
現実との再結合
すべての人の人生を縁取る出来事は、ただふたつ。誕生と死である。そのあいだの時間をどう生きるか。それこそが本当の物語だ。
そのふたつの出来事のあいだでは、内なる語り手が絶えず働き、自分は何者なのか、自分の人生にはどんな意味があるのかを語り続けている。だから、よく耳を澄ませてほしい。あなたはいったい、誰の物語を生きてきたのだろう。

哲学者でありコンピューター技術者でもあるベルナルド・カストラップ博士は、驚くべき可能性を提示している。個人の意識は、より広大な意識の場が一時的に現れたものなのかもしれない。彼の説明では、肉体の死によって、その一時的な分離が終わる。
彼の著作は、じっくり読むに値する。とりわけ、生と死についての考え方を見直すよう促す箇所は、深く読み込んでみたい。

この地上の現実への入口を開く鍵は、世界を別の仕方で理解することにあるのかもしれない。人の意識を、現実という川の流れから切り離されて見える渦として想像してみよう。ただし、忘れてはいけない。その渦をつくっているのは、川そのものの水なのだ。
渦の境界は、流れのなかに生まれるひとつの模様であり、独立した実体ではない。考えてみれば、なるほどと思わないだろうか。

渦が消えても、水の流れが止まるわけではない。そうではない。別個のものに見せていた一時的なかたちがほどけただけで、水は流れの一部であり続ける。
そこから「死」に別の解釈が生まれる。肉体の死後、人の命はどうなるのかという、なじみ深い議論に問いを投げかける解釈だ。そうした説明のなかには、何世紀ものあいだ語り継がれてきたものもある。ひとつの物語だけが本当に唯一の答えなのかと問わずに生きるには、あまりにも長い年月ではないだろうか。

カストラップ博士の説明では、死とは意識が消し去られることではない。それは、無限の流れから渦が解離している状態の終わりである。局在した自己が、より大きな意識の場と再び結びつくことによって、現実のさらに深い層が明らかになるのかもしれない。博士が正しいのであれば、その層はあらゆる生きものに関わっている。
ここは明確にしておこう。これは探究の途上にある見解であって、死後に何が起こるかについて科学的に確立された説明ではない。それでも、この見解が意識について投げかける問いを、ただ無視することはできない。

それぞれ異なる方向から意識に向き合う、ほかの思想家たちが対話に加わると、物語はいっそう興味深くなる。フェデリコ・ファジンは、著書『イリデューシブル』でセイティについて述べている。控えめに言っても、目を開かされる。
カリフォルニア大学アーバイン校のドナルド・ホフマン教授は、著書『ザ・ケース・アゲインスト・リアリティ』で、もうひとつの興味深い視点を示している。知覚は、世界をありのままに見せるためではなく、私たちが生き延びるのを助けるために進化によって形づくられた、利用者向けの画面のように働いているのかもしれない。
『イリデューシブル』は、このストーリーボードの著者が長年探し求めてきた洞察を与えてくれた。そのページのなかで彼は、何年も感じていながら、どうしても捉えきれずにいた現実の不具合を言い表す言葉に出会った。
これらの思想家は、それぞれ異なる方向から、意識と現実についてのなじみ深い前提に挑んでいる。結論が異なるところも含めて、その考えには真剣に向き合う価値がある。

人の命のはかなさは、もうひとつの切実な問いへと私たちを導く。なぜ私たちは、人生のこれほど多くの時間を、インターネット上の注目を追い求めることに費やすのだろう。
オンライン上の人格は、しばしば一時的な自己像である。それは自分の本当の一面を表すこともあるが、その背後にいる本人の代わりになってしまうこともある。

そのことが分かったなら、もっと大きな計画を立て、人の少ない道を選び、魂を目的と意味で満たすときだ。フローの状態に入り、意志をもって意味のある人生を生きる、その現実をつくり始めよう。
そのことを理解したなら、さらに壮大な計画を立てるときなのだ。その計画は、人の少ない道へとつながり、魂を目的と意味で満たしてくれる。そして、フローの状態に入るとはどういうことか、自ら現実をつくるとはどういうことかを、人生のなかで見いだしてゆく。

実際、移ろいやすい注目だけでは、後世に残るものにはなれない。見知らぬ人からの関心が友人やフォロワーを連れてくることはあっても、その関心は束の間のものだ。自分に問いかけてみよう。そこに、本当に意味はあるのだろうか。
何百万人に見られていても、ほとんど何も残さない人がいる。その一方で、自分に偽りなく生きることで、何世代にもわたる影響を残し、自らの「時のなかのひと針」を縫い込む人もいる。

この「インフルエンサー」たちの巨大な波は、独自の発想を持たない「コピー・アンド・ペースト世代」と呼べるのではないだろうか。偽りの自己は、意味を欠いている。
その偽りの自己は、いくつもの仮面に砕けたオンライン上の人格になりうる。美しさ、地位、男らしさ、若さ、時代に取り残されないこと。そのすべてが、見知らぬ人からの承認を求めている。

自らの存在を振り返り、偽りのない自分へ戻ってゆくと、人生は、無限の川を下ってゆく夢のように感じられ始めるかもしれない。
影響力の本当の意味は、あなたの存在が触れた人々の人生、世界に残した跡、そして自分に偽りなく生きる勇気のなかにある。それでも、あなたという渦は、今、ここにある。果てしない流れのなかを流れているこの人生に、あなたが与える意味は大切なのだ。

そして最後に、この地上での最期の瞬間、あなた自身の渦が、現実の果てしない流れへ戻ってゆくところを想像してほしい。本当は、何ひとつ、どこかへ行くわけではない。
渦の境界がなくなる。水が川へ戻るのではない。水は一度も、川を離れていなかったのだ。



