節分

節分

節分

節分

節分とは日本の春の始まりの前日であり、中国から八世紀に日本に伝わりました。

節分の意味は、季節を分けるという意味で、春の節分の行事は二月三日に行われます。

中国の古い暦ではこの日が元旦となっていたので、前年の全ての悪を一掃し、病気を追い払う特別な儀式が行われていたのです。

この特別な儀式は、「豆まき」と呼ばれます。

豆まきの風習は室町時代から始まりました。

人々は炒った大豆(福豆)を、「鬼は外! 福は内!」と大きな声で合唱しながら、奥外や、鬼の面を着けている人に投げつけ、そして家の扉を勢いよく閉めます。

これは一般の家庭で行われる風習ですが、それ以外にも、多くの人々は神社やお寺で行われる節分の行事にも参加します。私の家の近くの成田山新勝寺では、有名な力士や芸能人などが寺の境内から豆まきをするため、一般の人たちはこの時に撒かれる豆や菓子などを掴み取り、縁起物として持ち帰ります。

この豆は、不幸や悪い病気をもたらす悪霊を追い払う言い伝えがあり、家を浄化する象徴と考えられています。 そして運気を上げるため、地域によって多少異なりますが、炒った大豆を一年に一回、この節分に、自分の年の数と、そして次の一年に幸運をもたらすために、もう一粒を食べるのが習慣です。

二月三日に豆を投げ、悪霊を追い払い、幸運を取り込んで、その後の一年を祝います。
それでは皆さん、毎年二月三日には豆まきをし、不運を追い払い、幸運を取り入れ、素晴らしい一年を!

側高神社ひげなで祭

側高神社ひげなで祭

側高神社ひげなで祭

側高神社ひげなで祭

毎年私たちの家の近くの神社では、奇妙なまでの変わった歴史的な祭りがあります。それはで行われます。

この神社は紀元前660年に神武天皇が即位して18年目に設立されました。神武天皇は、我々の大切な太陽の女神アマテラス大神の子孫というだけでなく、嵐の神スサノオノミコトの子孫とも言われています。

すごいと思いませんか?これは2,532年も前のことになります。

ひげなで祭りというこの珍しい祭りは、毎年1月の第2日曜日に開催されます。y.

この祭りは、口ひげを生やしていた鎌倉時代(1185年-1333年)の偉大な武士、源頼朝を称えるために始められました。源頼朝は、鎌倉幕府の創始者であり最初の将軍でした。彼は1192年から1199年まで統治しました。

さて、このひげなで祭りとはどんな祭りなのでしょう?チームは二手に分かれて競います。これら2つのチームの内の一方が偽物のひげを鼻下に付けます。

そして両チームによって、お椀になみなみと注がれた日本酒をたくさん飲むコンテストが始まります。

どちらかのチームがリタイアするまで、参加者の男性たちは、7〜8杯まで飲んでしまう人もいます。

この女性たちは私に甘酒をサービスしてくれました。

以下の動画では進行役の男性が、「5杯目が注がれます」と言っています。

是非1月の第2日曜日にこのLand Of The Rising Sonにおいで下さい。そして日本でのお見事でユニークな体験の1つとして、この素晴らしい光景をお楽しみください。

狂気のマグロ

狂気のマグロ

狂気のマグロ

狂気のマグロ

個人的には、私は絶滅の危機に瀕しているものは食べませんが、それは私だけなのかもしれません。

またもや日本人は海の幸に桁違いな価格を付けました。

東京の豊洲市場で開催された2020年の新年の初競りで、クロマグロ一匹に1億9千320万円という史上2番目の高値が付きました。

昨年(2019年)、歴史的で伝説的な築地から市場が移転した後、豊洲で初めて開催された新年の初競りの最高額記録のクロマグロは、もう全て食べられてしまっているはずですが、3億3千360万円というとんでもない金額でした。

さて、今年の話に戻りますが、276Kgのクロマグ1kgあたりの金額は、なんと70万円です。

今回落札したのは、東京を拠点とする寿司レストランチェーン「すしざんまい」の運営会社である喜代村コーポレーションでした。

同社によると、昨年まで首都圏の主要な魚市場があった、築地近辺のチェーンのレストランでこのマグロを提供すると発表しました。

マグロは確かに美味しいのですが、私にとって、そこまで特別なものとは思えません。

新鮮なアワビの肝やウニは高価なマグロに匹敵する美味しさです。

脂がのった戻り鰹、ヒラメのえんがわ、カニ味噌で、あなたの味覚は更にくすぐられるでしょう。

あなたに約束します。たった一口に10,000円を支払うことなく、食事が終わった後、とても満足な気持ちになることを。ましてや、絶滅に近いクロマグを食べなかったという良心も残ります。

初めての皇居訪問

初めての皇居訪問

初めての皇居訪問

初めての皇居訪問

私たちはおそらく一生に一度経験できるかできないかの体験をしました。皇居を訪れ、「大嘗祭」として知られるこの珍しい祭りごとのみのために組み立てられた、お見事な建物を見ることができたのです。何百年も前からの伝統ある儀式ですが、これらの構造物は昨年即位された、徳仁天皇のために作られました。

これらの素晴らしい建物は、神道の大工によって建設され、最も重要な神聖な儀式の一つとして、日本人の生き方の基礎と考えて良いでしょう。

忘れないでください。徳仁天皇は神道の最高峰であり、日本人の平和と団結の象徴として存在しています。

日本人の健康、平和、繁栄を長きに渡り守って下さる徳仁天皇と雅子皇后にご多幸をお祈りいたします。

          

パワフルなトークショーの司会者、日本のスーパー少女に魅了される:パート2

パワフルなトークショーの司会者、日本のスーパー少女に魅了される:パート2

パワフルなトークショーの司会者、日本のスーパー少女に魅了される:パート2

パワフルなトークショーの司会者、日本のスーパー少女に魅了される:パート2

先週、エレンチューブに初出演した、天才少女ドラマー、神童よよかについてお話ししました。

最初の出演では面白いハプニングがあり、何が怒ったのかを確認するために、日本人としては初めての2回目の出演となりました。

思い出して下さい。神童よよかはエレンに2つの美しい漢字をプレゼントしました。一つは「絵」、そしてもう一つは「蓮」。これでエレンと読みます。英語にすると、「蓮の花の絵」という事になります。

さて、神童よよかと絵蓮の、次の交流を見てみましょう。

絵蓮は神童よよかに、「この前に来た時は楽しかったですか?」と聞きます。

それから「前回は、ドラムを演奏することを習ったのは何歳からで、なぜ始めたのですか?と聞きたかったのです。」と絵蓮は言います。

「習う」という言葉をまた使っているのは、前回ここで話が詰まってしまったからです。何故なら、神童よよかは天才なので、「習う」という概念がないのです。彼女にとってドラムは自然にやってきた物で、楽器を「習う」ということが実際にどういうことなのか理解できないのでしょう。

神童よよかは「2歳のときにドラムを演奏し始めましたが、ドラムを「習った」のではなく、ドラムを「感じ」始めたのです。

そして彼女は続けます。「私は楽譜を読むこともできますが、ちょっと面倒なのでドラムを「習う」ということはありません。」

続いて絵蓮は神童よよかに「一番好きなドラマーは誰なの?」と聞きます。

神童よよかは日本語で「いっぱいいるんだけど、ロックドラマーなら、デイヴ・グロールです。」と言います。

絵蓮はデイヴ・グロールと聞いて、とてもホッとしました。

そして二人は、なぜ神童よよかデイヴ・グロールが大好きかという話を続けました。

「すごい鳴らす音がカッコ良くて、重いグルーヴがすごい!」と神童よよかは言います。

次に愉快な場面は、神童よよかが絵蓮にけん玉を教えたところでしょう。

絵蓮はとても本質が優しくパワフルなトークショーの司会者なので、頑張ってけん玉をやってみています。

この子供のおもちゃは練習しない限り難しいということは皆さんもお分かりですよね。そして日本人は、外国人が日本の伝統的なけん玉などに挑戦する時、本当に嬉しそうな顔になりますね。

そして絵蓮は前回の神童よよかの出演の際に何が起きたのかを説明し始めます。

「前回、何が起きたのかと言うと、撮影の前に予めよよかの好きなことについて質問してあったのですが、本番ではその答えを知らないフリをして話したんです。」

神童よよかはまた不思議そうな顔をします。

引き続き絵蓮は前回の出演の際に何が起きたのかを説明します。

以下の会話はパート1からの引用となります。

絵蓮:私はプレゼントを贈りたいのですが、次にあなたはどんな楽器を「習い」たいですか?

神童よよか:(以降日本語で)うーん、習いたくは無いけど、今ギターとかベースを練習しているから、ギター、ベースをやりたい。

絵蓮:たくさんの楽器について話しているのかしら?私は一つの楽器について知りたいのですが、彼女は何を言っているの?

通訳:今ギターとベースに取り組んでいるそうです。

絵蓮:ああ~期待外れの答えだ。

神童よよか:は? (頭を少し傾けながら)

絵蓮:私は違う答えを期待していました。

通訳:そうですか。。。

絵蓮:他の楽器も聞いてみて下さい。(通訳者へ)

通訳:他に何か無いかしら?

神童よよか:Nope!(顎を手で撫でながら)

 

絵蓮:彼女は木琴が好きですか?

通訳:(日本語で)木琴は?

神童よよか:「習う?」(笑いながら首を傾げる。)

通訳:彼女は習いたくはないと言っています。

絵蓮:それじゃあ見るだけでもどう?

神童よよか:(頷く)

絵蓮:はい持ってきて! (スタッフに手を振り合図。)

神童よよか:Yeah!(社交辞令的に盛り上がる。)

パート2に戻ります。

そして絵蓮は言います。「私はあなたが木琴を習いたいと思っていました。」

また「習う」と言う言葉が出てしましました。これでは絵蓮と神童よよかにとって、言葉の行き違いが続いてしまっています。

通訳者は日本語で、絵蓮は、よよかが木琴が欲しいと思い込んでいたと説明します。

ご覧ください。神童よよかはまた混乱した顔になります。

神童よよかの表情を見て絵蓮は、「欲しくなかったの?」と言います。

通訳者は「あなたは木琴が欲しいと思っていなかったのですか?」と日本語で聞きます。

神童よよかは混乱し、ためらいながら、「うーん、欲しかった。」と社交辞令を言います。

絵蓮はホッとしながら、「あなたは習った?」とまた聞きます。

再び「習う」と言う言葉が出てしまいます。

通訳者は神童よよかに「その木琴を使っていますか?」と聞きます。

神童よよかは「はい、毎日使っています。」といいます。

いつもの絵蓮のユーモアで、「それは良かった。使っていないなら返してもらわないといけないところでした。」と言います。

そして神童よよかはドラムセットに座ります。

神童よよかが演奏した、フー・ファイターズというバンドの曲「ザ・プリテンダー」を聴いた、当のデイブ・グロールから、神童よよかにビデオメッセージが送られました。これはこの若い天才にとって最高の贈り物だったに違いありません。

最後に、パワフルなトークショーの司会者絵蓮は、神童よよかと彼女の家族に、ユニバーサルスタジオのVIPパスポートをプレゼントしました。絵蓮様ありがとうございます!

個人的に私は非常にエレン・デジェネレス​を尊敬しています。彼女は1997年に自身がレズビアンだということを世間に発表しました。それは彼女のキャリアに影響を及ぼす可能性があったにも関わらず、彼女はその大きな障害を乗り越えて、私たち人類にいい影響を与えたに違いありません。

2回目の神童よよかの絵蓮ショー出演シーンはこちら。

父の帽子が日本に帰ってきた!

父の帽子が日本に帰ってきた!

父の帽子が日本に帰ってきた!

父の帽子が日本に帰ってきた!

私の父が日産社の招待で1968年に日本に来た時、この帽子をかぶっていました。

ダットサンとは?若い人は知らない人も多いかもしれませんが、日産の輸出ブランドです。ダットサンについて

実は私の最初の車はダットサン510でした。お父さん、本当に私の初めての車のために、半分の代金を支払ってくれてありがとう。

私は父親から、自分自身で支払う事の大切さを学びました。これは非常に貴重な教訓になりました。

カナダで最初のダットサンディーラーの一人としてダットサンから日本に招待された彼は、たいそう喜んでランドオブザライジングソンに関する素晴らしい土産話を持って帰ってきました。

そして彼はお土産に箸と箸置きを持ち帰り、家族にその使い方を教えてくれました。

お世辞が上手な日本人はいつも「箸を使うのが上手ですね。」と今の私の箸のテクニックを褒めてくれますが、その時私は苦笑いをしてしまいます。そして「あなたのスプーンの使い方も上手ですね。」と少し皮肉を込めて返します。

もしあなたがランドオブザライジングソンに来て「おはようございます。」とだけ言っても、日本人は「日本語が上手ですね。」と褒めてくれるでしょう。それは日本人がこの難解な社会をスムーズにしているのです。

父のランドオブザライジングソンへの初めての旅に話は戻ります。

彼はパレスホテルで生の魚と天ぷらを夕食に食べ、朝食には和牛ステーキをご馳走になりました。これは日本を好きにならない訳がないでしょう。

そして私の父はダットサンの車を輸入する際、バンクーバーの港まで到着した車を取りに行き、美しいフレイザーキャニオンを8時間かけて運転して帰ってきました。

想像してみて下さい。5歳の少年のお父さんが、240Zに乗って帰り、それを1st Aveの自宅の前に駐車したときの、この少年の驚きを。

非常に特別な経験でした!

さらに200SXとダットサンピックアップトラックという興味深い車も持ち帰りました。

お父さんは数年間ダットサンのディーラーを経営しましたが、最終的には長い時間の仕事に就くのをやめ、その会社を売却しました。

そしてその代わりにブリティッシュコロンビア州の手つかずの自然豊かな環境で家族とキャンプ、ハイキング、釣りを楽しむ事を決めました。

その選択をしてくれた父に感謝しています。それ以上の子供時代はなかったでしょう。

今、父の帽子は日本に帰ってきて、家族の家宝として私に伝えられています。

1968年に父が訪れた日本と、今の日本はあらゆる面で大きく変わっていますが、この帽子を着用することを光栄に思いながら、日本の本質は今も昔も変わっていないと感じます。