全能の米

全能の米

全能の米

全能の米

私の母国では、米が食卓に上がるのは稀でした。そして食べるときは何故か必ず魚料理と一緒でした。

当時、白米は洋風、又は中華料理のビュッフェで見かけるだけで、ご馳走のように感じたものでした。

もう一つ、醤油はアジアでは一般的な万能調味料ですが、私にとっては、ご飯に直接かけて食べる以外に使い方を知りませんでした。

そして私は、日本に来てからの何年は、母国にいた時と同じような米と醤油の食べ方をしていました。私の食べ方を見た日本人の驚きの表情といったらありません。時には喧嘩の種にもなりましたが、面白がられる事もしばしばでした。

生卵ライス - Land Of The Rising Son

文化ポイント:日本では醤油は料理や刺身などに使うもので、ご飯に直接かける物ではない。

以前は、米がアジア諸国の主食であるだけでなく、古代の習慣や権利において、神への捧げ物として崇められ、崇拝される物であることを、ほとんど理解していませんでした。

しかし、1987年に来日し、初めて日本のもち米という物に出会いました。

その時、私が生まれて初めて食べた餅は、日本人にとって神聖な物でもあるのです。

また、日本のにも、へのお供え物として米や餅が飾られます。

餅神棚 - Land Of The Rising Son

餅は、もち米を蒸し、ついて成形したもので、調理すると、もちもちと弾力があり、四角や丸い形をしていて、日本全国どこでも売っています。

時にお正月に食べるのが一般的で、お正月のお供え餅としても飾られます。

正月餅 - Land Of The Rising Son

日本の田舎の農家では、ついたばかりの餅を油で揚げて、仕上げに醤油などをかけた、揚げ餅をいただく機会がよくあります。

農家の人と仲良くなって、一緒に餅をついてみましょう。

「おばあちゃんの秘伝の揚げ餅」を、こっそりもらえるかもしれませんよ。

かき餅出来揚げ - Land Of The Rising Son

さて、日本のお菓子メーカーは、常に新しい味と口当たりの良さを追求しており、基本的に使われる素材は主に全能の米です。

Senbei Party- Land Of The Rising Son

お餅は、色も味も様々で、もちもちとした食感が楽しめます。

また、大福のように餅で他の素材を包んで食べることもできます。

大福 - Land Of The Rising Son

あんこはもちろん、最近の大福には旬の時期に、産地直送の真っ赤なイチゴや、美しい緑のマスカットなどの果物も入っていたり、この地球上で最高の口当たりといえるでしょう。

Strawberry Mochi Delight - Land Of The Rising Son

緑色の草餅は、よもぎを生地に練り込んだもので、大地の葉の香りが漂う甘美な味です。

草餅 - Land Of The Rising Son

お花見の季節になると、桜餅の季節がやってきます。

あんこを詰めて餅をピンクに染め、うっすらと塩味がする桜の葉で包んだ、なんとも贅沢な春の季節を表したお菓子です。

桜餅 - Land Of The Rising Son

お米という身近な食材が、日本の食文化の根幹をなすとは、思いもよらない真実です。

日本中の至る所で、全能の米を使った珍しいお菓子に、あなたも出会えるに違いありません。

Golden yellow rice ear of rice growing in autumn paddy field - Land Of The Rising Son

明治から続く味

明治から続く味

明治から続く味

明治から続く味

明治4年創業の153年も続く老舗、五代目大将の営む寿司屋で、極上の寿司を味わうという贅沢。

歴史ある大徳家の寿司屋は千葉県南房総の千倉にあります。私の第二の故郷であるここサニーチバは、県全体が不思議な神秘に満ちています。

Chiba Prefecture Michi No Eki Map - Land Of The Rising Son次期後取りである大将の息子は銀座の老舗寿司店で修行中です。(修行期間は10年か15年との事)そして六代目となる息子さんは、唯一無二の伝統の味を守り続るでしょう。

大徳家寿司-Land Of The Rising Son

先祖代々の寿司職人が、同じ味の寿司を作り続けているのを見ることができるのは、家族の歴史が店という形になって残っているからに他なりません。

150年前の海や畑の味を再現している店は、世界中を探しても滅多に見つからないでしょう。

大徳家暖簾-Land Of The Rising Son日本の魅力のひとつは、明治維新以降、近代化が進んでも、「日出ずる国」の隅々にまで、古き良き日本の姿を残す商売があることです。
大徳家の明治時代の看板-Land Of The Rising Son大徳家のお店の暖簾-Land Of The Rising Son大徳家-千葉県房総市千倉-Land Of The Rising Son

しかし、日本人の本質として、大徳家には明治のエッセンスが凝縮されているのです。

栗原大将は、先祖を敬い、歴史ある料理に手を加え、この素晴らしい芸術の神聖な遺産を守りながら、先代の上に立つという「カイゼン」の精神を今呼び起こすのです。

大徳家寿司屋-なめろう-Land Of The Rising Son 特別な老舗といえば、歴史が深い山形県西山温泉慶雲館は、52代に渡り同じ家族によって運営されている史上最古の旅館です。

Nishiyama Onsen Keiunkan in Yamagata Prefecture - Land Of The Rising Son
西暦705年に創業し、現在も営業を続ける老舗旅館は、ギネス世界記録にも認定されており、稀に見る偉業と言えるでしょう。

日本ならではの食文化とも言える寿司や刺身などは、この30年以上にわたって世界中に浸透してきました。それはとても興味深いことです。

大徳家寿司屋-なめろう-Land Of The Rising Son生魚の風味と食感を理解できる世界中の人々が、神々の糧である食材を愛する。私はそう考えると心がとても温かくなります。

大徳家寿司屋- 色々 - Land Of The Rising Son真の海の幸を知る者であれば、できることならこの寿司店に足を運び、明治時代からの寿司の味を味わってみて下さい。

千葉県の千倉町という風光明媚な町にある、この店でしか味わえないのですから。

大徳家訪問01 - Land Of The Rising Son 大徳家訪問02 - Land Of The Rising Son 大徳家訪問03 - Land Of The Rising Son 大徳家訪問04 - Land Of The Rising Son 大徳家訪問05 - Land Of The Rising Son

大徳家大将-Land Of The Rising Son

 

グレイビーめし

グレイビーめし

グレイビーめし

グレイビーめし

日本人の友人に、私が作ったグレイビー(肉汁ソース)を、よくご飯にかけて食べてもらうのですが、とても喜んでもらえるのが私の楽しみです。

西洋と東洋の食文化が出会ったことで、主食である白米と肉汁たっぷりのソースが相俟って、他には代え難い風味が生まれるのです。

日本人は米を最も大切にしています。そのことが神聖な穀物への文化的意義と日本文明の進化へ繋がったに違いありません。

Rice Fields in Japan - Land Of The Rising Son

西洋人が豚肉を焼く時に出る肉汁も、重要な意味を持つかもしれませんが、日本人にとっての米に対する文化的な思い入れとは異なるでしょう。

伝統的なフランス系カナダ人の私の父は、やはり豚肉と米の組み合わせが大好物でした。

そしては豚肉の脂の風味が大好きで、朝食で焼いたフライパンに残ったベーコンの脂を取っておき、パンケーキを焼く時に再利用していました。それは世界一のパンケーキでした!

Save Your Bacon Grease - Land Of The Rising Son

Pancakes Maple Syrup Bacon - Land Of The Rising Son

その脂で卵を焼くのも好きだったのですが、健康に悪いので、ある時から私の母に禁止されてしまいました。

Eggs Cooked in Pork Grease - Land Of The Rising Son

さて、日本では大きな肉を丸ごと焼くことがあまりないので、大きなオーブンがある家庭も少ないでしょう。

オーブンは料理に凝った人以外には必要ないでしょう。

一般的な日本の主婦は、台所に必ずある魚焼きグリルで、家族の一人一人に一匹ずつ、一切れずつの魚を焼くのが関の山なのです。

パロマコンロ - Land Of The Rising Son

魚頭焼き- Land Of The Rising Son

日本人にはグレイビーという概念がないからこそ、マジックがあるのです。

デミグラスソースや照り焼きのタレも美味しいですね。しかし本物のグレイビーめしって物を食べてみたいと思いませんか。

焼肉のタレ- Land Of The Rising Son

この特別な肉汁かけご飯は、たった一握りの限られた、運のいい人だけが、一生に一度体験できるかもしれないという貴重な代物です。

思い浮かべてみて下さい。豚の脂に小麦粉をそっと忍ばせ、秘伝の調味料をふりかけて作る肉汁と、地元千葉県産の神聖な美味しい精白米との出会い。ああ思い出しただけでよだれが出てきてします。この料理はカナダの我が一族の秘伝の肉汁レシピから作られています。

Enlightenment- Land Of The Rising Son

日本人が肉汁に出会った時、日本と西洋の食文化が融合し、グレイビーめしというありえない組み合わせが生まれようです。

そして付き合わせには、ニュージーランド産のグラスフェッドバターと青森県産の新鮮なニンニクをたっぷり使ったベイクドポテトをプラス。なんとも本格的な雰囲気ですね!

オーストラリア産のマカダミアナッツオイルとハーブやスパイスをふりかけると、更にジャガイモの風味がより一層引き立ちます。

グレイビーは、色々な材料から作ることができます。

一番有名なのは、西洋の祝祭日によく登場する七面鳥ですね。

ビーガンの人向けには、肉を使わないグレイビーを作ることもできます。

野菜スープキューブと、ビーガンが使える魔法(塩、ハーブ、スパイス)で代用できるのです。

グレイビーめしは「人生」にも例えられるかもしれません。

安心できる土台である米に、人生のスパイスとなる肉汁をかける。

Rice Stalk - Land Of The Rising Son

ピーナッツバターはありません

ピーナッツバターはありません

ピーナッツバターはありません

ピーナッツバターはありません

もう20年近くも前のことですが、カナダから地元の大工さん達を呼び寄せ、日当たりの良い千葉県でツーバイフォーの家を建てました。

このカナダ人大工さんとの出会いは、最高の僥倖でした。

2 x 4 house wall going up

千葉県の私の地元の小さな住宅会社が倒産し、カナダ人大工が全員解雇された後、大工長はカナダのオンタリオ州に戻っていました。

そして自国に帰ったカナダ人の大工長は、私の依頼で再び美しい日差しが降り注ぐ、この土地に、コンテナ2個分の住宅資材と3人のカナダ人大工を私の所へ送り込み、カナダ製のツーバイフォー材を使って、私の家を建てたのです。

当時でもまだ、彼らの故郷であるカナダと日本の違いは大きく、その日本でカナダ人の熟練したカーペンター達と過ごすのは、とても興味深い経験でした。しかし、彼らは日本での生活に、時に驚き、時に落胆していました。

ある大工さんは、日本の食べ物に馴染めず、古き良きカナダのソウルフードであるピーナッツバターを切望していました。

Peanut Butter

日本人にとってピーナッツバターは比較的新しいものであり、田舎のスーパーマーケットでは、ピーナッツバターは、まだあまり販売されていませんでした。

しかしある日、カナダの田舎ボーイの彼は、スーパーマーケット売り場の壁一面に、ピーナッツバター色をしたペーストが並んでいるコーナーを見て、「ハレルヤ!」と思いました。

ピーナッツバターの楽園を見つけた彼は、それを購入し、ピーナッツバターとジャムのサンドイッチ(PB&J)を食べている自分を想像し、ワクワクしながら家路につきました。

そしてその日、たまたま彼を訪れた私に、そのカナダ人の大工さんは、まだ開封していない容器を見せ、「とうとうピーナッツバターを見つけたんだ!」と希望に溢れた声で言いました。

その瞬間、美味しいピーナッツバターとジャムのサンドイッチを食べて、ホームシックを和らげようとした彼のささやかな希望は、無惨にも現打ち砕かれました。私は心を痛めながら優しく彼に「違うよ、これは味噌という物だよ。」と言いました。

味噌の種類

「違うよ、これは味噌という物だよ。」という言葉を聞いて、は?となった彼は呆然と立ち尽くし「それは何だ?」と聞き返しました。

味噌は日本人の食生活に欠かせないもののひとつです。

味噌汁はもちろん、ドレッシング、野菜ディップや、様々な料理に使うことができる万能調味料です。

味噌の良いところは、発酵食品であり、健康に良いプロバイオティクス(善玉菌)の天然の供給源でもあり、消化にも良く、冷蔵庫で長期保存もできるところです。(それに腸の動きが良くなり、お通じも快調になります。

日本の伝統的な朝食には、ご飯、魚、納豆、漬物のお供として、具沢山の味噌汁が必ず付いてきます。

和風朝食セット焼き魚 おひたし みそ汁

ラーメン屋では、醤油、塩、味噌、豚骨スープの中から好きなものを選ぶことができ、味噌が目玉となっている店も少なくないですね。

1987年1月に初めてラーメンを食べた時、ネギと豚肉がたっぷり入った味噌ラーメンでした。それは今までに食べたことのないような美味しい味噌で作られていて、一目惚れしたものです。

ネギみそラーメン
しかし、私と一緒に食べに行った人が、私がラーメンのスープを全て飲み干してしまったのを見て驚き、訝しげな顔をされたのを覚えています。

そのマナーの悪さを叱られた上に、「ラーメンの味噌汁を全部飲んだら、いつか高血圧で死んじゃうよ 。」という言葉も付け加えられました。

この記事を書いている時点では、私はまだ死んでいないので、ラーメンのスープを全部飲んでも、多分大丈夫でしょう。

最近では、スープを全部飲んだ方が、捨てるより環境にもいいし、マナーも悪くないと聞いたことがあります。

Wall Of Miso

ピーナッツバター関連のエピソードをもう一つ。世界最大である日本の合成紙会社の工場で、アメリカ人エンジニアの通訳をしていた時の話です。この日本企業はいつも昼食に美味しい日本式の幕内弁当を用意してくれていました。しかし、あるアメリカ人エンジニアは日本の美味しい食べ物に一切興味を示さず、毎日ピーナッツバターとジャムのサンドイッチを工場に持って来ていました。冒険心のない彼は毎日、コーラでPB&Jサンドイッチを飲み下していました。私は毎日、「今日のPB&Jサンドはどう?」と聞きました。すると彼の答えはきまって、「いつもと同じだよ。」でした。

秋田屋 – 日本一の串焼き屋

秋田屋 – 日本一の串焼き屋

秋田屋 – 日本一の串焼き屋

秋田屋;日本一の串焼き屋

あなたがもし日本にほんの数日間でも滞在したことがあるなら、ここが地球の台所であるという事が分かるでしょう。

私は今まで、このの旅の中で、ユニークで美味しい「お店」にたくさん出会ってきました。

昔、週に何回か東京に通勤していた事があったのですが、いつもの様に田舎にある自宅に帰る高速バスの時間まで、バスターミナルの周辺を時間潰しに歩いていた時のことです。

バスターミナルからほんの少し歩いたところで、大きな窓から白い煙がモクモクと立ち昇り、白衣を着た無愛想な男たちが豚の串焼きを焼いているのが見えました。串焼きを焼いている窓の外には、立ったまま串焼きを片手に、酒を飲み交わす人々もいました。所謂立ち飲みです。

秋田屋外

私は即座に「おお、これはもしかしたらもしかするぞ。」と思ったのです。

そして私は勇気を出してこの秋田屋というこの店に入ったのですが、そこから今日までこの店との長い長い付き合いが始ったのでした。

狭い店内にはカウンターや椅子席もありましたが、所狭しと席が設けられ、知らないお客とも肩を触れ合いながらの飲食となっていました。もちろん英語のメニューなどある訳がありません。当初この店の店員達は、この外国人は日本語のメニューで注文ができるんだろうかという白い目で私を見ました。

秋田屋のメニュー01

私は店員に不機嫌そうにカウンターの席を指差され、安物のおしぼりを目の前に叩きつけられ、「何が飲みたいの?」と聞かれました。

その時私は「疲れてお腹がペコペコの日本の永住者に、ビールを一本お願いいたします。」と丁寧な日本語で答えました。

メニューを見てみると、とても美味しそうなものがたくさんあって、色々と試してみたくなりました。

まずは豚のモツ煮込みを注文。

因みに日本の居酒屋には、必ずと言っていいほどモツ煮込みがあります。

もつ煮込み

さらに私は、豚のタンとカシラと軟骨の串焼きを注文しました。

焼き豚 ガツ盛り合わせ02モツ煮込みを一口食べると天使のハレルヤが頭に響き、私はついに完璧なモツ煮込みに出会えたのだと確信しました。豚のモツが口の中でとろけていくその瞬間、今まで経験したモツ煮込みは何だったのだろうと思うくらい、それは最高のモツ煮込みだったのです。

そしてさらに私の気分を良くしたのは、店員の老婦人が店内をきびきびと気を配りながら歩き回り、客をまるで自分の子供のよう扱いながら、世間話をしていたからです。

老婦人04

結婚経験もない彼女は、この日本を背負った、空腹で疲弊したサラリーマンたちにサービスを提供するために、一生涯をこの店に捧げたのです。

想像してみてください。

老婦人07


She used to like to wear my hat.

彼女はまた、彼女のお気に入りの常連客の中から選ばれたお客さんだけに特別な自家製のぬか漬けをサービスで出してくれるのですが、幸いなことに、その後私もその内の一人になる事ができました。

そして私は彼女のユーモアのセンスが大好きでした。

それは暮れも押し迫ったある日、私は東京へ行き、また秋田屋に寄って帰ろうと思ったのですが、その時店のシャッターは閉まったままでした。がっかりして立ち去ろうとすると、たまたま通用口から出てきた彼女に出くわしました。私が「今日はお店が閉まっていて、美味しいものが食べられなくて残念です。」と言うと、彼女は「1月4日の正月休み明けにまた開店するから、それまでここに並んでいていいよ。」と言ったのです。そんなブラックジョークを言う彼女が私は好きです。

老婦人02

秋田屋が閉まっていたその日は12月29日でした。ジョークは面白かった訳ですが、しかし私は悲しく、お腹が空いたまま帰ったのでした。

老婦人08

彼女は兄弟と共に、遠く離れた秋田県北部から上京し、この店を設立しましたが、私が常連になった頃、兄弟の中のただ一人の生き残りでした。一家が私がいつも利用するバスターミナル近くの浜松町に、この唯一無二の豚モツ焼き店を開いていただいた事を感謝します。時は流れ、彼女も亡くなってしまいましたが、彼女のいたずら魂は、このに生き続けるます。

さて、この店では「くさや」という珍味も食べられます。「くさや」とは、発酵した、焼くととんでもなく臭い魚のことですが、一旦口の中に入ると、とろけるような甘みのある味わいで、私の好きな冷酒を引き立ててくれるのです。

くさや02くさや01

初めの頃に、この店でウーロンハイを注文したことを思い出します。今ではウーロンハイはこの手の店では定番の飲み物であり、私はもちろんこの店にもあるものと疑いませんでした。しかしなぜか秋田屋のメニューにはその時も、そして今だに無いのです。不機嫌な店員からの辛口の返事は「置いてねえよ。」でした。

秋田屋のスタッフは、日本のお腹を空かせたサラリーマンのために、真面目に働いてくれているだけではなく、味があるとてもいい人たちです。

https://bit.ly/2Zw7xLV

秋田屋のマスター

秋田屋スタッフ01焼き豚マスター

東京の中心部にある本格的な立ち飲み屋、ぜひ行ってみてはいかがでしょうか。?。?。

日本の学校給食

日本の学校給食

日本の学校給食

日本の学校給食

初めて小学校にゲストとして招待された時、初めて日本の学校給食を食べました。

おお〜、日本の給食のようなものを今まで見たことがなかったので、私の目の前で繰り広げられたものに大変驚きました。

給食当番の生徒たちは、白いスモックと白い帽子を着、マスクを着けて準備室に行き、給食を提供するのに必要な食器や配膳のための道具を受け取ります。

給食当番は次に大きな鍋やバットに入ったその日の食事を自分の教室に運び、他の生徒は並んでそれを給仕してもらいます。

私はこの子供たちが仲間の生徒にサービスを提供しているのを見て、これはすごいことだと感じました。

このシステムは人が社会において、思慮深いメンバーに成長するための優れた機会ではないでしょうか。

もちろん担任の先生は配膳している生徒たちを見守り、時には手伝うこともあります。

日本の学校給食について本当に素晴らしいと感じたもう一つの点は、常によく考えられている栄養価と美味しさです。

そして私はいくつかの異なる中学校で教えていた時に、とても嬉しかったのは、いつも生徒たちと給食を一緒に食べることができたことです。そして彼らも遠い国から来た私の様な人間と食卓を共にできたことは、いい経験だったに違いありません。

これを見れば、あなたの国でも日本式の給食を取り入れたいと思うに違いありませんね。

私は日本の給食のシステムは、「他人への奉仕」を行うことで、子供たちが立派な社会の一員として自分の組織に属するという感覚を自然に養ういい機会だと固く信じています。

日本の子供たちが大きな声で一斉に「いただきます!」と合唱し、同時に食べ始めるのを見るのも爽快です。

余談ですが、日本の小学校の低学年の3年間は、試験らしい試験はなく、規律、社会、衛生、健康が中心の授業を受けます。

私は生徒たちが日本の学校給食から人生を学び、自身の未来に生かせることを願っています。