すべての文化は、それぞれの宗教と文化のスペクトラムの中に、意味のある象徴を散りばめています。 日本のルーツ、そして日本人が信じている日本社会のモラルと基盤は、日本の3つのシンボルに基づいて正確に説明することができます。
パトリック・ハーン(小泉八雲)は、その歴史的著作『日本、解釈の試み』の中で、日本の社会史の一般的な考え方と、日本の人々の性格を形成し、和らげた諸力の一般的な考え方を示唆しようと努めた。 しかし、日本はその宗教的、社会的進化の研究を通してのみ理解できるという事実は十分に示されている。
日本人にとって、新年を迎えることは、先祖を敬うお盆と並んで、日出ずる国の最も重要な休日です。 この特別な日を、日本人は厳粛に、そして控えめに祝います。毎年、この機会に深く考え、新年が何をもたらすかを考えるのです。
開国当時、社会はまだ7〜8世紀の西欧の古代社会に相当する段階を越えての進化はしていなかった。 第二次革命期は、1871年の社会改造から始まったのである。
西欧諸国では、道徳教育の抑圧的な部分は幼児期に始まる。 個人の義務の「しなければならない」と「してはならない」をできるだけ早く身につけることが大切だと考える。
日本の真の権力は上からではなく、下から行使されていると、外国人観察者はしばしば主張してきた。 否定できないのは、上からの権力は常に下からの抵抗の傾向によって多かれ少なかれ抑制されてきたということである。
明治の再建、廃藩置県、武士の弾圧を経ても、庭師に見捨てられた木がそうであるように、かつての姿を保っていたのである。 ここはまさに、お伽の国だった。
徳川幕府はそれまでの幕府が衰退していったのと同じように、徐々に弱体化していった。 幕府が開いた長い平和な時代において民族は退化していったのだ。 強力な建設者の後を継いだのは、更に弱々しい者たちだった。
200年に及ぶ平和と繁栄、そして鎖国の間に、この人間性の優美で勝利に満ちた側面が開花する機会を得た。 一般的な社会の傾向は、圧力によって硬直化しているが、制約は、特別な方向性において、道徳的および美的教養のための余地を残している。
16世紀後半は、3つの理由から日本の歴史の中で最も興味深い時代である。 それから、イエズス会の栄枯盛衰の物語もこの時代に属していた。 これは社会学的意義に示唆に富むものであると言える。
日本人の歴史は、これらの真理を強く示している。これほど印象的で非凡な忠誠心は、他のどの民族にもない。 祖先の崇拝に由来する、より豊かな信仰によって従順さが育まれた民族も他にはないだろう。
7世紀以前のことは寓話の霧に覆われてわからないが、最初の33人の天皇・皇后の在位期間中の社会状況については多くのことが推測できる。 712年に完成した『古事記』や『日本書紀』には事実が記されているが、事実と神話が混在していて、区別がつかない。
日本社会の原初的な単位は、家庭ではなく、家父長制の家族、すなわち氏族であった。 これらの氏族は、共通の祖先の子孫であると主張する数百人から数千人の集団であり、共通の祖先崇拝、すなわち氏神信仰によって宗教的に結ばれていた。
祖先崇拝に不寛容であれば、とっくに仏教は消滅していただろう。なぜなら、仏教の大いなる征服はすべて祖先崇拝民族の間で行われたからだ。 仏教はどこでも社会的慣習の味方として受け入れられ、どこでも敵として受け入れられた。
倫理は宗教とは異なるものではなく、宗教は政府とは異なるものではなく、政府という言葉はまさに「宗教の問題」を意味していた。 政府の儀式はすべて祈りと犠牲に先立って行われ、社会の最高位の人から最下層の庶民まで、すべての人が伝統の法則に従っていました。
かつて祖先の霊は、原始社会がまだ重要な特徴を持つ階級を発達させていなかった頃、多かれ少なかれ神と同じように考えられていました。 その後、社会自体が大きいものと小さいものに分化された様に、祖先の霊への考え方も分化していきました。
家庭の「宗教」によって各個人が家庭生活のあらゆる行動を支配されていたように、村や地域の「宗教」によって、それぞれの家族が外界とのあらゆる関係を支配されていました。 家庭の「宗教」と同様に、地域社会の「宗教」もまた、祖先崇拝に基づいています。
先祖崇拝には、宗教的・社会的な進化の過程で3つの段階があり、それぞれが日本社会の歴史の中に見られます。 第一の段階である家庭は、定住文明が確立される前、まだ国家的な支配者がいないときに誕生したもので、長老や戦国武将を領主とする大一族でした。
八雲は、すべての文明の黎明期はカルトであり、それを経て初めて "宗教 "に変わると考えていました。 日本人に、あなたの信仰する「宗教」とは何ですかと尋ねたら、ほとんどの人が「私は無宗教です。」と答えるでしょう。 かつての日本人には「宗教」が無く、今でもそうだと私は考えます。
八雲の親友の一人が彼に言いました。「日本に住み、これから4、5年経っても日本人をまったく理解できないと悟った時、その時から何かを知り始めるだろう。」 明治時代の日本人が、西洋人の八雲に言ったこの鋭い言葉は、今も当時と同じように、私の心にも残っています。
八雲は、彼が終生暮らした日本の明治時代の最も重要な歴史上の人物の一人と言えるでしょう。八雲は日本に深く興味を持ち、彼の作品全体にその影響を与えました。その為、いち早く日本文化を西洋に紹介した開拓者と見なされています。
アメリカ人の多くは、その行動や言動から見ても左脳優位の人々だという事が、最も分かりやすい例です。日本人は、アメリカ人を地球上で最も予測不可能な人達と見なしているのですが、それは確実に定義された社会的形態、秩序、プロセスが存在しないためです。
日本人の重要な文化的特性として、理性よりも直感を優先させるという事があります。 日本人の歴史の中には、個人や集団、さらには国家の運命を左右するような事件が数多くありますが、それらの重大な決断は、理性ではなく直感に基づいて行われていたと言えます。
ファジー・シンキングとリニア・シンキングについて考えたことがありますか? 日本的な考え方の核となるものは、ファジーシンキング、あるいはホリスティックシンキングと呼ばれています。