、創造の天才が描いた傑作としか言いようのないものでした。

ダン・カーリンの魔法は、その公平性と語りの巧みさにあり、歴史的記述や日本人、ひいては全人類の真の姿について、高潔な解釈を維持しています。

カーリン氏は、日本人を次のように表現しています。

「日本人は他の人種と何ら変わりない。いやしかしそれ以上だろう。」

おまけ:

マスターポッドキャスターのダン・カーリンが世界的にどれだけ活躍しているのか、ある春の晴れた日に、私が地元の由緒ある神社を訪れたときに明らかになりました。

この日その神社では特別なイベントが開催されていて、珍しい事に、数人の外国人も武道着を着て参加していました。その日、私はたまたまダン・カーリンのハードコア・ヒストリーの帽子をかぶっていたのです。

その内の一人の男性が近づいてきて、私のかぶっている帽子を見て、彼もダン・カーリンの大ファンだと言って、喜んでいました。

Master Podcaster Dan Carlin Hardcore History Hat - Making History Hardcare

彼は、日本の地球の裏側にあるクロアチアから来ていました。

このような素敵な偶然の出会いを得られたのは、ポッドキャスターの巨匠ダン・カーリンのおかげであり、今日という日が歴史書、ハードコア・ヒストリー・ブックの脚注に過ぎないことを理解してくれたからに他なりません。

Hardcore History 62 – Supernova in the East I

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ハードコアヒストリー 62 – 東洋の超新星 I:
1937年から1945年にかけてのアジア太平洋戦争は根深いものがあります。地球上で最も個性的と言われる日本の社会も関係しています。もし日本版キャプテン・アメリカがいたら、これが彼の原点になったでしょう。
4時間28分、2018年7月14日公開。

Hardcore History 63 – Supernova in the East II

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ハードコアヒストリー 63 – 東洋の超新星 II:
この番組には深いテーマが貫かれており、最初に日本の戦争犯罪や中国での残虐行為の疑惑、世界がどう対応すべきかという現代的な問題につながっています。そしてとうとう1941年12月7日がやってきたのです・・・。
4時間2分、2019年1月12日

Hardcore History 64 – Supernova in the East III

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ハードコアヒストリー 64 – 東洋の超新星 III:
日本の旭日旗が超新星となり、アジア・太平洋の広大な地域を飲み込みました。容赦ない戦争が展開され、紛争全体が野蛮な雰囲気に包まれていきました。 4時間53分、2019年10月24日公開

Hardcore History 65 – Supernova in the East IV

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ハードコアヒストリー 65 – 東洋の超新星 IV:
珊瑚海、ミッドウェイ、ガダルカナルは第二次世界大戦で最も有名な3つの戦いでした。この3つの戦いによって、太平洋戦争の流れが変わり、近代的な海戦・水陸両用戦の時代が到来します。
3時間58分、2020年6月3日公開

Hardcore History 66 – Supernova in the East V

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ハードコアヒストリー 66 – 東洋の超新星 V:
自己犠牲的な勇気と狂信的な決意は、物質的、工業的、数的な不足を補うことができるのか?アジア太平洋地域の紛争が日本に不利になるにつれ、これらの疑問が試されることになします。その結果は悪夢のようなものでした。
3時間32分 2020年11月13日

Hardcore History 67 – Supernova in the East VI

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ハードコアヒストリー 67 – 東洋の超新星 V:
精神、粘り強さ、回復力、勇気が狂気と交わるのはどんな時か?都市が焼き尽くされるとき?自爆攻撃が当たり前になったとき?原爆が使用されたとき?日本の指導者たちは、戦争の最後の年に国家の耐久力の限界を試しています。
5時間45分 2021年6月8日

ミスタービッグツリー

ミスタービッグツリー

ミスタービッグツリー

ミスタービッグツリー

私が絶望の淵にいたとき、突然、一人の日本人ビジネスマンが天使となって現れました。 Business Guardian Angel Mr. Big Tree 私は日本で最初に働いた会社を辞めた後、建設機械レンタル会社の輸出マネージャーを、短期間ですが務めたことがありました。 その仕事が私の生涯で最後の「雇われた仕事」でした。 私は日本語がまだ不自由だった上に、混乱して神経質になっていた、まだ若かった当時の妻(結婚生活は23年間)を前にして、深い孤独感に襲われました。 その時、「私はこの国で、本当に一人なんだな。」と思いました。 Lonely boy all alone 妻もまた自身の境遇を悲しんで「私は惨めだ。」と言いました。その発言で私の孤独感はさらに強まりました。 そんな私に、幸いな出来事が訪れます。それはたった一つだけ残っていた個人の英会話レッスンによってもたらされました。 その生徒の父親である大木さんに悩みを相談すると、とても親切に人生の方向を導いてくれました。 彼は地方の小さなの街の駅の近くにビルを持っていて、その魅力的な古いビルの2階が空いていました。 彼は「パンフレットを作ってあげましょう。そしてこの街に配って、自分の英会話塾を始めませんか?」と言いました。 彼は売り上げの何%かを要求しただけで、とても良心的でした。 Great deal Mr. Big Tree 半年ほどでスクールが軌道に乗った後も、大木氏には、月々の収入を大幅に下回るレンタル料で継続してもらい、非常に助かりました。 そして当時の日本では、レンタルビジネスが流行っていました。 英会話教室で使わせてもらっていたビルの2階は、特別な魅力がありました。私は自分の父がカナダで経営していたギャラリーから、限定アートを輸入し、そこにギャラリーを設けることにしました。 そのギャラリーから、数々の素晴らしい限定品を、歯科医院や医師会、ブティック、レストランなどの企業に貸し出しました。   Sunset Canadian Forest British Columbia しかしそれから数年で、この古い建物は老朽化のためにとり壊されることになったのです。 その時は私自身の会社の仕事や、輸出入ビジネスで忙しくなってきていたので、私にとっては丁度いいタイミングだったと思います。

今、大木さんに伝えたい 今日、あなたがどこにいようとも とても感謝しています あなたの優しさと寛大さは

放浪していた見知らぬ異邦人を助けてくれた それは生涯の旅となり 親愛なる日本の人々と この特別な社会で

感謝-大木様

ザー講義

ザー講義

ザー講義

ザー講義

私は日本の自動車業界に入るために勉強している学生のために、長年ゲスト講師として英語を教えてきました。

何十年にもわたって講義をしていると、日本の学生の様子や考え方が、大きく以前と変わってきています。

1990年代初頭から2000年代にかけての第一期生とは、教室内で深い親近感と仲間意識を感じました。

Camaraderie with Japanese and Canadians

時が経つにつれ、クラスの雰囲気は少しずつ変わっていきました。

90年代初頭のバブル崩壊による社会の衰退と、それに伴う失われた世代の発生が原因でしょう。

一つには終身雇用制度が徐々に崩れてきたこと。

もう一つは、便利な加工食品の氾濫が、日本人の体と心と魂を蝕んでいること。

コンビニジャンクフード

そして家庭環境の崩壊により、離婚率が大幅に上昇し、崩壊した家庭の子供が増えたこと。

現在、社会の大部分では、絶望感や目的意識の欠如が蔓延しています。

日本のミッキーマウス化である。

そして、次の学生たちがやってきました。

彼らは失われた世代の子供たちです。

Japanese poverty

日本の親は、教師に子供のしつけの責任を負わせることが少なくありません。

しかし、箸の使い方が下手なのは、その人が育った家庭の問題でしょう。

Hold Chopsticks Correctly Please

ですから一概に、子供達自身のマナーの悪さや、大人への無礼さを責めることはできません。

しかし、すべての大人は、自分自身の態度や行動に、全責任を負なければならないと心に留めておく必要があります。

先日、鼻水を垂らした2人の子供が、大人になるための成長の機会を得ました。

私は生徒に、「教室から出て行け。」ということは稀ですが、この日だけは特別でした。

退室前に一礼

この問題児たちをしっかりと教育して送り出してあげたいという思いから、クラスの28人の生徒全員にもその「講義」を聞かせることにしました。

まず、「南シナ海に関する現在の問題を知っていますか?」と尋ねました。

沈黙。

そして次に、「石油製品がどこから来ているかを知っていますか?」

生徒は何かをつぶやきました。「石油は中東から来るのではないでしょうか?」

Oil development in the Middle East Institution of Civil ... Oil development in the Middle East

進歩ですね!

更に、「文明の生命線である石油、特に自動車産業はどのようにして日本にやってくるのでしょうか?」

そうです。

オイルタンカーです。

Oil Tankers Fuel Japan

そして次の質問は、質問というよりも、むしろ知っていて欲しいという願いの、私からの発言でした。

「中東から日本への輸送ルートを考えたことがありますか?」

そうです、南シナ海です。

Middel East To Japan Via South China Sea

もし、この石油が日本に来なくなったらどうなるか、考えたことがある人はいますか?

もちろん考えたことはないでしょう。

石油が日本に来なくなれば、仕事はおろか、明るい未来もなくなってしまでしょう。そして世の中の事を考えたこともなく、大人への態度が悪かったり、不愉快極まる行動をとったりする人間に、明るい未来は無いというのが明確な答えです。

Gas station runs out of gas during oil embargo - The ... Gas station runs out of gas during oil embargo
「講義」の締めくくりに、現実社会には、私のような温和な(愛と共感に満ちた心の)性格の人間に出会うことは、まずないでしょうと生徒達に伝えました。実社会はもっともっと厳しいのです。

ベンツのメカニックとして、あるいは専門的な自動車ビジネスの経営者として、意義のある人生を願う全ての人に幸あれ。

あとがき

このブログのを書いた後の、他の授業の出来事です。

誰かに話しかけられた時に無視することは、社会人としてどうでしょう。

そんな相手の注意を引くために、時には大きな声を出す必要があります。覚えておきましょう。

そのことを思い出させてくれたのは、ある横柄な生徒でした。

彼は授業中、教科書も開かずスマホの画面に夢中でした。そして私の呼びかけにも答えませんでした。

教室では、教科書さえ開いていれば、実は私は怒りません。

これを「建前」といい、「社交辞令」といってもいいでしょう。

そして私はその生徒に叱咤激励し、本人とその他の生徒の成長と啓発のために、私に続いて唱和するようにと言いました。

私「千里の道も一歩から」

生徒達「千里の道も一歩から」

私「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

生徒達「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

私「自業自得」

生徒達「自業自得」

私「身から出た錆」

生徒達「身から出た錆」

私「自ずと明確になります」

生徒達「自ずと明確になります」

神聖な歌姫、マリアン・アンダーソン

神聖な歌姫、マリアン・アンダーソン

神聖な歌姫、マリアン・アンダーソン

神聖な歌姫、マリアン・アンダーソン

1953年、日本の皇后陛下のために歌ったマリアン・アンダーソン。

この知られざる天才的な人権派ヒロインは、人種差別の著しいアメリカにおいて、その感覚的な歌声と品格で、世界的な名声と評価を得た最初の有色人種の一人として、アメリカ社会に多大な影響を与えました。これはもっと評価されるべきだと私は思います。

Marian Anderson Divine Beauty

アンダーソン氏は1955年1月7日に、アフリカ系アメリカ人として初めてニューヨークのメトロポリタン・オペラで歌いました。しかしそれは日本に来て、永子皇后(香淳)のために演奏した後のことです。

1953年当時、アンダーソン氏は人種差別のあるアメリカでは、宿泊施設を探すのに非常に苦労していたのですが、日本では皇族のように扱われ、帝国ホテルのスイートルームに宿泊しました。

彼女の旅のスポンサーである日本放送協会(NHK)は、彼女を日本国民の名誉ある客人として大切に扱いました。

NHK Logo

日本のおもてなしを経験したことのある人なら誰でも、ゲストが日本と日本の人々に対して好意的な印象を持ってもらえるように、ホストが細心の注意を払っていることを知っているでしょう。

ちなみに、自分の父親も1968年に日産自動車の招きで、この素晴らしいおもてなしを体験しています。(『父の帽子は日本に帰ってきた』)

アンダーソン氏は、「東京を出発したとき、私たちは多い時で8人で旅をしました。」と話しています。

「通常は通訳として若い女性が1人、男性が4人が私の世話係として付いていました。また一人の青年は、銀行員兼出納係として派遣され、ホテルやレストラン、店でお金を運んだり、支払いをしたりする係でした。」

また、アンダーソン氏は、周りの日本人スタッフが「エネルギッシュなプランナー」であり、「鉄道の時刻表のように綿密なスケジュールをこなしていた」とも言っています。

JR時刻表 株式会社交通新聞社

結局、彼女の謙虚さと、歌の魂を大切にする姿勢が世界的に評価され、1953年5月23日に当時の皇后永子様がアンダーソンを皇居に招待したのでした。

神聖な歌姫、マリアン・アンダーソンは、日本の聴衆について次のように述べています。

「日本人の聴き方は尋常ではない。その集中力は強烈で、その静けさは気が遠くなるほどであった。誰も動こうとせず、最初は深い静寂と不動を意識した。それらは決して動揺させるものではありませんでしたが、同じような強さが私にも求められていると感じさせられました。」

Marian Anderson, the Philadelphia singer and civil rights

真のヒロインやヒーローは偶発的に生まれるものではありません

Marian Anderson Statue

マリアン・アンダーソンのような人間は、内なる光に導かれた先見の明のある人物達であり、その定められた運命は、人間の魂が意気消沈して悩んでいるところに真実の光を当てることなのです。

日本のスポンサーは、定番曲に加えて、痛々しいほどパワフルな 「Deep River」 をリクエストしていました。

19世紀に無名のアフリカ系アメリカ人によって書かれたこのスピリチュアル曲は、アンダーソン氏の最高の解釈のひとつであり、まだ戦後の復興途中の日本の心の琴線に触れたことは間違いありません。

彼女の歌声は、この曲の歴史に込められた痛みや憧れを表現しており、日本人の心に深く響いたことでしょう。

アンダーソン氏は次のように述べています。

「どんなに大国であっても、弱い人を押さえつけている限りは、本当に強い国にはなれません。改善されない限り、その国は繁栄しないでしょう。」

この言葉は、今まで以上に真実味を帯びてきました。

人種差別主義者、偏屈者、自民族優越主義、そしてどんなに惨めに鞭打たれたとしても、この深くて深い知恵の並外れた言葉は、すべての人種主義者の心に永遠に響くに違いありません。

 

本当に偉大な私のひいおばあさま

本当に偉大な私のひいおばあさま

本当に偉大な私のひいおばあさま

本当に偉大な私のひいおばあさま

先祖崇拝という進んだ概念

西洋の伝統の中で育った私は、子供の頃に親に連れられ、様々なキリスト教会に行ったことがありました。私はその経験のためか、日本に渡った当初、日本人の先祖崇拝の概念を理解することが、なかなか難しかったのを覚えています。

比較的に最近のことですが、私の大切なカナダに住む母親は、自分のルーツを深く探るため、自身の父方の家系図をまとめました。

Family Tree

母が語る曾祖母についての昔のエピソードは、とても興味深く、私の笑いのツボをとても刺激するものでした。

今では、彼女の息子である私の祖父が、なぜ素晴らしいユーモアと、鋭い辛辣なウィットのセンスを持ち合わせた人だったかが、そのルーツから、はっきり理解できるようになりました。

私の曾祖母、ヘレン・オルガ・キーン・インゲルス・リチャードソンは、10人の子供を産みました。

最初の4人はインゲルスとの間に、その後の6人は2番目の夫リチャードソンとの間に生まれました。私の祖父はヘレンの最初の夫インゲルスとの息子です。

第一次世界大戦から戻ってきたインゲルスは、ギャンブル好きで女好きの浮気者でした。そんな夫をヘレンは自ら見限りました。

WW1 soldier

ヘレンはインゲルスに「この4年間、私は一人で立派に4人の子供を育ててきました。そしてこれからも一人で育てられるでしょう。さあそれぞれ別の道を進みましょう。」ときっぱりと言ったそうです。

ヘレンは幼い頃の私の祖父と、鼻にピーナッツバターを塗り合い、ふざけ合った思い出話など、愉快なストーリーがあります。そんなエピソードから、彼女がいかに楽しく魅力的な女性だったかがうかがえます。

また、彼女は幼い私の母親に、「インゲルスさんがベッドの柱にズボンをかけると、私はいつも妊娠するのよ」と冗談を言っていました。

彼女の写真をご覧ください。19世紀後半に生まれ、ヴィクトリア朝時代のような雰囲気の写真ではないですか。西洋もまだ保守的であった当時としては、彼女の発言は大変興味深いと思います。(1896年・明治29年生まれ)

Helen Otta Kean -Inglis-Richardson- Stephen Kean Filiatrault Great Grandmother

幸いなことに、私の母は家系を徹底的に調査し、ヨーロッパからアメリカの東海岸へ、そしてブリティッシュ・コロンビア州の西海岸への移住ルートなど、本当に興味深い話がたくさんあります。

その当時、20世紀初頭の国を超えた移動の旅は、想像を絶するほどの大変なもので、忍耐と持久力が必要な、非常に苦しい生活の連続でした。

Covered Wagon From East to West

私はそのような時代に思いを馳せる時、ご先祖様への感謝の気持ちがよみがえります。

私の偉大なる曾祖母ヘレン。本当に感謝しています。

私達子孫にとって、あなたは素晴らしい女神であり、今では遊び心のある、いたずらな女神様とみなされていることをお伝えします。

あなたは今、日本にある私の家の神棚(と呼んでいる場所)で崇められています。あなたはきっとご自身がそこに置かれている事に驚いていることでしょうね。

神棚-Kami Dana-03

日本の進歩的とも言えるご先祖さまの考え方では、死んでもこの世に半分魂が残り、そして子孫を見守ってくださっていると考えられています。

私は、私の祖父と過ごしたたくさんの子供時代を通じて、曾祖母ヘレンの精神を感じることができます。

確かに、日本人が信じているように、先祖は一族を見守り、子孫の行動や言動に影響を与え続けています。

ご先祖さまは、過去、現在、未来の全てを見守っていてくれています。ですから私達は、ご先祖さまに恥ずかしくない行いをするべきだと。そう思いませんか?

神棚-Kami Dana-04