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東京ローズを知っていますか

東京ローズを知っていますか

人生とは 時間 場所 機会

時代の波にのまれて

東京ローズはアメリカ生まれの日本人女性で、、アメリカ軍兵士のために日本のプロパガンダラジオ番組の司会をしていました。

白黒写真。柄物のワンピースを着た若い女性が、ラジオスタジオの卓に向かって微笑んでいる。手前にはマイクと台本の紙が置かれている。
1941年、UCLAで医学博士号を取得した後、運命の悪戯により、人生が劇的に変化します。

ローズは大学の卒業祝いを兼ね、病気の叔母を見舞うために日本へ帰国しました。

しかし、その直後、日米の緊張が高まり、ローズはアメリカに帰ることができなくなります。アメリカ行きの最後の船は彼女を乗せず、「」に取り残されてしまいます。

巨大な杉の幹の間を、苔に縁取られた広い石段が寺の門へと登っていく。両脇の地面は一面の苔に覆われている。

そして、ローズが叔母の家に滞在している間に、日本の秘密警察が家の扉を激しく叩きました。

秘密警察は、ローズがアメリカの市民権を放棄し、日本の天皇に忠誠を誓うことを要求しに来たのでした。

ローズがそれを拒否したため、敵国人となり、食料配給カードももらえなくなりました。

1942年、ローズの家財は民主党のアメリカ政府によって没収されました。

家族全員が悪名高い日本人収容所に移され、アリゾナの乾いた砂漠がローズの新しい住処となりました。

戦時中の強制収容所を俯瞰した白黒写真。平坦な砂漠地に同じ形の兵舎が整然と並び、遠くの丘まで続いている。

そして両親との手紙も途絶え、音信不通のまま、突然孤立してしまったのです。

しかしその時、もしかすると彼女の魂に宿る日本人のDNAがささやいたのかもしれません。

レモンをもらったら、レモネードを作りなさい。

災いを転じて福となす。

1945年8月25日付『スプリングフィールド・ユニオン』紙の一面。大見出しは「OCCUPATION OF JAPAN IS PROCEEDING RAPIDLY」(日本占領は急速に進行中)。米軍が東京・横浜地域へ展開しているという記事や、戦死した地元兵士の顔写真入りの訃報が並ぶ。

ローズは英字新聞社にいる時、短波ラジオのニュースを聞いたものを、日本語に書き起こす仕事を始めました。

当時のラジオ東京では、東南アジアで孤立しているアメリカ兵のために放送する番組の原稿を書きました。

そこで思いがけず「ゼロ・アワー」という米兵向けの娯楽番組の司会を頼まれることになったのです。

白黒の戦闘写真。ヘルメットをかぶった兵士たちが丸太の陣地に伏せるなか、一人が火炎放射器の炎をトーチカへ向けて放っている。

東京ローズの謎の一つは、彼女の女性らしい日本語の声を聞いた米兵たちの感じた愛情でしょう。

アメリカ兵達は、ハッピーランド(アメリカ)を出て、太平洋戦争でたくましい日本軍と戦う前に、アメリカ兵に見せられたプロパガンダ映画のように、エキゾチックな芸者を想像しながら、ローズの声を喜んで聞いていたに違いありません。

自由の女神像の頭部と冠、掲げた腕を見上げた写真。暗い空の地平線あたりに金色の光が差している。

彼女の本名は、イバ・トグリといいます。本人は東京ローズとは名乗らず、放送中はオーファン・アニーと名乗っていました。

東京ローズとは、南太平洋にいた孤独なアメリカ兵が、彼女の癒しの声と音楽を聞いて、憂鬱になり、落胆したことから生まれた造語です。

1945年、第二次世界大戦が終わると、ローズはアメリカ軍に裏切り者として調べ始められ、日本のプロパガンダを放送した罪で告発され、証拠不十分で釈放されるまで丸1年拘留されました。

若い女性の正面と横顔からなる二枚組の警察の人相写真。下の名札には氏名と収容先の刑務所名、1946年3月7日の日付が記されている。しかし、この不幸な運命に、不幸はさらに続きました。

白黒写真。若い女性が独房の扉の鉄格子越しに外を見ている。

ローズの辛い試練は、アメリカ軍が広島と長崎、そして日本国民に対して行われた、2つの原子爆弾によるホロコースト事件と、巣鴨拘置所での1年に渡る拘留だけでは終わらなかったのです。

ローズの話は、ウォルター・ウィンチェルという、世間から忘れ去られていた不機嫌な老人によって、アメリカの全土でのニュースになりました。

褐色人種、特に東京ローズのような強い女性を嫌う、卑しいオッチャン。

悪名高いランドルフ・ハーストという人物が、このウィンチェルを支援しました。このような種類の人類の寄生虫達は、現在、アメリカのメディアに浸透している雑誌やテレビのチャンネルで、例外主義という醜いウイルスを市民の心にはびこらせる、みだらな中傷ジャーナリズムの始まりに等しいと、誰もが気づき始めるでしょう。

白黒の報道写真。仕立てのよいコートを着た女性が、三つ揃いのスーツに眼鏡の男性に付き添われて人だかりのなかを進んでいる。右手には録音機材が見える。

そして1948年、トルーマン大統領により、ローズはアメリカに戻され、裁判にかけられ、最終的に反逆罪で起訴されました。

東京ローズは、アメリカ史上7人目の国家反逆罪の被告となったのです。

1949年の裁判で、ローズは8つの反逆罪のうちの1つで有罪判決を受けた後、1956年に刑務所から仮釈放されました。

白黒の報道写真。淡い色のコートと帽子姿の女性が手持ちマイクに向かって話し、周囲では記者たちが手帳を手に取り囲んでいる。

スケープゴートと言われるやり方ですが、アメリカ帝国は、この邪悪なプロトコルを科学的に利用しています。

おそらく、アメリカ軍が日本に対して行った戦争犯罪、ナパーム弾による都市破壊だけでなく、罪のない日本の一般市民に対して行われた核兵器による大量虐殺から、民衆の注意をそらすためだったのでしょう。

東京大空襲 - Land Of The Rising Son

 

アメリカ帝国の極悪非道な本性は、1974年、調査をしたジャーナリストたちが、ある重要な証人が、証言の際に嘘をつくことを余儀なくされたことを知ることから明るみに出ました。

そしてローズはFBI(連邦捜査局)や占領軍警察から、証言台で何を話すべきか何カ月も指導され、協力しなければ反逆罪の裁判にかけられると脅されたといいます。

米国司法省・連邦捜査局の円形の紋章。天秤と盾の意匠を中心に、リボンに「FIDELITY BRAVERY INTEGRITY」の標語が記されている。1977年、フォード大統領は、これらの事実と起訴前の問題点を踏まえ、ローズを赦免しました。

東京ローズは、運命の悪戯により歴史上の人物となり、今日に至るまでワンネスへの凶悪な侵略行為を続ける、道徳的に破綻したアメリカ帝国による勝者の正義によって、人生を破壊された人物の一人でしょう。

赤とクリーム色で刷られた1940年代の映画ポスター。女性の顔とマイクが大きく配され、左下に兵士たちの群れ、宣伝文句がいくつも並んでいる。