参政権のパイオニア – 木村駒子

May 28, 2022ブログ, 文化

参政権のパイオニア木村駒子

日本女性の憲法を否定することはできません。

日本社会における女性と、その位置づけについて、先入観を持っている人は多いでしょう。

日本女性らしい仕草といえば、手で口元を隠してクスリと微笑むイメージが強いかもしれませんね

Japanese Women Wearing Kimono Laughing - Land Of The Rising Son

あるいは、ママチャリに乗った専業主婦が、子供を連れて買い物に出かけるというイメージもあるでしょう。


小泉八雲がその代表的な著作で明確に謳っているように、日本の男と女は、まさに別々の種族のように 異種族である。

木村駒子、1887年7月29日東京生まれ。戦前は革新的な日本の女性参政権論者、女優、舞踏家、劇場支配人、そして雑誌編集者でした。

並外れたビジョンとパワーを持った注目すべきこの日本人女性は、世界の女性参政権運動において、知る人ぞ知る歴史上の人物となっています。

木村駒子 - Komako Kimura - Flyer- Land Of The Rising Son

この驚くべき日本人女性は、20世紀初頭の女性の権利の最初の提唱者の一人として、特に侍文化、絶対的男性優位のという特殊な日本文化のルーツを持ちながら、最も困難で重要な仕事を担ってきました。

駒子の活動は、日本と西洋における女性の権利と女性参政権運動を形成しました。

駒子は、学校で学んだ、オスカー・ワイルドやラルフ・ウォルドー・エマーソン などの作家や哲学者から発想を得ました。

オスカー・ワイルド - Oscar Wilde - Land Of The Rising Son
ラルフ・ワルド・エマーソン - Ralph Waldo Emerson - Land Of The Rising Son
また、スウェーデンのフェミニストで、初期の女性参政権運動の中心人物であったエレン・キーの思想からも深い影響を受けています。

キー女史は、エポックメイキングな作品を書き残しました。
子供の世紀(1908年)
女性運動(1909年)
愛と結婚(1911年)
上のリンクをクリックすると、これらの重要な書籍を読むことができます。

エレン・ケイ - Ellen Key - Swedish Woman Suffrage Pioneer - Land Of The Rising Son

当然ながら木村駒子は、演劇活動においても、女性参政権運動の推進においても、その挑戦的な行動で、大きな物議をかもしました。

駒子は、男性中心の社会で、女性が活躍できる唯一の方法として舞台を愛し、そしてこう言いました。

「舞台女優だけが、事情通の男と話ができる。」

木村駒子は有力者の男性達に声をかけ親睦を深め、自身の存在感を強く高めました。そしてその男性達も駒子の意見に耳を傾けるようになり、駒子の影響を受けたたのです。

木村駒子はまた、次のような運動を起こしました。

1912年に西川史子、宮崎美津子らと共に「真新婦人会」を立ち上げ、「新真婦人会」と題する講演会、雑誌を発行しました。

1912年新真婦人会 - Land Of The Rising Son

駒子の最初の講演は1913年でした。

「女性のための愛と自己実現」

駒子は「新真婦人会」誌をアメリカ、日本、ヨーロッパで流通させました。

駒子は最初の論文で、単に法律を改正して男女同権を実現したいのではなく、女性が男性と同等の教育を受け、もはや男性に頼ることなく自分の意思で物事を決定できる、強い意志と思慮深さを持った男女主義者を育てることを目標としていると述べました。

木村駒子 - Komako Kimura - Newspaper Article - Land Of The Rising Son

日本では、1917年に駒子がアメリカを訪れる5年ほど前から女性参政権実現に向けた取り組みを行っていました。しかしそれは徒労に終わったのでした。

資金問題、政府の反対、日本では女性の権利運動に関する前例も無く、このような問題が駒子の本格的な進展への取り組みを阻んでいました。

駒子は、服装や化粧で自分を表現するアメリカの女性たちに憧れ、刺激を受けるために渡米しました。

しかし服装や化粧が、女性が自分自身を個人として表現することと、どのような関係があるのでしょうか。

ガングロ祭り- Ganguro Matsuri- Land Of The Rising Son

多くの女性たちが「美しさ」や「女性らしさ」という浅はかな概念のために、貴重な時間と才能を浪費するように陥れられているのです。

駒子は2度目の訪米で、女性初の下院議員ジャネット・ランキンやウッドロウ・ウィルソン大統領と会見しました。

また、1917年10月27日にニューヨークで行われた女性参政権行進に参加しました。日本の正装をした木村駒子を見て、アメリカ人が驚いたことは有名な話です。

木村駒子 - Komako Kimura - Women Suffrage Parade New York 1917 - Land Of The Rising Son

「新真婦人会」は1918年1月まで続きましたが、その後日本政府によって廃刊となりました。

この雑誌は、結婚を批判し、日本で初めて避妊について率直に語るなど、当時としては赤裸々で過激な内容で知られていました。

そして彼女の公開講演会にも弾圧が及び、公共の場での集会は許されなくなりました。

このような日本政府の動きに対抗して、駒子は「無知」という題の戯曲を書き、主演を務めました。

Ignorance Is Not Bliss - Land Of The Rising Son

案の定、日本政府はこれを快く思っておらず、「おとなしい女性の役に戻れ、さもなければ劇場を閉鎖する。」と忠告してきたのです。

しかし、駒子は政府の要求には屈せず、自分の劇場の公演を全て無料としました。

革命、開拓者としか言いようがない でしょう!!!

これに対し、政府は駒子を逮捕しました。

裁判で駒子は自分自身の弁護をしました。その結果、皮肉な事に、政府は駒子の活動を妨げるどころか、知らず知らずのうちに後押しする事になったのです。裁判を通じて駒子のメッセージは世間に広まり、女性の権利と参政権のための戦いが国中に知れ渡ることになったのです。

偉大な女性の想像力は、限界を知りません。

成功や栄光への道は、多くの場合、逆境から生まれます。

よくある事です。

The path to success and glory resides in adversity - Land Of The Rising Son

木村駒子の著作、演説、パフォーマンスは日本の女性参政権運動にとって不可欠なものでした。そしてとうとう1945年の選挙法改正で、日本女性に初の選挙権が与えられるに至りました。

間違いなく、歴史的な女性参政権の開拓者である木村駒子と、世界の姉妹達に代わって、請願活動を行った世界の女性たちが、女性参政権運動の真の開拓者なのです。

木村駒子と当時の女性達は、未来を切り開くために必要な土台を築きました。それを受け継ぐ者達は、画期的な女性参政権運動の巨人たちの礎の上に立っていることを忘れてはなりません。

木村駒子 - Komako Kimura - Flapper Style - Land Of The Rising Son